2011年12月29日木曜日

技術が全てではない・・・?!

これはカヤックの話でもあり音楽の話でもある。カヤックで言えば、パドリングテクニック、ギターで言えば演奏テクニックと言うことなんですが、昔も今もこのテクニックと言う言葉、技術と言う単語に強烈にアレルギー反応を示す人がいるようだ。多分、どの分野に於いても、ある一定以上の技術を習得するには、相当の努力と苦労が伴うからだと思うのですが、多くの方々は、一定水準以上の技術がないにも関らず、「技術が全てではない」と言って、そこから逃げようとしている・・・ようにワタシには感じられる。

カヤックで言えば、技術もあり経験もあり、総合的な力量のある人が、技術はあるが経験の少ない方に向かって、「技術が全てではない」と言うのなら、理解できるが、看板だけ上げて殆ど指導力も経験もないような方が、「カヤッキングを楽しむのに技術が全てではない」と言っても何の説得力も持たない。仰ることが正しいと言う前提で物事を考えても、例えば性能抜群のカヤックに最高級のパドルを持っていたとしても、技術がなければ、海は漕ぐことができないし、リカバリーなども不可能であることは、小学生でも分かること。

ここでギターの方に話を移すが、やはり似たようなことを仰る方はいるもんだ。ギターと言っても弾き語りの分野での話だが、「ギターのテクよりも歌が重要だから、一生懸命に歌を勉強しなさい。」って、先輩が後輩へアドヴァイスを送ることもあるようだ。でもだったらどうしてギターを弾くんだろうか?って即座にワタシは疑問が湧く。ギター弾き語りなんだからどっちも重要でしょう!歌よりもギターでもないし、ギターよりも歌でもないでしょう。どちらも上手くなくてはならんでしょう。理屈では・・・。

実際はどちらも上手い人は少なく、どちらかに傾いてはいるとは思うが、だからこっちを・・・と言う話には発展しないでしょう。

しかし、日本人は自分も他の人もお互いに上手にならないように牽制し合っているのかも知れませんね。上手にはならなくても偉そうなことは言いたい人はいるもんで、そういう人に限って、技術云々でその話をさせないのが目的なのだとしたら、寂しい話だが、こういう方は結構アッチこっちに転がっているよう気がする。

唐突ではありますが、こうした平均化しようとする、あるいはさせようとする傾向は、日本人の遺伝子の中に組み込まれてさえいるような気がするのはワタシだけだろうか?400年も続いた江戸時代に、反骨精神を持った奴、他よりも抜きん出ようとする奴、何かと目立つ奴を幕府は何百年もかけて淘汰していったのかも知れない。もしそうだとしたら、そろそろ我々も本当の自我に目覚めなくてはならない時期が来ていような気がする。

周りの目を気にすることなく、自分のやりたいことをどんどんやり抜いていくことが重要だし、技術に話を戻せば、それが全てじゃないなどとほざく暇があったら、ひとつでも多くの技術を習得していくことが一番重要だとアタシャ~思うのでありんす。死に物狂いで取り組みその結果初めて技術以外の世界が見えて来るなんて、そんな台詞を吐く連中が沢山出て来ることを2012年は期待する。

2011年12月22日木曜日

すってんころりん

昨日はロードチャリで大転倒をしてしまった。カヤックでもそうだがワタシに限って自転車ごときで転倒なんてあり得ない。今でもそう思っている。自慢じゃないけれど、それほど自分の運動神経は人並み外れていると自負している。まぁ見た目はどんなかは知らんけれどもね。じゃ~なんで転倒なんかしてしまったのか?

場所は陸上競技場から就実大に抜けるチャリ道で、時刻は深夜の零時半ごろ。倉敷VANVAN LIVEの帰りの出来事でした。昨日は練習不足で参加はせず見学だけだったので、運動がてらロードチャリで行って来た。その転んだ場所のチャリ道は広くこぎやすい路面だったが、途中でその道がカットされていて、30cm~50cmくらいの段差があった。通常は段差があると、おのずとその雰囲気が道にあり、そのまま突っ込むことは普通はあり得ない。

カットされたその向こうにも同じ幅のチャリ道が続いているので、尚更そこで段差を残したままカットされているとは気がつかなかった。いつも利用する道ならそれでもそんなことにはならなかったかも知れないが、非常に腑に落ちない作りだった。

チャリのライトはつけており前は良く見えていた。しかしカットされた道には全く気がつかず、前輪が落ちたときには何がなんだかさっぱり分からなかった。転んでしまってしばらくしてから転んだことに気がついた。身体から転げ落ちる感じだったが、左方向へ落ちながら、路面に叩きつけられないように、脚の方から徐々に力を抜き、左手を先に路面に当て、上半身や頭を打撲しないように、グルンと身体を丸めるように転んだ。

我がロードチャリも同じようにワタシと一緒にひっくり帰った。しかしチャリもワタシもかすり傷ひとつ負わず全く無事だったが、道の設計者には大いに怒りを感じる。何とかしろバカタレ!と申し上げたい。

音楽館までの往きは1時間50分、帰りは1時間30分だったが、ケツとまたぐらが痺れる昨夜だった。良い運動になりました。

来年1月のVANVAN LIVE は参加予定。年末年始はしっかり練習をしておこう!

2011年12月20日火曜日

音は聴くものから見るものへ

全く相応しからざる音楽の「学習」を始めて、もう1年以上を経過した。「学習」と言うには、程遠い内容だが、どのように取り組んでいけば良いのかさっぱり分からず、かといって指を咥えているだけでは何も前進しないので、とにかくやれることからスタートしたのが、昨年の9月だった。

なかなか進歩のない1年だったが、ほんのつい先日ごろから、少し音が見えるようになってきた。と同時に今まで何を聴いていたのかと非常に恥ずかしい気持ちになる。しかし見えると言っても、はっきり見える訳ではなく、何となくボンヤリと見えるだけで、イマイチな状態に変わりはない。但し、適当に音を作っているのが、分かり過ぎるほど分かって来て、ある意味楽しくなって来た。

適当にやっているのを正確にやるだけのことが、これがなかなか難しい。たった1小節が実は、一度も上手く音を表すことができていなかったことは、一方ではガックシでもあった。正確な1小節を連続させる難しさに今は直面しているが、やっと音楽を楽しめるようになった「錯覚」を味わえるようになった・・・と自分では思っている。

それともうひとつは、何回練習をしても飽きない曲もいくつか見つかった。周囲から、どうしてひとつの曲に集中して練習をしないのか?とアドヴァイスを頂いたことがあるが、そうすることができる曲と自分の状況がなかったということに尽きる。第一これまで音楽なんてただ聞き流すだけでなんの勉強もして来ていないですからね。

ある意味非常に虚しく、周囲から馬鹿にされ、無視され、なかなか栄養価の高い経験をさせて頂いた1年だった。しかしできないなりに、分からないなりに、自分の聴きたい曲、自分がやってみたい音楽の方向性に全く狂いはなく、方向性という面では、少し確からしさを感じるようになった・・・と自分では思っている。

歌もギターも非常に上手だが、全く方向性が感じられないのは、かなり残念な気がするが、大して歌は上手くはないのに、方向性がしっかりしている人の演奏には、非常に魅力を感じてしまう。
この1年間で、歌もギターも上手な人に沢山出会いましたが、何か足りないものを感じていた。偉そうなことが言える立場では決してありませんが、誰かがある歌をとても上手に演奏して歌い終え、拍手を送ります。でもだからどうした?!と心の中で言ってしまう生意気な自分が見つかってしまう。

それが本当にアナタが唄いたい歌なんですかぁ~?って、・・・。

多分面白い音楽とそうでない音楽があるとしたら、体系や方向性を持っているか(持とうとしているか)否かではないかと、これまた偉そうに思うのであります。

ワタシの場合は、歌も演奏もまだ音楽にはなっていないので、如何ともしがたいのですが、細胞と全体の組み立て方が何となく分かって来たので、一応勉強の道筋はなんとか分り始めて、これからの1年は「基礎学力」に重点を置いて、のんびりやりたい。

本当はもっと棘のある内容にしたかったのだが、こんな「温厚な」?内容になり残念だが、この続きはまたいつか・・・。

2011年12月19日月曜日

アイフォンで見ました!

ワタシはほとんど他のカヤック関係のサイトを見ません。何故か?全く興味がないからです。いや勿論カヤックそのものに対してではなく、他のスクールとか個人の趣味の範囲のブログなどは、全く興味が湧かないので見ることはありません。大体において、どこに行って何を食べたとか、貝を拾ったとか、面白い魚がいたとか、まぁそれも悪いとは申しませんが、カヤックとは関係のないお話ばかりで、見ていると感動で涙が出てきますから、見たくないのであります。

しかし、最近はスマートフォンと言うのでしょうか、どこでも持ち運びができポケットに入る「小型の電話パソコン」で、すぐに色々なサイトを閲覧することができるようになり、お茶を飲みながら、他所のスクールの写真などを見せて頂く機会がありました。

そして凄いなぁ~と思いました。こんな雪が降るような時期になっても、ロールを教えたり習ったりしている人がいるなんて、とても素晴らしいと思いました。ワタシなどは、高い講習費を頂いてもお断りをしたいですね!無理に海に出なくても、山がありますからね!いやぁ~それにしても、その取り組み姿勢は大いに評価したいですね!

で、まぁこれはすごく余計なことなんですが、ちょっとだけ感じたので、もっと効率の良い指導方法ややり易い道具を研究すると、こんな寒い時期にやらなくても良いのではないかなぁ~なんて感じたりしてしまいましたことを深くお詫び申上げます。

できるだけやり易いカヤックで、使いやすいパドル、それに的確な指導方法があれば、習う人が苦労しなくて済むのになぁ~と余計なことを感じてしまいました。まぁやっているうちに色々とより良い方法が見つかるとは思いますが、最先端の指導法に到達するのは、まだまだ紆余曲折を経験しないといけないかも知れませんね!頑張って欲しいと思いました。

写真1枚で分かったことは、改良すべき点は、まずロールに至るプロセスが短すぎることでしょうか?そこから分かることは、指導の下向法と上向法にかける時間が短すぎるようです。それと、下向で気づくには上向時間がまだまだ足りないように思います。そこから身体全体のライン取りが見えて来るはずですが、全てそのラインがある断面図から外れてしまっています。

これを何度も海の中でやらされる受講者の皆さんの、ご苦労が身に染みて分かる指導のあり方も追求する必要は充分あると、ワタシは思いました。

まぁせめてもの救いは、全く指導しないで看板だけ掲げて、のうのうとしている似非スクールよりはそれでも1000倍マシかも知れませんね!

2011年12月15日木曜日

あんなの初めて見た・・・!

つい先日のお話ですが、あるファミレスで朝食を食べていました。確かにここはそんなお上品な方が来るような所ではありませんが、とてもびっくりしました。ある種感動さえ覚えました。

ワタシが座っているやや右手前方におばさんが食事をしていました。特別にみすぼらしいということも上品ということもなく、極々普通のおばさんでした。茶碗を左手に持ち、右手に箸。ところが不思議なことに右手の箸がご飯を掴むと、おばさんの口元に行かずに、シートの方に進んで行くのです。

普通はご飯を掴んだ箸は口を目指して上に進みますが、おばさんの箸は彼女の座っているシートの右へ下がって行ったので、何気に気づいてしまいました。なんとお弁当箱を横に置いて、その中にご飯を詰め込んでいたのです。実にスゴカロ~でした。驚きました。感動しました。

別に悪いことをしている訳ではないのですが、大盛りご飯を注文して、半分を食べて残りの半分をお弁当に・・・そうやって節約をしているのでしょうが、なんか寂しい気持ちになりました。そこまでして節約をしている庶民から更に税金をふんだくろうとしている官僚や政治家達のことも頭をよぎりました。消費税が5%から10%になどなれば、きっとこの人達は生きていけなくなるな気がしました。

以前財政赤字を解消する為に消費税が導入されました。あれからもう何年も経過しました。国家財政の赤字は少なくなりましたか?むしろ増えたんじゃないんですか?そして今度は社会保障の為に増税すると言うお話ですが、みなさ~ん、騙されないようにしましょう!

また別の日にこんな光景を目にしました。早朝散歩をしていたら、28歳と3ヶ月くらいの女性が自販機の空き缶入れボックスに手を突っ込んでいました。ワタシは何をやっているんだろうか?と思いしばらく観察していました。彼女はボックスの蓋を開け、右手を突っ込み捨てられたキャップ付きの空き缶を取り出して、そこに残っているモノを一気に飲み干しました。

来ている服も持っているカバンも全く普通で長年乞食生活をしている雰囲気は全くありませんでした。おつむがいかれてしまっている風もありませんでしたが、はてさてどうしたことなんでしょうか?ひょっとしたら日本の方ではなかったのかも知れませんが、どちらの光景もワタシが岡山市内に住むようになってから初めてのことでした。

世の中を見渡すと、大きく分けて3つに分かれるのではないでしょうか?!非常に頭の良い人は合法的に不正を行い働かず金を儲け、非常に頭の悪い人は強盗に入って捕まる。そしてその中間に位置する人々は一生懸命働き、頭の良いずる賢い連中に「税金」という名目でほとんどを吸い取られているのではないでしょうか?!

さぁ~て、今日はワタシも空の弁当箱を持って、ライス・漬物・キャベツ・味噌汁がおかわり自由のお店に行きましょうかね!でも食べる振りして、弁当箱にご飯を入れる技術はかなりレベルが高そうです。

2011年12月12日月曜日

内部文書でバレバレ 何が「老後の安心」だ- ゲンダイネット(2011年12月12日10時00分)

 「この国の歳出で増えている部門は、専ら社会保障費なんです」「増税をしたくてするのではなく……せざるを得ない」――と、3億円をかけた「政府広報」で消費税アップの必要性をアピールしていた野田首相。
朝日新聞も「消費税増税は避けられない」と、老後の安心、医療制度の維持のためには消費税アップは当然だと社説で説いている。
ところが、「消費税アップ=社会保障の財源確保」という説明が、まったくの嘘だったことが分かった。政府が民主党に提出した内部文書に〈防衛費や公共事業にも使う〉とハッキリ記載されていたのだ。内部文書を見た民主党議員は「話が違う」とカンカンだ。
「消費税5%分の税収は約13兆円。何に使うのか、いずれ国会で使途を説明せざるを得ない。党内向けに実態を書いたのでしょう」(政界事情通)
しかし、国民に対して「増税分はすべて社会保障に使われる」と語っておきながら、防衛費にまで回そうなんて国民騙(だま)しもいいところだ。
そもそも財務省の操り人形になっている野田首相は、ハナから社会保障に全額使う気はないという。
「もし社会保障の財源確保が目的なら、消費税を目的税にするはず。一般会計から外して、特別会計にするのが当たり前です。目的税にしてしまえば、社会保障にしか使えませんからね。でも、財務省は絶対に認めない。目的税にしたら、自分たちの自由にならなくなるからです。消費税は税率を1%上げれば、確実に2兆6000億円の税収増になる打ち出の小槌。財務省が手放すはずがない。しかも、財務省は消費税を20%まで上げるつもりでいる。20%ならざっと52兆円の税収です」(霞が関事情通)
政府や大新聞は、「このままでは年金制度が持たない」と、もっともらしいことを言って消費税増税をあおっているが、消費税アップで税収が増えても官僚の利権拡大に使われるだけだ。これまでもそうだった。国民は絶対に騙されてはいけない。
(日刊ゲンダイ2011年12月9日掲載)
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私達の身近の色々な出来事と言うか状況を観察していると、庶民から集めた貴重な税金が如何に無駄に出費されているかがよくわかります。そしてそれらは、庶民の為になるのが目的ではないこともよくわかります。使いたいから無理やり公共事業にしている感はありありと感じられます。

歩道工事・下水道工事・学校校舎改築・河川敷工事・エコカー減税・エコポイント・その他補助金行政などなど。本当に社会保障や学校教育などに税金を使う気があるようには、ワタシには思えません。

全ての省庁や特殊法人を廃止して官僚制度をなくしガラガラポンにして一からやり直しをするべきですが、そんな勇気のある政治家、今はいないのでしょうか?前の大阪府知事は・・・?全ての利権を抹消することが出来れば、その次は国政に出て、意味不明な全ての支出をストップ・・・そんなことが実現できれば、消費税なんて不必要ではないのでしょうか?!

2011年12月7日水曜日

パドル教室準備

あまり整然と整理はできてないが珍しくプレハブの中が綺麗になった。まぁ見た目は良くないが、取り敢えず要らないものは全て処分をして、作業をしやすくした。(つもりだが・・・)

そして本日パドル材を揃えた。明日は1本加工して、金曜日には部品組み立てまで行けば、準備完了。

今回の作業で一番難しいかも知れないプロセスはカンナでの削り作業かも知れない。まぁちょっと難しいかも知れないが、ワタシなどは当初はカンナの刃の調節方法も全く知らなかったんだから、やっている内にすぐに慣れてくるはず。

樹脂などの取り扱いなども難しいと言えば難しいのですが、非常に簡単な方法があるので、それを教えます。もっと簡単に扱えそうな塗料もあるのはあるのですが、単価が樹脂の7倍するので、今回は止めました。

参加定員はあと1名です。(参加希望でまだ確定していない方は参加予定者の中に入れております。)

2011年12月3日土曜日

食べることができない500円のランチ

ここ数年間ワタシのランチはほとんどがジャンクフードばっかしで、いやランチだけじゃなくて朝も夜も外食ばかりでこれじゃ身体が持たない。かと言って3食自炊もきついので、1日1回は自炊しようと切り替えつつある。そしてランチは色々と品を変えて食べたいと考え、いつもとは違うところを探していた。

例によって安くて美味しいところが良いが、なかなかそんなところはない。先日朝食を食べに行くときにランチの看板に500円と言うのが目に入って来た。説明が書いてあり結構ボリュームがありそうで美味しそうな予感。

早速その日のお昼に行くと12時前で誰も来ていない。看板を良く見ると、500円のランチは午前11:30までと書いてある。なんかオカシイ。なんでランチがそんな時間で終わるのか、理解に苦しんだ。まぁこんな意味不明なレストランやめとくべ~と思い直して他へ食べに行った。

もうすっかり興味を失ったレストランだが、朝食の行き帰りに必ずその前を通るので、おのずと看板が目に入る。今日の朝、更に次の説明文が目に入った。「営業は午前11:30~23:00」

これには驚いた。要するに500円のランチは幻のランチと言うことで理解すれば良いと思うのだが、冗談にも程がある。こんなことしていたら遅かれ早かれ元彼?つぶれるでしょうね!アーメン。

2011年12月2日金曜日

12/3(土曜日)は・・・?

今週の土曜日は、天気が少し悪そうですので、ひょっとしたら中止にするかも知れません。ただ天気の状況が変化していますので、金曜日の夕方に最終判断いたします。今年は年間を通じて土日の天気が良くなかったですが、こんなのはカヤックを始めて一度も経験がありませんね!瀬戸内海の海の神様が相当に激怒しておられるのかも知れません。

12/4(日曜日)は、少し風が出るかも知れませんが、少し島巡りしたいと思います。今年はこれがラストになると思います。集合時間は少しゆっくりめで午前9時になります。

2011年11月24日木曜日

観察と本質

ワタシは今自分の一番良くない所は興味あることに対していつも観察しようとしている点なんです。観察して更に観察して、たまねぎの皮を剥ぐようにその中心部分に到達しようとするので、結構疲れてしまうのですね。正直なところ。観察なんかやめて適当にやればよいのに、何か引っかかることがあれば、もうず~とそればかり考えている。

多分長い間スクールなんかをやって来たせいもあるとは思うのですが、もうひとつの理由としては、自分が生きていく指針のようなモノが全くなくて長い間悩んでいたのが原因かも知れません。いつも何をどうすべきか?何をどのように考えるべきか?どうすれば今より良くなるか?そんなことばかりを考えて来たからかも知れない。

自分が何かちょっとした間違いを犯した時とか、あるいは小さな親切をしようとして、フトしたことから嫌な体験をしたりすると、もうそのことが常時頭から離れない。そして何故そのような嫌な思いに至るのかも考え続けてしまうのです。それは二度と同じ過ちを犯したくないからです。そして頭の中で何度も失敗のプロセスを追っていく内に様々な心の事象が明らかになって来てそのこと自体は結構面白いのですが、一方では相当な落胆も発見されるので、一概には楽しくはないのですね!

ここ最近では2回も大変面白い経験をさせて頂いて、なぁ~るほどこれがそこそこ意識レベルの高い日本人のレベルがどんなものかをしっかり勉強させて頂きました。これ皮肉に聞こえますか?皮肉では決してありませんよ。嫌味ですよ。

因みにこれはカヤックの話ではありませんので、ご安心を・・・。

まぁ昔はカヤックでも同じようなことは山ほどありましたが、例えばスクールだけじゃ面白くないので、ツアーに連れて行ってくれって言うので、実際に連れて行くと今度はロクに教えてもくれていないから腕がパンパンになって酷い目にあったとか・・・そういうことは良くありましたね。

しかし新しい世界を楽しもうとするときに、その世界の諸先輩の方々に色々と指示され、そして大失敗をしたときに、その失敗をとやかく言われるのはどういうことなんだろうか?とワタシは甚だ疑問に思うのであります。逆にこいつ等の脳みそはどうなっているんだろうかと近寄りがたい存在に、疎ましい存在にしか思えなくなるのですね!とても残念なことではあるのですが・・・。

例えば、ワタシがカヤックの超初心者の方に、ちょっと試しにロールをやってみなさいと指示をしたとしましょう。もちろんできるはずもなく失敗をして沈脱します。そしてカヤックが流され、岩に当たってカヤックが傷ついたときに、その初心者を責めることができますか?アナタは初心者なんだから気をつけなきゃ駄目でしょうって・・・責められますか?

またHPやブログなどで次の週末はキャンプツアーですよって連絡しておいて、集まった参加者に何の状況変化もないのに、今週末はキャンプもなしツアーもなし、通常スクールですよ、キャンプなんかはやりませんってやられたら、そんなとこには二度と行かないでしょう。

しかし仕事でも遊びでもこういう現象は彼方此方できっとあるような気がします。どんな優れた指導者でもどんな優秀な受講者でも、仲間でも誤まった指示や間違いは必ずあると思うのですが、ワタシがここで申し上げたいことは、自分が間違った指示を出しておいて相手を責める行為だけは、些細なことでも見過ごせないと思うのであります。

その後の活動を観察していると、きっと同じようなこと(失敗)を繰り返しているような気がしてならないのですが、これは観察をして本質を見極めようとするワタシがきっと悪いんでしょうね

2011年10月26日水曜日

少し前進???

昨日やっと室内作業にやる気が出たと思ったら、風邪をひいてしまった。さほど酷くはないのだが、これで何かをする気力が減退したのは事実。風邪で調子が悪いから今日は何もしなくて良い・・・とそっちの方へ流れるのは必至だが、そこを何とか今日は乗り越え週末に備えよう!

DVDへのダヴィングは高速が使えないので、1本に4時間もかかる。昨日やっと2本完成したので、これは今日送付します。また今日中に2本ダヴィングして週末には持って行きます。ワタシのクダラナイトーク満載ですが、カヤックの映像は貴重です。自分で言うのもなんですが、貴重です。高度な技術習得を希望されている方には大いに参考になるはずです。

そう言えば最近は海でビデオ撮影を全くしていないので、纏まった映像が残っていません。週末はデジカメでできるだけ動画を収めようと思う。ロングロールからハンドロールへのもっとも簡単な道筋を映像に残しておきたい。内容は道具と適正な船と正しい練習方法さえ身に着ければ誰でも簡単にできてしまう方法を・・・。

これを本に仕上げたらと薦めてくれる人は多いのですが、本にするにはちょっともったいないような気がするのです。ワタシの信頼する仲間にだけコソッと・・・まぁそんな了見の狭い生き方をしてます。だってぇ~、心が狭いのが取り柄ですから・・・。

そうです、今週末はとても貴重な内容の講習をやりますので、奮ってご参加下さい。実は6年以上も調子の悪かったワタシクシの腰も福山の偉大なる鍼灸師の先生によって僅か1秒の指タッチで神業のように治して頂き、ほぼ完治したので、その実技にワタシも参加します。

また9月に初参加をしてロングロールを覚えたばかりの方が、先週はもうハンドパドルで上がるようになりおまけにCPCまで・・・参加回数は僅か数回です。ワタシはこういう方がどんどん増えていって欲しいと思います。そうすれば「教えないスクール」「教えられないスクール」「フェリー利用しか考えないガイド」「看板だけのスクール」などは自然淘汰されてくるはずです。

ワタシがこういうことを書くとすぐに「ロールや技術がカヤックの全てではない。」とほざく奴がいるが、そういう御託はロール指導や他の技術指導ができるようになってから言って欲しいもんだ。また指導者認定試験などをやっている団体もなかなかの眉唾もんで、一般個人に対する指導体系もないのに、指導者認定とはこれ如何に?で、日頃の指導活動の内容に大いに疑問を感じる。

ワタシがスクールを閉鎖する理由のひとつが、スクールなんて行かなくても充分パドリングテクニックを習得することができると言うことを証明したいと考えているから。ワタシの知人で、ロールを習いに行ったら、できないならサーフィンしましょうって言われて、サーフィンしたのは良いが死にそうになった方がいます。これは指導者としては万死に値する行為だが、こんな結果でも参加講習費を取られてしまっては、アホらしくも悲しすぎます。

まぁどんな風に証明できるかは、次の課題ですが、これからカヤックを始めようとお考えの皆さんは、くれぐれもアホスクール間抜けガイドに無駄なお金を使わないようにお願い申し上げます。

2011年10月25日火曜日

やるべきこと

やらなくてはならないことが山積している。ビデオをDVDへコピーしたり動画を編集したり、HP更新をしなくてはならないが、なかなか気力が追いついてくれない。先週は仕事も遊びも激務で忙しく、昨日は16時間も眠っていた。これ自慢にはなりません。今日こそは作業を前進させたい。

もうそろそろ11月に入りますが、後半には天気が良ければカヤックに乗りたいと思ってます。一応10月で今年は終了ですが。12月から3月までは、今まで通り山歩き・スキーなどを楽しみたいと思ってます。パドル教室も忘れてはいけません。12月にやりたいとは思ってますが、年末ですからちょっと厳しいかも・・・一応念頭に入れておきます。

この週末は流見島でキャンプの予定です。自艇参加の方は1日だけ参加も可能です。

2011年10月18日火曜日

流見島からの帰還ルート

流見島周辺は潮流の宝庫で、上げ潮でも下げ潮でも相当に速い。おまけに航路も絡んでいるので、行き帰りのルートは時として、厳しい状況に置かれることもある。漕いでも漕いでも進まないときに大型船がやって来て、バウがいつまでも我々を狙って来るような時が稀にあるが、ここは追いかけて来るようなアホはいない。

この流見島へ行くのは比較的容易ではあるが、帰りパドリングが楽ではない。いつも反転流に逆にやられてしまう。しかし多分あの逆潮の真っ只中を帰れば、ひょっとしたら楽勝と思いながらも、なかなかそこを帰るチャンスがなかった。しかし先日荒れた状況下の下げ潮で、半島と蜜柑島のど真ん中を目指して航路を横断した。

以前原君がこのコースを楽々パドリングで帰って行ったのを見ていたので、そうだろうとは予想はしていたが、途中は信じられないほど後ろから潮がおしてくれた。こういう潮流の動きは、海図にも出ていないし、シーカヤックの大先生達が書く雑誌にも本にも全く書かれていない。そもそも反転流などについてツアーに使えるような利用の仕方など、年間に10回も海に出ない先生方には分かりようはないが、ここの反転流は更に分かりにくい。

その分かりにくい反転流の存在を発見するのに実に1年以上を要した。毎週のように行く島を決めて行って1年以上かかる訳だから、アッチこっちツアーをやっていたら、多分まだ見つかっていないでしょうね?!これでやっと流見島を楽しめる基盤ができたと思うのですが、世間じゃそんな馬鹿馬鹿しいことはしないで、やっぱり色々な場所へ出かけて行くのが「常識」なんでしょうね。

もう随分昔のことですが、備讃瀬戸の本線航路を横断して四国側へ行きたいと思い、その本線航路がすぐ目の前に見える島に行き数日間キャンプをして過ごしたことがある。東から来る船と西から来る船がどのあたりをどのように通過してして行くのかを数時間観察しに行ったのだが、それからは問題なく楽勝で横断ができるようになった。

キャンプツアーで、この本線航路を横断して四国まで行って帰って来て、「動物的感」ですね!と言われたことがある。確かに物心がつく前から外で遊んでいたからそういう感がひょっとしたらあるのかも知れないが、その言葉のウラには「あんたのようなアホにどうしてそんなに楽々と横断できるのですか?」と言われたような気がしたのだが、「アタシャ~阿呆ですから、日々努力と研究をしているのでゴザァ~ますのよ!」と今になってお答えしておこう。

それはそうと今年はあと何回この流見島でキャンプができるだろうか?この次の週末はキャンプじゃなく車中泊になります。

何かを理解するまでには・・・

これまで自分で良くストレッチをする方だと勝手に思い込んでいましたが、全然できていない箇所が一杯あることに気がつきました。気がついたというよりプロの方に教えて頂いたというのが正しい。全くやっていない箇所があるのは分かっていたが、それがまた全然他の部位の良くない症状に関連があることも教えて頂き、つくづく自分ひとりの力量って大したことはないと痛感しましたね!それと長年プロとして色々と研究研鑽を重ねながらやって来られた方は、それぞれに深い意味があって話していると勉強になることばかりで、昨日は特別な一日でした。

今日は朝・昼・晩と相当にストレッチをやってしまいました。もちろん劣化して硬くなった部位を中心にですが、他の部位はこれまでに相当にやっている(つもりですが)ので、効果がテキメンに出てきました。年齢のせいかと思っていたら、そのせいだけではなく全く使われていなかったからだということが判明したので、この次の週末に向けて毎日ストレッチ三昧のつもり・・・ではあります。

最近になって他にも色々な事柄について色々なことが分かり始めて来ていますが、何年経っても分からないのは人の心ですが、もちろん自分も含めて、これだけはさっぱり分からない。せめて自分の気持ちくらいはいつも明確にしておきたいとは思うのですが、いつも揺れ動いております。

2011年10月5日水曜日

色々なパドル

旧来のキャブラックと新キャブラック、それにBHですが、この週末の合宿に持って行きます。新キャブラックは少し短めに作りましたが、従来の長さの方がしっくり来ます。が全然漕げないことはなく
身長が低い方は、これでも充分かも・・・。

新しいキャブラックのブレードは普通の板を使っていますので、従来のよりは少し固めの漕ぎ味です。強度は充分です。BHは何にするのか?繋ぎの道具でもありますが、保険の道具でもあります。詳細は合宿にて・・・。

もう随分以前に極楽島で拾得した木の根っこです。瀬戸内海を漂流してはどこかの島へ辿り着き、そしてまた漂流し、また別の島へ・・・を繰り返すこと50年以上・・・とワタシは推測しています。魚のようでもあるし動物のようでもあります。ひょっとしたら海の神様が宿っているかも知れません。

2011年10月4日火曜日

仮定の話ですが・・・責任は誰に・・・?

~初心者が他の人の高級カーボン艇に乗って、パドルを折り艇に傷を付けた~
               このときの責任は誰に・・・?

ワタシを含め10人くらいで、どこかの島の入り江でカヤックの練習をしていたとしよう。みんなそれぞれの目標を持って練習をしていたとする。その10人の中に、非常に豊富なパドリングテクニックがあり、高級カーボン艇にウッドパドルを持っているBさんがいて、それを他のみんなが一人ずつ乗って楽しんでいるとしよう。しかし、超初心者のA君がひとりいたとしよう。そのA君は、ロールはまだ覚えたてで時々失敗もして沈脱をするレベルとしよう。

だからA君は、その艇に乗って華奢なパドルでロールをしようなどと全く思っていないのに、ワタシが彼にその艇に乗ってその華奢なパドルでロールをするように命じたとしますね。A君は、やりたくはなかったのだが、ここでやらなければ消極的な奴だと思われるので、その豪華なカーボン艇とパドルを借りて少し沖へ出てロールを試みたとしよう。

そのときに思いっきり力を入れてブレードに体重をかけたので、そのブレードの先端が折れてしまった。そして沈脱をしてカヤックは流れて行き、海から露出している岩礁にぶつかりカーボン艇のボディに傷が入ってしまったとしますね。

この時にワタシがA君に、すぐさまBさんに謝るように言うだろうか?これはA君に命じたワタシの責任は100%で彼には全く責任はないと考える。そもそもパドルを折るかも知れないA君に他人の高級カヤックに乗るように命じたりしないけれど・・・ね!もしこれを周囲の第三者が、何故力を入れすぎてパドルを折ったのですか?アナタは初心者だからもっと気をつけるべきですとか、礼儀をわきまえるべきとか、そんなことを言って説教をなどしようものなら、それは馬鹿とした言いようがない。

ワタシならパドルもカヤックも全部ワタシの費用で新しいのを用意して、Bさんに謝罪するでしょう。A君には1%も壊した責任はない。とワタシは考える。

第三者が事後に、A君に対して、何故ブレードに力を入れすぎたの?もっとやさしくしなきゃ駄目でしょう!また沈脱したらすぐにカヤックを起こして、浜に戻って来ないから岩にぶつかったんでしょう!などとお説教するとすれば、その第三者は間抜けとしか言いようがない。力を抜いて確実にあがれないから力を入れ、カヤック起こして泳いで戻って来れなかったから岩にぶつかったのであって、意図的なものは100%ないものを、いくらお説教をしても始まらない。

しかし、どこへ行っても、自分が命令をしておいて知らぬ顔をする似非指導者や突然に経験豊富なアドヴァイザーになって、責任のない被害者にお説教をしたい日本人はいるもんなんですね!そうかと思うと、嫌な空気を感じるや否や、その場からあっという間にトンズラを決め込む「理性的」な方もおれば、あのパドルやカーボン艇はとても傷つきやすいことを知っておくべきだなどと偉そうなことを後になってから言う日本人は結構いるんでしょうね!

実際にスクールではロール指導中というか練習中にこれまでに何本も折れたことがあります。しかしそれは折った人の責任ではなく、それを見抜けなったワタシの責任なのですね!何故折ったのか?って、そういう問題じゃないんですね。どうしてもっとやさしくしなかったの?そういうことができなかったからそうなったのであって、それは意図的じゃないって言ってもそれが理解できない日本人は、彼方此方にいっぱいいるのかと思うとゾッとしますね!

ところで話はちょっとそれますが・・・・

パドルは折れたらまた新しいのを作れば良いし、カヤックがぶっ壊れたらまた買えば良い。ガタガタ言うことはない。形あるものはいずれ壊れ駄目になるが、修理したり新しいのを、金を出せば再び手に入れることができる。ガタガタ抜かすんじゃねぇよ、バカタレがぁ~!って、仮定の話になんでそんなに熱くなってるの?

ワタシが本当に言いたいことは、車でも自転車でもパドルでもカヤックでもちょっと傷がいった程度でブツブツ文句を言う人が一杯いるのに、原発事故で住む家や職場を追われて大変なことになっているのに、そういうことには見てみぬ振りをしてはいませんか?!と言いたいのですね!また性質の悪い政治家や官僚が好き勝手に税金を使いまくって予算が足りないって言うと、黙って増税を認めてしまうのは何故?

2011年10月3日月曜日

パドルに不要なモノ

良く見かけますが、パドルにドリップストッパーが装着されてますが、これは不要じゃないかな?どうしても飾りで付けたい方もおられるとは思いますが、これでパドルブレードから流れ落ちてくる水滴を食い止めるなんて考えた人は、恐らくカヤックに乗らない人だったんですね、きっと。だからこれ付けていると、チョー初心者に見えますから、外した方がいいんじゃないかな?!

もうひとつ余計ななのはリーシュでしょう!これ邪魔でしょう!漕いでいてパドルを流すような方は、カヤックにはくれぐれも乗らないほうが・・・なんて思ってしまう人もいるでしょうし、・・・いやしかし休憩時には良いかも知れないが、漕いでいる時は、やめた方が見た目も良くないと思いますしね!もしイントラでこれを使っているのを見かけたら、・・・・???・・・・???・・・???とまず疑って見るのも良いでしょうね!

そして漕ぐときは、両手に力を入れてパドルシャフトをいつも握りしめないことでしょうか?!肘はあまり曲げないほうが良いでしょう!腰で漕いでください。

どうでも良いですが、ふとそんなことを思いました!

2011年9月30日金曜日

明日からもう10月

明日からもう10月に入ります。ワタシのスクール最後の月になりますが、休まないように頑張りたいと思います。まぁスクールを閉店するとは言え、元々あまり教えていませんから、特に心配するようなことは何もないのでは・・・と勝手なことを思っています。

実際ワタシが教えるのは最初のロールの時くらいで後は、ほとんど「教えている」とか「指導する」といった感じではありませんよね!自慢そうに書いてますが、ハイ自慢をしておりますが、ロングロールの時だけ一生懸命教えて、それから後は、ちょっと説明をしているだけで、お茶を飲んで話をしているほうが多いですよね!

インストの中には「指導すること」は「説明すること」だと勘違いして、受講者の傍で延々説明し続ける人もいるようですが、そんなのはお互いに大変ですよね!特に受講者はたまったもんじゃないです。

習いに来ている方は、説明を聞きに来ているのではなく、どのようにしたらそれができるようになるかを習いに来ていることに気が付いているイントラの方は、恐らく説明などそれほどしないでしょうね。

まぁそれはともかくとしてこの10月は、カヤッキングの重要な骨格を整理してコンパクトにまとめて伝えられたらいいかな・・・と考えています。スピードを競ったり、距離を漕ぐのも楽しいかも知れませんが、いずれそれはできなくなります。同じ場所へ何度行っても飽きない「技術」と言えるものがあるかどうかは分かりませんが、あっちこっち行かなくてもカヤッキングが楽しめるようになる為の何かを伝えられたら良いかな・・・と考えています。

またその他にも少し考えていますが、まだ具体性に欠けますので、徐々に展開していきましょうかね!

2011年9月29日木曜日

キャブラックの秘密

本日ニューパドルがほぼ完成した。ニューキャブラックで重量は650g。何が違うのか?ブレードがこれまでと違うのです。普通の板を使って作っているのですが、重さは650gに仕上がっている。これと従来の特殊ブレードを使用した700gのキャブラックを手に持って比較したら、何故かこの700gの方が軽く感じるのです。

不思議ですね!多分ブレードが新しいキャブラックの方が重いからだと思うのですが、果たして漕ぎアジはどんなものでしょうかね?!ファファ~とした柔らかさを持つ旧キャブラックの方が恐らく断トツ良いかも知れませんね!まぁこの土曜日に判明するでしょう。

2011年9月28日水曜日

理解できない何か?!

これはカヤックとは全く関係ないことなんですが、新しい何かをするときに、時に理解不能な感覚に陥ることが良くあります。それは2種類あって、楽しいなぁ~と予想されることと、何か良くないことが予想される場合とあって、実は楽しい方はまず外れてしまいます。しかし何か不吉な予感を感じているときは大抵的中します。

まぁ別にワタシに予知能力があるなどとふざけたことを書くつもりは全くないのですが、そういうことって皆さんはありませんかぁ~?悪い方に転がることはあってもなかなか良い方に転がることはないのですが、では何故良くない予感が当たるのでしょうか?

先日カヤックを片付けるときに、近道をしようとちょっとした岩場を登っていました。足を滑らすかなぁ~って、物凄いその可能性を感じていたのに、一歩を踏み出し、すってんころりんとやってしまいました。そのときに、我ながら予知能力が凄いなと・・・痛かったなぁ・・・。でもカヤックは無傷でした。

また無人島などで夏にキャンプをするときに、朝からどうも胸騒ぎがすると思ったら、昼前にレジャーボートの軍団に浜を占領されたり、あまり考えたことがないのに突然遠くに出かけて車が故障したらどうしようかと思っていると、実際に故障してしまったりと、こんなことが良くあります。

今思い出したのですが、3年前に岡山大学の近くを車で走っていた時に、後ろから車が近づいてきたのですが、妙に衝突されるような気配を感じていました。物凄く接近して来たのですが、一旦大きく離れたので安心して前だけを見ていたら、突然大きな衝撃音がして、ワタシの車が走り出したのです。最初は何がなんだか訳が分からなかったのですが、追突でした。

最近も内容が全然違うのですが、何となく空気の馴染まない空間に足を踏み入れ、いつも違和感を覚えてしまうのについフラフラと足を踏み入れ意図せずして嫌な体験をすることが良くあります。この違和感が曲者で理屈抜きでワタシの感覚に入り込んで来て、何らかの信号を送ってくれているようなのですが、これからは理屈抜きでこの違和感をひとつの指針にしないといけないかも知れない。そんなのはワタシの性に全く合わないのですが、現実に理解できた時は、時すでに遅しなんですから、厄介ですね!

昔の人が「君子危うきに近寄らず」って言ってたのは、このことなんだろうか?と勝手に自分を君子に仕立ててますが、そう言えばワタシの生活もそろそろ「危うき」状況かな?

ひとつ明確なことは、何かをしようとするときに「億劫な部分」が意識されるときは、そこには「危うき」何かが存在する・・・と考えても良いのではないか?!過去を振り返ると、「億劫」を無視して行動したときに、ある意味大事件が起きている。

まぁ意味不明な内容ですいませんでした。こういう非論理の世界のことはあまり考えたくもないのですが、このところあまりにもそこに首尾一貫性が感じられるので、ついつい書いてしまいました。できれば科学的に解明したいものですね!

2011年9月26日月曜日

楽地島合宿ツアー

天気とメンバーに恵まれ大変楽しい合宿ツアーになりました。行きはちょっとアクシデントがありましたが、全日程好天に恵まれ、秋のキャンプ合宿を楽しむことができました。心配したワタシの体力も全く問題ありませんでした。気になったのは、朝晩が相当に寒かったことでしょうか。こんなに寒い秋合宿は記憶がありません。

くそ暑い夏と比べたら最高のコンディションではありますが、水に濡れたら震えが来ますので、これからの時期はウェアリングの準備に気を使って頂きたいと思います。

2011年9月3日土曜日

長いこと考えていたこと

ほとんど無意識の状態で自分がやりたいなぁ~と考えていたことがある。もちろんカヤックや登山やスキーとは違う。それらを楽しみながら、漠然とやりたいと考えていたことがある。それを説明するためにここで書いている訳ではないので、その中身は省略するが、不思議なことにそのことを長い間考えていると、不意に突然向こうからやって来る。

途中で嫌な思いをして止めたくなってもそれは許されず、そこからはもはや逃げることはできない。次から次へと新たな優れた環境がワタシを追いかけて来る。ワタシは何もしていないのに、知らず知らずの内に、素敵な人が一杯ワタシの目の前に現れる。もちろん素敵に値しない方々も時には遭遇するが、それはすれ違うだけのこと。

求め続けていれば、こちらがそこへ到達する前に、向こうからやって来ることがあるような気がしてならない。しかし、その途中でこっちから向こう側へ行ってしまう要素があるとすれば、それも避けられないプロセスなのかも知れない。向こう側へ行ってしまう要素があるから、こっちの側へやって来ることができるなんて言っても意味不明だが、最近良くそんなことを考える。

しかしまた求め続けることを止めると、きっと求めていないものや人がいっぱい転がり込んでくるんだろうな。

8月は暑さでほとんど脳死状態で雑念すら起きないヘバリが来ていましたが、このところ少し復活して来て、その求めるものをもうひとつ追加しようかと考えている。はっきり言って体力と気力がかなり厳しいが、来年からはまた新たなチャレンジを考えている。もちろん考えているだけで、実行する予算も場所もない。だからひたすら考え思い向こうからやって来るのを待つしかない。

そう言えば、カヤックも登山も自分なりに経験値だけは増やすことはできたが、納得いかないのがスキーだ。シーズンが短いのがネックだが、本当の問題は先ほどの「求める度合い」がやはりかなり低下しているのではないか。昔は時間さえあれば1ヶ月間乗り続ける欲求があったが、最近は週一回も行けば満足だから、これじゃ駄目だね!

明日は早く台風が去ってくれることを祈る!

2011年9月1日木曜日

多種類のロールを習得しよう!

前回の続きですが、ロールが1種類できれば、全くできないよりはかなり精神的にも余裕が出てくるはずだが、ワタシならば、あるいは向上心あふれる方であるならば、もう少し覚えようではないか・・・と欲が出て来るのが普通ではないかと思う。人にカヤックを指導している方なら、尚更そういう意識が高まってくるはずと思うのだが、1種類でいいと仰るシーカヤックの指導者は水とのコンタクトを高めることには、ほとんど興味がないのかも知れない。

まぁそれはともかく、例えばショートRが右側1種類しかできない場合は、仮にそれがかなり確実にできるとしても、万が一それを失敗したらやっぱり沈脱ですよね!そしたらあの面倒くさいセルフレスキューをしなくてはならない訳で、まぁそれが大好きな方ならともかく、普通我々はそういう状況を避けたいと思う。だったらどうすれば良いか?

万が一、ショートRを失敗したらそれを補完するロールをもうひとつ習得すればよい。そのショートRよりも簡単なロールを習得すればよい。それが具体的に何であるかは、ここでは申しませんが、ショートRは結構難しいロールなので、それよりも簡単なロールをもうひとつ覚えておくとロールの確実性はより一層高まるはずだ。

普通はもっとも簡単なロールから指導をするが、あまりロールを教えたくないスクールでは一番難しいロールから指導をしているようで、このショートRをいきなり教えているところが未だに結構あるようだ。だから指導する側もされる側も1種類を覚えるとヘロヘロになるのかも知れないが、看板に負けないほどの中身を持っていたいならば、ロール指導の方法もまだまだ研究の余地があるようだ。

またロールはレスキューの為というよりももっと積極的な意味を持っていることも、指導者はしっかりと理解すべきだとワタシは思う。ロール技術を4~5種類覚えると、今まで見えていなかった水とのコンタクトの取り方や、あるいは練習方法が色々と考え出せるようになる。また中間ポジショニングの技術習得への道も見えて来るし、練習そのものが非常に楽しくなって来る。そうでなくてはとても練習が楽しく長続きはしないのではないか・・・?

今ワタシはロールのことしか書いていないが、これをひとつの軸にしていけば、ロール以外の練習が非常にやりやすく楽しくなり、その結果は水とのコンタクトが非常に高まってくるはずだ。ロールは1種類でいいと言う方は、海での楽しみ方の可能性を根底から考え直すべきではないだろか?!

2011年8月30日火曜日

ロールは1種類でいいのか?

ワタシがカヤックを始めた頃は、ロールができる人が本当に少なかった。ワタシの周りには一人もいなかった。それができると神業のように思えた。物凄い技術力のある人だと勝手に思ったものだ。しかし最近では、ごく普通の技術のように普及してきたように思う。ただまだ誰でもができる技術には至ってはいないが、それでも多くの人ができるようになってきたし、ロール教室の看板を上げているところは当たり前になってきた。それは良いことではないかと思うのだが、しかし実際に気合を入れて指導をしている所は少ないようにも思える。

実際のところ商売としてロール教室を考えると、あまり儲かる分野ではないかも知れないが、そう考えたときに、実はこのロール教室はある意味で商売の邪魔になっているのかも知れない。もちろんワタシはそんな風に考えたことは一度もないが・・・。ロールを習いに来た「お客さん」にロールは1種類でいいですよって言うイントラがいるとすれば、本心は「そんな面倒くさいことしないで、ツアーに行きましょう!」って、「その方がお互いに楽だし、一度に沢山の参加者を擁することができる」ので商売も成り立つことになる。

最近はシーカヤックスクールと言う言葉を掲げているところが本当に多くなったもんだと感心するが、スクールと言う言葉は使えない、使うべきでないところが掲げているとしたら、ロールは1種類でいいよ・・・なんてことになってしまうのかも知れないね!別に1種類でも本当に確実にできるのなら、まぁそれはそれでもいいとは思うけれどね!

ただその辺のところを少し詳しく考察してみると、一般の個人がそう考えるのは一向に構わないが、人に操作方法を指導したり、指導者を養成するようなイントラがもしそんなことを考えたり言っているとしたら、「失格」以外のナニモノでもない。

ロール1種類というときに恐らく、片側ロールの1種類をさして言っていると思われるが、それも多分ショートロール1種類ではないか。恐らく左右のロールは必要ない・・・と考えているのかも知れない。

穏やかな海であれば、右ロールが1種類確実にできれば特に問題ないが、波や風や潮流や転覆した場所によっては、左側からしかできないときもある。もちろん、稀なケースではあるが、実際にそういう反対側のロールでしか上がれない状況もある。波打ち際などで撃沈したときなどは、上がってくる側を選択できないケースがある。そうした状況を想定したときに、「ロールは1種類でいいよ」っては指導者としては絶対に言えない。

また他のパドリング技術を習得練習をしているとき、例えばドローストロークやハイブレイスなど、これらは左右確実にできた方が良いが、左側の練習をしているときに失敗をしてドブンとなればロールが役立ちますよね!左のロールができれば、もっと役に立ちますよね!水の中で一回転しなくていいですからね!ロール1種類でいいよって言う方は、きっとこんなドローとかハイブレイスなどはほとんどやらないんでしょうね!

水とのコンタクト考えるときに、「1種類ロール」のことを想起すると、最初から何かを放棄しているようにしかワタシには思えない。カヤックに乗ってこれでもかこれでもかと練習を積み重ねて来た方の言葉とは到底思えない。

続く

2011年8月23日火曜日

円高の根拠は・・・?

基本的にワタシは大新聞を信じていない。しかしコーヒーを飲みに喫茶店などに入ると、そこに置いてあるのはまぁ大体、読売とか朝日や毎日。山陽新聞なども置いてあるがあまり書いてあることは当てにならない。読売などは「増税ありき」の新聞で、国民を愚弄しているとしかワタシには思えない。また日経などもかなり主観的な論調が多く、ワタシにはどうも隠し事をしているようにに思えて仕方がない。


その日経がたまたま入ったモスバーガーに置いてあったので、目を通した。円高の記事が書いてあった。フムフムどれだけタメになることを書いてあるんやろかと思い読んでみる。ナゼ円高になるのか問われれば、それは円が買われるからだと。それは誰だって分かる。ではナゼ円が買われるのか?それは円の世界経済での取引量が3番目に多いからだそうだ。


ドルを売って円を買うのは、円を持っていても売ろうと思えばいつでも売れるからだそうだ。しかしドルは世界で1番取引が多いのにナゼ売られるのか?全く説明ができていない。取引量で説明するなら、ドルの方が多いわけだからドルをみんな買うはず。なのに3番目に多い円がナゼ買われるのかの説明は全くない。


今日本は大きな財政赤字を抱えている。収入よりも支出の方が多い(らしい)。確かに帳簿上は大赤字だと出ている。しかしそれでも円は世界で評価されその購買力はどんどん上昇している。しかし韓国やギリシャではそうではない。日本の円だけが上昇している。価値もないのに上昇しているのだろうか?それとも政策でそうなっているのだろうか?アメリカの輸出を助ける意味もあるのかも知れないが、だとしても財政赤字の国の円がこれほどまでに上昇するだろうか?

ここに日本の政治家や新聞やテレビの大きな嘘があると考える。ナゼそんな嘘をつく必要があるのか?消費税を上げるために・・・である。上げてどうするのか?国家予算を増やして、政治家・官僚・大企業・マスコミが補正予算などを通じてワケワケするために・・・ね!一例を挙げれば財務省の外為の会計だけでも100兆円前後のお金がプールされていると言う。皆さん、100円じゃないですよ!100兆円ですよ。


そして恐らく他の省庁でも、何らかの形でプールしているお金は所謂埋蔵金として存在するでしょうが、それらが震災復興になど使われることはまずないでしょうね!なんとか予備費とか、なんとか調整金とか、都合の良い名前を付けて恐らくプールしているのでは。それと最近ではテレビでも新聞でも全く報道されなくなった特殊法人だが、これは補正予算を組む度に、それを執行するためのなんとか機構を作って、役割が終わると仕事もないのにそのまま残して特殊法人化する。そこへ新たに官僚が天下って行く。


これらの特殊法人へは各省庁を通じて毎年税金が投入される。しかしその法人にプールされた余剰金は二度と国家予算へ戻っては来ない。仕事しないで週一回1時間ほどの会議に出るだけで、月収は数百万円の元官僚がいっぱい。数年在籍して退職すると、これまた膨大な退職金をもらい、法人の渡り鳥と化す。


そしてこのシステムを打ち壊す権力を握った政治家が出てくると、官僚たちはその政治家の家族や親族を天下り先の法人の役員にして膨大な収入を約束する。民主党の代議士が政権を取ってから誰一人として特殊法人の廃止を言わなくなったようにワタシは感じるのですが、そういう「接待」によって甘い汁を吸わされて、だれもかれもが骨抜きになってしまったのではないか?!


ワタシは円が強い本当の理由は、実はこの辺りに隠されていると考える。100兆円の国家予算があるとして、そのうち本当に国民のために使われているのは、一体どれくらいだろうか?と良く考える。30兆円くらいは国民に還元されているのだろうか?とある方に話したら、その方はいやそんなには還元されていないでしょう・・・と。


日本のマスコミは本当のことを全く書かないけれども、世界のマーケットは円高を通じて我々に真実を伝えようとしているのかも知れない。

2011年8月22日月曜日

タンデム艇でもスカートは必須!

先日ある方から電話がかかってきた。すぐにテレビを見てください。シーカヤックの取材番組やってますから・・・。スイッチを入れると確かに、有名人がタンデムに乗って、馬鹿みたいにワァ~ワァ~騒いでいる。だからどうした・・・と漠然と見ていると、アレレ・・・誰もスプレースカートを装着していない。もちろん腰にも付いていない。

こういうのを嘆かわしいと言わずしてなんと言えば良いのだろうか?海が荒れていないから装着していないのだろうか?それともタンデムのコックピットには水が入らないと思い込んでいるから装着していないのだろうか?それともそもそもスカートなんて使っていないのだろうか?主催しているカヤックの運営業者にもガイドにも取材するテレビ局側にもすべてにわたって問題がある。大有りのコンコンキチだ。

もう少し突っ込んで考えてみてほしい。確かにタンデム艇の幅や深さは一般的には個人艇よりも広いし深い。しかしだからと言ってタンデムに水が浸入しないと判断するのははっきり言って大間違いだ。タンデムにだって海が荒れたら水は入るし、水が入れば操作はより一層やりにくくなる。場合によっては転覆だって充分考えられる。出艇場所から近いからとか海が穏やかなときしか出ないからスカートは不要だと考えるならば、カヤックを職業にする資格はない。

それからテレビの取材だが、公共の電波を使ってシーカヤックの紹介をするときに、装備をきちんと揃えていない業者を利用するのはやめろ、馬鹿たれ!オイ、安住、聞いてるかぁ~?柄杓を用意するくらいなら、スカートを用意しろ!岩の上から降って来る水がおいしいとかおいしくないとか、カヤックとは関係ねぇ~だろ、馬鹿もん!その他の芸能人も一体何なの?ただの客寄せパンダじゃないのかえ~?!

ところで、もう随分以前にも指摘させて頂いたが、シーカヤックの検定を実施して指導者を認定するスクールのHPを開くと、日ごろから切磋琢磨して技術を向上させ磨きをかける努力をしているファイルは1枚もなく、子供たちやファミリーが入り江の中で水遊びをしている風景写真が出てくる。そして乗っているカヤックに誰一人スカートを装着していない。入り江の中だからスカートは要らないと判断したのかも知れないが、スカートを装着しないで一体何の練習をするというのだろうか?まるでふざけたスクールと言う他はない。

そもそもシーカヤッキングは命をかけた遊びだと言う認識が欠片もないからこんなことになるのではないだろうか?!

2011年8月13日土曜日

タンデムとロールの話 その他

1)シーカヤックのタンデム(2人艇)にスカートを着けず漕いでいる体験ツアーをテレビでやっていた。そのことについてワタシは相当に怒っている。能無しの観光シーカヤックツアー、観光シーカヤックツアーガイド、テレビのレポーター、馬鹿たれ芸能人の皆さん、もっと責任ある行動や発言をして頂きたい。取材するにしてももっと勉強をしてからやって頂きたい。

2)ロールは1種類覚えればよい・・・と考えるのは自由だし、別に覚えたくない人はできなくても構わないとワタシは思っている。しかし普通の人間の神経と言うか脳みそを持っていたら、もっと世界を広げようと思い、色々と新しい領域へチャレンジしていこうとするのが当然じゃないかと考えている。特にインストラクターや指導者を指導しようとする人なら尚更そういう探究心は必要じゃないかと思うのですが、・・・・。その辺のお話をしてみたいと思います。

3)本当のことを書かない大新聞。なぜ円が高くなるのか?日本の財政赤字は政府や大新聞の演出でしかない。何のために?消費税を上げるために。では誰のために消費税を上げるのか?働かないでも月収が100万~300万円にもなるような悪人の為に・・・。特に読売新聞は酷い。もちろんNHKなども本当のことを放送しないし国民を愚弄している。

こういう事柄についてこれから少しずつ書いていこうと思う。本当はもっと楽しい内容の事柄を書きたいのだが、最近のいい加減な腐敗堕落したテレビや生活に苦しんでいる人々からさらに税金を搾り取ろうと画策する新聞や政治家を許すわけにはいかんでしょう!折角あのボケ総理が辞めてもまた同じような財務省よりの大先生がなったら今までと全く同じこと。国民は永遠に騙され続けなければならないのですから、声を大にしてワタシは申し上げたい。



2011年8月11日木曜日

散々な1日でした!

昨日から買ったばかりのPCの調子が悪く、日本語入力ができなくなったり、メールが送れなくなったり、大変だった。おまけに古いPCのファイルを取り出そうとHDを購入したが、こいつがさっぱり作動して紅のブタでした。その紅のブタと今日は終日お付き合いをしていた。なんか知らんけれどそのHDの中には色んなソフトが導入されていて、そいつが全部お任せでやってくれるらしい。

おっ、助かるやんか一晩過ぎて中を覗くと何も入っていない。一旦はバックアップしておいて、完了するとそれらを全部消去してくれるから有難い。なんじゃらほい。最初のセットが悪いのだろうと思うのだが、よくわからんから、ブちぎれてそのHDの中のソフトをすべて消去してあげたら、とてもすっきり。僅か1時間くらいでほぼバックアップを終了。

そしてついでにウイルスソフトのゼロもついでにアンインストールした。こいつは結構生意気で、毎回ウィンドウズ7導入がされていませんと表示されるのにはもうウンザリだ。そしてバックアップ機能もまだですよ!って、開くと有料になっている。こういうのはとても嫌な感じしかしない。もう早くサヨナラしようと思っていたが、今日実現した。そしてバラキさん推奨の無料のセキュリティソフトを導入したが、今のところ催促がましいメッセージは来ていない。

そして旧PCのHDのファイルをほぼ全部抜き出し、FTPソフトも一回アンインストールして再度インストールすると全然普通に使えるようになった。使えなくなった犯人がゼロかどうかは不明だが、非常に怪しい気がする。しかし、もう新しいPCの速さに慣れてしまったので、古いのをメインに戻すわけにはいかないし、新しいのを導入してよかった。非常によかった。それはゼロに感謝しないといけないかもね!

バラバラ感 その2

このバラバラ感は神経質なワタシにはとても耐えられないのですが、不思議なことにパチンコ店などのジャラジャラの音はほとんど気にならないから変な話です。たぶん五月蝿いけれど一定の音量でその騒音にあまり変化がないからかも知れませんが、まぁいずれにしても人が集まる場所で、誰かが乱雑な行動をしたり音を出していると、ワタシのイライラはすぐに頂点に達するのです。

映画館や喫茶店、あるいはライブハウスなども、時に非常にバラバラ感を感じる場所がありますが、そういう場所はすぐに行かなくなります。映画が始まっているのに、よく聞こえる小声で話すカップルがいたり、誰かが演奏しているのに酒を飲んでワァ~わぁ~言ってる人がいるライブハウスなどは、もう最高のバラバラ感を感じさせて頂けます。

映画の場合は問答無用ですが、ライブハウスなどはそれはそれでOKという雰囲気があって、そういう場所だと思えば良いということを多くの皆さんに教えてもらったが、フトそのときにカヤッキングのことを思い出したのであります。そこなんだな・・と思ったのでした!ステージで下手糞でも上手でも一生懸命に演奏している人がいるのに、その前のテーブルでみんなワァ~ワァ~喋っていて、それが当たり前になっている。これはワタシは非常に失礼だと思うだけでなく、もうひとつ重要な何か気づいていないように思うのですね!

カヤッキングが全体としてなかなか向上して行かず、未だ陰に隠れて昼間から飲酒パドリングなどやらかしているのだろうと思われますが、ここなんですね!重要なことは!回りがもっと真剣になって見ていれば、恐らくそういう現象もなくなるとは思うのですが、どこぞの看板だけのイントラの方々さえも実行されているらしい飲パドに溺れていては、到着した無人島では到底練習モードなどにはなるはずもありませんね!かくして看板に頼らざるを得ないということなんでしょうね!

まぁその看板なんとかはさておいて、バラバラに集まりバラバラな行動をしてバラバラに帰るなんて状況は基本的にはワタシの頭の中にはありませんが、これは法律に違反しているわけではありませんから、各自の自由なんでしょうが、これは楽しい自由なのかな?といつも思ってしまうのですね!結局バラバラを自由に気ままに楽しんでいる人たちは、楽器で言えば、人が賢明に演奏しているのにザワザワしている連中は恐らくロクな演奏ができていないのではないか?!カヤックではそういう人たちは自由気ままに操作できていないに違いない。

そんな意味では自由な時間を自由に楽しむにはそれ相応の努力が必要なんだといつも思うと同時に、乱雑感やバラバラ感を実はワタシも時々でいいから楽しめるようになりたいものです。なぜなら乱雑さや不整合を少しでも感じると、すぐにそこを抜け出したくなるんですから・・・。そしてその割りに自身に整合性や統一性を感じられないのですから、本当に困ったモンダミ~ン。

2011年8月10日水曜日

バラバラ感

ワタシがカヤックを始めた頃の話ですが、まだ趣味で漕いでいた頃ですが、あるカヤックの集いがあり、近くの島まで10人くらいでツアーに行くことがよくありました。カヤックの性能も乗り手の技量もバラバラで、ツアーグループもバラバラ、色々とバラバラでした。

ひどいなぁ~と思いつつ他に仲間がいなかったので、ある意味で仕方なく参加していましたが、毎回同じことの繰り返しで、ほとんど進歩がなく、しかも練習なんて行為は特別視される感じでした。そんなことよりも海藻や貝を見つける方が重要でしたし、食事が終わるとその日のツアーは終了って感じで、そして帰りもてんでバラバラに帰るので、先頭と最後尾の距離は果てしない長さでした。

ワタシはその頃からカヤックにもパドルにもその他の装備にもツアーの方法にも練習態度もすべて納得がいかず、頭の中で色々と試行錯誤を繰り返して、良いと思うことは即実行していました。当時ロールなんてできる人は周りにはほとんどいなくてほぼ神業でしたが、何とかなるだろうと思い闇雲に練習をして悩んでいました。

今思えば、途中でよく諦めなかったと我ながら感心するのですが、あの何とも言えぬ落ち着かないバラバラ感に安住していたら、今のカヤックもパドルも練習体系もツアー方法も生まれて来なかったに違いない。せいぜい60km程度の距離を何日もかけて漕いでカヤック大冒険と自慢しているかも知れない。まぁこっちの方が儲かるのでしょうけどね!

距離はしっかり漕げるのだが基礎練習やツアー訓練を受けていない方が来て、いきなり一緒にツアーなどへ行くとガイドをしているワタシはたいそう疲れます。そういう方は動きがスマートではなく、結構自分の好きなペースで漕いだかと思うと、行きたい方向へ漕いで行ってしまう傾向にあります。グループで纏まると言う意識が弱いと、一緒にいて漕いでいるときに大変疲れますね!

話は少し飛びますが、ファミレスなどでランチを食べていると、当然家族連れがたくさん来ていてごったがえしていることがよくあります。子供が泣きわめく、走り回る、母親は見て見ぬふりをする。この乱雑感と先ほどのカヤックのバラバラ感が妙にどこかで繋がっているように思えて仕方がありません。うまく説明できませんが、どちらも「訓練」をされていないからだと思うのですが、皆さんどう思われますか?

カヤックに乗るのに訓練は必要と今なら多くの方がそう思うとワタシは信じたい。しかしファミレスへ行くのに訓練とは何事ぞ?ちゃんと子供をしつけてからにして欲しいとワタシは思うのですが、靴を履いたままシートにあがる子供を見てその親が何も注意をしないのを見る限りそれは望めそうにない。だからファミレスの乱雑感はおそらくほぼ永遠に続いてくれるのでしょうね、きっと。

ところで、ここまでが前座で言いたいことはこれからで~す。続く

2011年8月7日日曜日

ロードちゃりでどこへ行く?


つい先日こんなチャリを買いました。カナダ製のロードちゃりで重量は10.6kg(?)だったか、とにかく軽くて坂道もよく上ってくれます。山に登っていた頃はこのタイプのちゃりによく乗っていました。久しぶりに乗ると色々と感覚が鈍っているのが良くわかります。

まずバランス神経が衰えているのと周囲の状況を把握する感覚が非常に鈍っていて、車が頻繁に走る道路は非常に恐ろしい気がしますね!しかし今日は少しバランスが良くなったような気がして、夜中にちゃり専用道路を走る気持ち良さを実感しています。

それにこのところの体調不良の薬になって、少し気力が回復してきているようです。毎日1時間も乗れば体力も徐々に回復してくれそうな予感がしていますが、実はこのちゃりは女性用なんですね!あと1週間ほどで乗り手が変わります。最高級のちゃりではありませんが、そこそこ楽しめるのではないかと思うのですが・・・。

最近はカヤックに乗っていてもすぐにお尻が痛くなるほど、お尻周りの筋肉が落ちてきていて、このちゃりに乗っていてもすぐにお尻が痛くなるので、また山でも始めなくてはならないかも知れませんね!そして1日乗っても大丈夫なケツ筋を鍛えなくてはなりませんナ。

ちゃりの目的はレースに出るのでもトライアスロンをするわけでもありまへん。買い物と図書館通いと実家に戻るときに使おうと思っているだけですね!1リットル141円もするガソリンを使って車を走らせるのが非常に馬鹿馬鹿しいのですね!貧乏であるということも理由の一つですが、その中に含まれている税金が正しく使われていないに違いないということを強く感じるから余計に車には乗りたくないのですね!

車を使用するのはカヤックに行くときと、大きな荷物を運ぶときだけにして、岡山県内の移動はすべてちゃりで・・・そんなことを考えているのですね!馬鹿ですね!高級車に乗ってガソリンを使いまくり格好いいですね!って言われるより、どこに行くのも全くガスのいらないちゃりに乗って馬鹿ですねって言われたいのです。

新しいノートPC

まだメインPCの状態は良くないままですが、何とかノートでも更新がスムーズにできるようにしました。
必要なソフトの導入もほぼ終了して、メイン機能を維持できそうです。いつも思うことですが、もっと早く導入しておけば良かったぁ~・・・と。

がしかしこのままではあまり仕事がはかどらないので、メインPCの入れ替えの必要ありですが、もう少し先になりそうです。

このところずっと体調が思わしくなかったのですが、ひょっとしたらPCの不調が原因だったかもしれません。よくわかりませんが、更新が比較的スムーズにできるようになると体調もかなり改善されましたから、そんなところから少しずつストレスが溜まってきていたのかも知れません。

PCを換えたついでに携帯も換えようかと考えています。人気の良くないソフトバンクは通話料金がトータルで安いと考えて使っているが、1ヶ月の料金は全然安くないのは不思議ですね!通話料金でとれない分をネット接続で取り返しているのだろうか?どうもここもイマイチ信用できないのです。機種変更の時も騙されましたしね!心から良心的なところはないのかね?!

ガソリンで騙され、高速道路で騙され、子供手当で騙され、高校無償化で騙され、原発で騙され、退陣で騙され、一方では天下り先機関は増える一方なのでしょうが、そろそろおとなしい飼い慣らされた人々も我慢の限界まできているのではないでしょうかね?!ワタシャ~もう随分前から怒り狂っていますが、皆さん黙ってないで、声にして文字にして気持ちを外に出していきましょう!

2011年8月4日木曜日

落日のビックカメラ 

一昨日用事があって久々に町中へ電車で出かけた。岡山駅のすぐ傍のビックカメラによってチラリとPCを見て回った。手頃な価格のノートパソコンがあって夏の売り出し中だった。この時に手持ちの金は小遣い程度しか持ってなかったので、その翌日再び店に行った。

店員を呼んで、このPC下さいって言うと、店員はしばらくお待ち下さいと言って、在庫を調べに行った。すぐに戻って来て、すいませんもうなくなっていますとのこと。それじゃ~残っているこの展示品を下さいって言うと、これはすぐには販売できませんて仰った。色々準備をして明日の夕方になりますと仰った。そんなハズはねぇ~だろうと心の中で思った。なんかねぇ、少し嫌なモノを感じて、ナラ要りませんて言ってその場を去った。

それから他の用事を済ませて、再びビックカメラへ寄って、そのPCの売り場へ行った。きっと「売り切れ」の表示があると思ったが、全然変わっていない。売る気満々の状態でそのPCはそこへ鎮座なさっていた。

道理で安いと思ったが、まさか「疑似餌」として展示しているとは思わなかった。これでは民主党のマニュフェストと同じではないか?!この疑似餌に引っかかって別の高いPCを購入した人もいるかも知れないが、疑似餌と気づいてこの店の商品を買わなくなる人がいることを経営者は考えていないのだろうか?!

少なくともワタシは二度とこの店で商品を買うことはないだろう。別に心配はしていないが、近いうちに本当の閉店セールがあるような気がする。サヨナラ ビックカメラ!

2011年7月28日木曜日

新しい風

昨日まではかなり厳しい風が吹いていて、砂嵐の砂漠を歩いているような気分に支配されていたが、やっと脱出してその向こうにちょっとした草原が見えるようになった。しかしまぁ草原までたどり着くと再び砂嵐かも知れないが、今いるこの場所でのそれよりもまだマシだと思いたい。何故ならそこには必ず新しい風が吹いているからね。

新しい風といっても全然普通の風なんだけども、なかなか普通の風は見つからない。心地よい普通の風はそう滅多にない。あの無人島に吹いてくる風がそうだが、現実にはそんな風は殆どない。酷く暑いか、もの凄く冷たいか、あるいは無風状態。無人島ではこの無風状態が一番嫌だね。現実にはこの無風がどこでも吹いている。しかしワタシは人間としてとても未熟だからこの無風を美味しく食べることができない。

多分自分の生きる世界をまだまだ構築できていないからナンだろうね?!まだ強い風の方が有り難い。中味のない風だと結構辛いが、それでも無風よりは凄くマシだ。冷たい風ならそれも有り難い。しかし無風は一番手強い。こいつが一番苦手で、どうしようもなく苦しくなって旅に出たくなる。でも旅の行き先もないからこれまた困ったもんだ。

しかしなんだかんだと言っても明日からは新しい風が吹くことになっていて、多分感情もまた動き出すだろう!でなければ無風を美味しく食べなくてはならないが、それはワタシには全然できないから、明日からちょっと座標軸を変更してみよう。そうすればきっと新しい風に出会うハズだが、だからってそれが楽しいと言う保証はどこにもないから面白い。

来るならコイやって元気もないクセに新しい風に当たろうとしてどこかで朽ち果てるのかも知れないが、闇の中で幾ばくかの明かりが見えたら、それを頼りに歩いてみようと、冷蔵庫の中のモノ達が騒いでいる。まだ彼らに裏切られるほど衰えてはいないとは思うのだが、そうまた明日から山の向こうを見るために新しい靴下を買いに行こう。

そしたら裏山にはもうナニも残っていないかも知れないってバレルかも知れないがそれを恐れていては、現実はとてもじゃないが壊せない。新しい風なんて言っているが、きっとそんなモンどこへ行ってもないに違いないが、なんだかそれがあるような・・・そんな気持ちが一番大切じゃないのかなぁ~?!

結構戦って来たつもりなんだが、ナニかが足りないんだよな!悲しい訳でも苦しいのでもない。ただちょっと疲れはいるけれどね。確かに。もちろんミネラルやビタミンなども大いに不足しているんだろうが、それよりももっと重要なモノが一杯腐りかけているから、ナニか強烈に冷却したり焼却できるエネルギーのような風を求めて、深窓への旅をしなくてはならないのかもね・・・?

ワタシは遂に狂ったのかも知れませんが大丈夫です。全然大丈夫です。まだ無風の風は食べられないですからね!ハハ。

実は唄う詩を作ろうと思っていて色々と考えていると、ついつい政治のことが頭に浮かんで腹が立つことばかり。自分のことを考えるとなかなか前途多難。このところ空気が読めなくなったのか、それとも読み過ぎているのかそれも分からない。そして色々と思考を巡らしていることが、多すぎるのか少なすぎるのか、その辺の基準が分からなくなったのも事実。考える時間が多いのも事実。しかし寝るばかりしていてナニもしてはいないのだが、と焦る気持ちが・・・ナニを焦っているのかと自問をするんだよね。

明日からちょっとだけ頑張ります。沈。

2011年7月26日火曜日

汗をかく

今年の夏はとても涼しいから汗をかいていない。とそんなことを書くつもりはないが、今年はほとんど汗をかいていない。かかなくてはならないと思いつつ、暑いと外には出ず家の中でこっそり休憩をしている。ナニもしていない。いやナニもできない。これではイカンと思いつつ夜中になるべく歩くようにはしているが、夜だとあまり汗をかかない。汗をかいた方が身体にはいいみたいだが、安易な方へ流れている。

話は逸れますが、ワタシの崇拝するフォークシンガーはステージに上がる度に大汗をかいている。着ている服が汗で濡れているのがはっきりと分かる。ワタシはこの方の人気の秘訣はやはりこんなところにあるのではないかと考えている。汗をかけばそれで良いというモノではないが、良い歌を作り唄っているのに、なかなか人が集まらない人気が低迷しているミュージシャンの魅力が伝わらないのは、汗の量が少ないからではないのか?と思うのです。

何十年もプロのミュージシャンをやっていても集客力がないのは、もちろん宣伝も下手くそなんでしょうが、汗をかくほど全身全霊で唄っていないのではないかと思うのですね!最近、コンサートのチラシを頂く機会が多くなり、どんな歌を唄っているのかとyou-tubeで確認をすると、大抵が没。自分が持っているエネルギーの100%を使い切ろうとしていないし、パワーがない。これでは大きなホールを借りてやっても10人集まればいい方かな・・・と感じてしまうワタシが良くないのでしょうか?しかし魅力を感じないのはワタシのせいではないでしょう、きっと。

昨年だったかあるところで弾き語りのライブがあったが、唄った方はセミプロだったでしょうか、しっかり汗をかくほど唄っていました。もうビッショリでした。でもギターの演奏は最悪でした。素人以下で、これでは折角の美声が台無しでした。前座で演奏していた女性の方がはるかにギターは上手でしたから、こういう方はエネルギーの問題ではなく繊細な感覚を養うべきなんでしょうね。まぁワタシのような音痴が言うのもナンですが・・・。

まぁそんな訳で汗をかけばそれで良いというモンではないと思うのですが、歌もギターも上手で良い曲を持っていても売れていないのはエネルギーを爆発させていないからではないかと思うのですが、ミュージシャンを評価するときにそう言う見方をする人はあまりいないかも知れませんね!

実はこんなことを書こうと思っていたのではなく、シーカヤックを業にしている人達のことを批判しようと思って書き始めたのですが、そこに至らずこんな結果になってしまった。音楽をやっている人達は上手い下手は別にして、みんないつも練習を心がけているが、一方シーカヤックを仕事にしている人達の中で一体何人の人達が日々練習をして精進しようとしているだろうか?カヤック雑誌を作ったり書いたりしている連中は特に最悪だ。命がかかっている遊びであるという意識が低すぎはしないだろうか?また遭難した責任は棚に上げておいて如何に救出したかを自慢する輩もいるから、カヤックの世界は嘆かわしいことこの上ない。

この業界のいい加減さとゾンビ首相の「根性」が如何にも表裏一体のように感じられてしまうのはワタシだけなんでしょうかね?!

2011年7月22日金曜日

語るに落ちた会話

これはカヤックとは全く関係のない世界でのお話ですが、日常生活で時折知人に出くわしお話をしていると、それがとても気晴らしになったり、また一方では暗い世界へ引き込まれたりします。まぁこれが人間の世界なんだと最近になってようやく分かりかけたところなんですが、その辺の領域をもう少し詳しく考えてみたのです。

久しぶりに会ってお話を伺うと、とても意気軒昂にこれからの未来をそして現実を熱く語る方と時間を過ごした後と、如何に自分が不幸であるかをとうとうと語るのを我慢して聞いた後ではこちらの気分の状態に雲泥の差があるのはお分かり頂けると思います。

しかしこの差は一体どこからやって来るのでしょうか?ワタシにはさっぱり分かりませんが、付き合うなら前者の方を是非とも選びたいと思うのであります。何故なら一緒に居て楽しいし時間を無駄にしている気がしないが、後者の方と共にいるとできるだけその場から逃げ出したい気分になるのですね。

非常に恐ろしいのは、不幸を売りにしている方は、その不幸の原因が一切自分にはなかったような話し方をされるのが常で、実はそれがその方の不幸の原因の80%以上を占めているのではないかと思うのですね!そして更に更に恐ろしいことに会話の途中に本人は全くの冗談のつもりなんでしょうが「相手を相当に貶めている」ことがしばしばあることに気がつきます。そして非常に不愉快な気分になって、その人の不運の空気がワタシを覆い尽くすのではないかと逃げ出したくなるのですね!

その時にワタシは心の中で「このような方に仕事の依頼をすることも、一緒にナニかを活動することも100%ない」ことを確認するのですね。そしてその人の周りには降りかかった不幸の原因を全く考えない人達が集まり、お互いを辱め貶め暗黒の世界へと導きあって生きて行くのでしょうか?

ところでひょっとしたらご心配の方もおられるかも知れませんので、これはもう10年も20年も前のことをふと思い出して書いているだけで、今現在の話では全くございません。ただひょんなことで思い出し突然書きたくなっただけのことでございます。

今現在ワタシ自身はカヤック関係にしても音楽関係にしてもその人間関係は非常に恵まれた環境にありナンの不満もないのですが、自分が自分に対して納得のいかないことばかりで結構不満が蓄積していて、その原因はどこにあるのかと考えている内に、そんな大昔のことを思い出し、曰く反省しているのであります。自分に対して「語るに落ちてはいないか?」と自己検証をして、また新たな一歩を踏み出そうと逡巡しているのであります。まぁ所謂悪循環って奴ですね!

しかし考えてみれば、カヤック修行時代に一体どれだけ悪循環を繰り返して来たことか?しかしそれを悪循環と考えたことは一度もなかったことを明確に記憶しています。ここまで来てナニかやっと分かったような気がしているのですが、悪循環をするなら最低でもやはり半年とか1年くらいはやらないと良循環には感じられないのかも知れませんね。特に最初の段階では・・・ね!

2011年7月21日木曜日

合宿を終えて・・・

このところ頗る体調が悪く「寝たきり老人」になりかけていた。それ故海の日の合宿もお休みにして完璧な寝たきり老人になろうかと考えていたが、2年ぶりに「社会思想家」の方とお会いしてお互いの「僅かばかりの不幸」について、島の木陰で論じあっている内にかなり体力が回復してきた。

初日は朝から晩までカヤックに乗らないカヤック合宿だった。とにかくこれからの未来について語り合った。もちろん現実社会の「いい加減さ」についても・・・。社会や自分自身を色んな角度から切り込んだ会話をしている内に少しずつ体力が回復してくるのを感じた。

そしてその翌日はここでは語れないリゾート気分に浸っていた。が島を取り巻く潮流はアチコチに渦ができ逆巻いていた。そんな悪条件のなか寝原寝蔵さんがやって来てグッスリ眠って目を覚ますや否や逆巻く潮流の中を颯爽と帰って行った。

夕方頃島の周辺は台風の影響で風が吹き海は少し荒れ気味だった。翌日の天気が心配だったが、曇りのハズが雨が降り出した。フライなしで寝ていたら、網から雨が落ちて来て濡れてはいけない荷物をテントの中へ急いで入れた。

しかし心配していた風は弱く海の表面も比較的穏やかに見えた。雨が降っているので、行動食のみで朝食を終わらせ、急いで荷物を片付けカヤックに詰め込み午前中に撤収を完了した。

ところで話は全然飛んでしまうのですが、日本では独創的な遊びや考えが広がらない傾向に昔からあるとワタシは思っているのですが、最近また特にそう言うことを強く感じている。例えば、ワタシがカヤックを職業にしていると、確かにそれは職業としては厳しいのは間違いありませんが、「これでは<カヤックでは>食っていけない」とどうして決めてかかるのだろうか?と不思議に思う。

カヤックに興味がない人から見れば、どうしてあんな遊びをしてあるいは教えて食っていけるのだろうか?と考えるのでしょうが、そもそもそう言う心配をするくらいなら初めからそれを職業にはしないのですね!食っていけるかいけないかはやってみなければ分からない。食っていけようがいけまいがそんなことは大した問題では全くない。やりたいからやる。ただそれだけのこと。

でももしダメだったらどうするの?ってそんなことは余計なお世話でしょ!それこそ。それはダメだった時にワタシが考えることで、周りがとやかく言う問題では全くない。困った時に10円だって貸してくれるわけでもないのに日本人はどうしてそんな心配をするのかワタシには全く理解できない。

もう一つ考えられるのは、妬みも含まれているのかも知れない。あんな自分の好きなことをして食っていける訳がないと思いこみたい。大好きなことをやっているんだからきっとその代償は大きいに違いない。きっと経済的に苦しいに違いない。自分達は毎日やりたくない仕事で苦しんでいるのに、自分で好きなことをやって楽しんでそれで生活費が稼げるなんて、絶対に認めたくない。

皆さん、そこで結論です。そういう皆さんが多いので、意外にもアウトドア活動は結構利益の出る商売になっているんですね!多くの人がこれでは食っていけないと考えているから、意外にも商売はやりやすいのですね!但し一言だけ申し上げておきたいことは、成功しようとかあるいは失敗をしたくないと考えている方はまずやめておいた方が無難でしょうね!

これには成功も失敗もないのですね!やりたいからやる。ただそれだけのこと。それで10年も20年も人に頼らず自分や仲間と楽しめたら充分ではないのか・・・とワタシは思うのですね!

2011年7月7日木曜日

異常な天気

今年は異常な天気が続く。雨の降り方が全然これまでと違う。毎週のように週末は雨。それだけでなく降り方も激しい。車のフロントガラスに打ち付ける雨の量が半端ではない。湿度も測った訳ではないが昔と比べると高いように感じる。

事務所でナニか作業をしようとすると大雨が降りできない。天気が良いときに・・・しかし好天の時はもう暑さでダウン寸前にまで体力を奪われる。好天なんて言ってられない。悪天そのものだ。従って結局どちらもナニもできないのだ。

今日は久々に準備やら片付けなどをしようと思っていたが、雨で断念。いや雨が降っていてもできない訳ではないが、何故か雨のせいにしたく、断念。完全にやる気がなくなった頃に雨はあがった。有り難い話だ。

話は全然変わるが、昔若い頃何かにはまろうとしていてその対象が見つからず焦っていた時期があったが、今は全くその逆ではまり過ぎて困っている。いつもそいつが頭から離れない。そのせいで事務所やプレハブの片付けができないって言ったら人間として笑われるに違いない。だからそれも雨のせいにしてやろう。

片付けをしようとするとそれがもの凄く時間の浪費のように思えるし、自分の好きなことに集中していると、今こんなことをしていて良いのかと自問をして、結局はナニもしない1日があったりして、なかなかつまらない自分自身を発見して笑えて来る。

この辺まで来て、久々の堂々巡りと言うか悪循環に陥っている自分に気づくが、若い頃はこんなことの連続だったような気がする。社会性が希薄になっていると良くこんな現象に陥るのだが、ある意味学生みたく贅沢な悩みかも知れない。

ところでこの週末もまた雨にやられる可能性が高そうだが、どうしたもんだろう?!明日はカヤックの修理やフロート作りでもやろうかな・・・?

2011年7月5日火曜日

次の週末は・・・

先週は3日ほど実家に戻って「雑草と格闘」していた。家の周りに畑にその他。こいつらいくらやっつけてもまた復活して来るからかなわない。大した奴らだ。こんな活力がワタシにも欲しい。

今年の冬に水道管が破裂していてそれも修理していたから余計にエネルギーを消耗してしまった。5カ所も破裂して、恐らく修理は無理と思いつつもチョット自分でやってみたくゴソゴソしていたら何となくできそうな気がしてやってみたら案の定失敗した。

スイッチを入れると、修理箇所から水はダダ漏れで、普通ならここで諦めるが、折角時間をかけたのだからともう少し粘って、修理品を探しにホームセンターへ。防水ナンとか・・・の修理用テープを購入して再度挑戦してみると取りあえずは上手くいった。耐久性がどれだけあるかは分からないが、業者に頼むと大きな金額になるので、当面はこれで我慢。

事務所に戻った時点ではまだバテてはなかったのだが、昨日は完全にダウン。今日も1日休養してナンとか復活したもののそれにしても暑い。蒸し暑いのがこたえるね!

しかしこれくらいの暑さだと無人島でのキャンプはまだまだ快適に違いない。雨さえ降らなければ。今年は梅雨入りをしてからまともにキャンプをしていない。雷も鳴って集中豪雨も来ているのでそろそろ梅雨明けと期待したいが、この週末は島でキャンプをしたいモンだ。

2011年6月27日月曜日

意味不明なパンフ

本日ワタシの所に意味不明のパンフレットが届いた。もちろんカヤック関係のパンフだが、完全に意味不明。どう考えても意味不明。どのように意味不明か?

まずスプレースカートだが、1万円以上もするナイロン製のスカートなんて誰も買わないでしょう!はっきりとは分からないが多分ナイロンだろう。材質も書いていない。その隣にはネオプレン製のようなのが載っているが、何故か肩掛けが付いている。誰がこんなスカートを考えたのか?これも1万円以上する。勘弁して欲しい。

その次にミトンやソックスが出ているが、こんな夏前に不思議でならない。しかもお値段は5000円近いから驚く。秋でも不要だ。全く真冬の装備品だが、その横にはハンドロールの練習用に考えられた水かきが付いたグローブが載っている。しかし今はもうこんな道具は全く不要になってしまったし、持っている人もいない。

それから一番下にソックスが4000円もするのが出ているが、もうソックスなんぞは要らない季節でしょう!欲しければホームセンターで1000円も出せば、かなり良いのがある。

そのパンフを裏返せば秋冬モノと思われるウェアーが並んでいるが、一体どうしちゃったんでしょうかね?!これからの時期は普通の速乾性の半袖半ズボンで充分でしょう。多少雨の日には少し厳重な服装準備が必要でしょうが、ナニを思ってこんなパンフを送って来たのでしょうか?不思議でならない。

カヤックもパドルもパンフにはなかったので、その辺のところは送って来ても無駄と分かったのかも知れないが、今ワタシが欲しいのは、マイクスタンドと譜面台とPA設備その他なんですね!そこのところをご理解して欲しいモンダミン。

カヤックもパドルもウェアーもその他の装備もソフトも相当に充実していると自分では思っているので、・・・まぁ強いて上げればワタシのテントやシュラフはもう少しグレードを上げても良いかなとは思っていますが、全然不便ではないですから、特に問題はなし。

思うにどんなカヤックの業者でも基本的にカヤックに乗っていないと、こんなトンチンカンな営業活動を展開することになるんでしょうね!このパンフレットを見ただけで、どれほど時代の進化から遅れているかが分かる。エンドユーザーの方がはるかに進んでいるような気がする。

そして下らない業者は刻一刻と淘汰されて行くでしょうね。あっもちろんワタシの所も相当に下らないところですからまずは消えてなくなるのも間近でしょうね!でもね、カヤックに旗を立てたり、季節風に逆らったり、フェリーなどは利用していませんから、ワタシ達は毎週申し訳ないくらい充実していてて、ひょっとしたら退職時期も伸びてしまうかも知れません。

そうならないように今年は燃え尽きたい(?)と思っております。

2011年6月22日水曜日

確実な一歩

どうもまた今週末は天気が良く無さそうですが、こんな雨が良く降る梅雨は珍しい。しかも土日が見事に的中しているのだから、困ったモンダミン。まぁそれはそれで他のことを楽しむことはできるので、特に問題はないが、この週末は休みたくないなぁ~と思っている。

この前フト気がついたことがあって自分でも驚いたのだが、カヤックに乗って前屈をすると力を入れて一生懸命やっている訳ではないのに、身体がピタリとフロントデッキにくっついてしまった。自慢じゃないですが、ワタシの心と体は非常に硬い。それがナニもしていないのに前屈が非常に柔らかくなっていたのだ。

考えられるのは体重を大きく減らしたことがあるかも知れない。お腹の脂肪が5kgもなくなったお陰かも知れないが、それはともかく前屈が非常に楽になったので、チョット試してみたい。長い間中断しているパドテクを早く復活させたいと思っている。ダウンワド系のテクでもう何年も眠ってしまっている。

今からスタートすれば夏場には、何とか良い感じを得られるのではないか・・・と思うのだが、確実な一歩を得るためには相当な紆余曲折がきっとあるんだろうな?!カヤックに限らず技術習得には相当な粘着性が要求される。だからそこを通り抜けようとする傾向が一般的に強いような気がする。

その粘り強さはまだ備えているつもりではあるが、何しろ最近では身体の方が全然ついて来てくれない。そこんところをチョット自分でなんとかしたいなぁと思うようになった京子の心。

週末は雨が降らないことを祈りたい。

2011年6月17日金曜日

夏は水、冬は雪、そして

カヤックを始めてからもう28年目にもなるが、始めた頃にまさかパドルで「水を掴む」なんてことができるなんて思ってもみなかったが、それがいつ頃からかできるようになった。スキーも同じくそれくらいになるが、何しろシーズンが短いので、全く大したことはないのだが、曲がりなりにもこのごろやっと雪面とのコンタクトを楽しむことができるようになった。これから益々健康に遊びまくりたいとは思うのだが、年数を追う事に歳は必ず取っていくだろうし身体も動かなくなるだろう。

だから昨年から音の遊びも始めてしまった。これはアウトドアと違って音楽だから全く自信はないが、少しばかりの音の取り扱いを勉強して、楽しめるようになりたいものである。周囲からは相当音痴だと定評があるのだが、それでもナニもしないでただただ聴く側になっているよりはかなり良いことではないか?と思ってはいるのだが・・・。

それにしてもどうしてこんなに不確かな要素に興味を持ってしまうのだろうか?誰もが簡単に手に入れられないから余計にやりたくなるのだろうか?それにしてもアコースティックの音色はワタシの心にまとわりついて離れない。こうして希望に満ちた中年のワタシの心はまたすぐにどこかで粉砕されてしまうのだろうが、それはその時が来てやめたくなったらいつでもやめれば良い。

そんなこんなで今年の夏は忙しくなりそうだ。明日はカヤックの準備もあるが、グチャグチャな部屋の中を片付けしなくては・・・。

2011年6月9日木曜日

いつの間にか・・・

気がつくともうすぐ夏が近づいていますが、今年は昨年のような猛暑にはならないのでは・・・と期待をしています。と言うのは昨年の今時分は家の中もテントの中も相当に蒸し暑かったと記憶しているが、今年は非常に快適ですから。本来なら蒸し蒸ししてエアコンを使いたい状態だと思うのですが、窓を開けているだけでとても気持ちが良いのです。だから今年の夏は・・・だと思いたいのですが、実際はどうでしょうかね。

この気持ちよさの中には実は湿度が低いと言うだけではなく、心の片隅に残っていた煤や垢がすっかり抜け落ちていることにも気がついたのですが、これらはきっと目標意識を失うとまた体中にまとわり付いてくるのでしょうねぇ。目標意識というか目的意識というかそんな重いモノをいつも抱えていると、確かに大変な時がありますが、多分死ぬまで持ち続けなければならないものではないかと思うのですね!そんなの嫌ですけれどね!

毎日毎日とてもいい加減に生きていたいのですが、適当に生きていたいのですが、なすがままに生きていたいのですが、そうすると目的意識のない習慣や馴れ合いがまるでオブラードのようにワタシの体中を覆い尽くしてくれるような恐怖心に包まれてしまうのですから、面倒くさい話です。目的意識を持つと重苦しい時間を持ち続けなければならないし、それを持たなければだらしない習慣に身を置くことになり、気分は最悪となるに違いない。

いつか不意に目的意識を失った時に、ワタシは自分自身の作った不運に一時拘束されかかったのではありますが、気がつくと「宇宙の果て」までやって来て、そこから愚かな自分を見ていると、まだ身体の中まで腐ってきていないようなので、朦朧とした意識を覚醒させるべく、少しずつ心の襞を張り替えてみる努力をしている内に、結構ガタツキが整地されてきたように思うのです。いずれにしてもすべては偶然でありながら後から必ず必然性も感じるというのは、一体どういうことなんだろうか?神の意志とまでは言わないにしても、生きながらにして死を選ぶ生き様は覚醒された生き様に暗黙の内に消し去られる運命にあるのかも知れない。

だからいつも心の先は少し尖っていた方が良いのかも知れないね!

一点集中

シーカヤックでもリバーカヤックでも自分の現状を打破して技術力その他をアップさせようと思うときに、一番重要なことは、まず一点集中することではないかと思うのです。もちろん色々と試すことも時には重要なので、そのこととチョット矛盾するような言い方ではありますが、やはり基本は一点集中ではないかと思うのです。

しかし一点集中とは言ってもナニをそうすれば良いのだろうか?まず練習場所の確保ではないだろうか。毎回違う場所へ出かけて楽しい経験をするのも良いとは思いますが、できれば同じ場所同じ環境でやるべきだと考えます。その理由をここで書くことは省略しますが、ひとつには精神的な集中力を高める為にはそれが要求されてきますので・・・。

そしてその次に自分がまず獲得したい技術的項目をひとつかふたつほど心に決めておきます。朝から晩までそればかりと言うのはさすがにチョット辛い面もあるので、それらの技術項目を習得するために役立つそれ以外の練習項目なども仲間に入れて前座的にやるのも効果的かも知れません。

随分昔の話ではありますが、全般的にとても上手な方がワタシのスクールを受講に来ていたのですが、どの技術も一見上手そうに見えるのですが、どれもが完成していなくて、例えばハンドロールなども時々できるのですが、確実ではなくやはり失敗もして沈脱もしていました。そこまでできる人ならば、パドルのロールは完璧かというとこれも実は中途半端でしかなく、できるときとできないときがありました。

ちゃんと構えてやるとパドルのロールはできるのですが、ハンド失敗の時のパドルロールはかなり成功確率が下がっていました。そこでワタシはパドルロールの不確実性を指摘してそれを克服するように練習方法の指示を出したのではありますが、その方はそれを数回やってまぁまぁできるとすぐにそれをやめて、他のことをしていました。ロールだけでなくその他の技術についても同じような状況が続き、2年ほどの期間でワタシの目から見た進歩はほとんどありませんでした。

キチンとした練習モードに入れば、相当に腕を上げることができる身体的能力を備えながら、その場その場での遊びを楽しむことを優先的に選択している傾向が強く見られたので、ワタシはただただ傍観するのみでしたが、今でもとても残念な思い出のひとつです。ワタシにその方の身体的能力があれば今じゃきっとカリスマだろうな・・・と勝手に思う今日この頃です。今住んでいる場所もカリスマですけどね・・・?

まぁこんなことが分かっているのではありますが、全く畑違いの音楽の世界では、一点集中がなかなかできなくて苦労しています。練習方法が確立されていないので仕方がないとは言えバラバラ過ぎて取り付く島が見つからないと言うのが現状ですが、カヤックだって最初の7年間は練習をしようと思っていても、その方法が分からずただただ漕ぐだけでしたから、そのことを思い起こせば、バラバラ練習も通るべき駅のひとつかも知れませんね!

そのバラバラ練習も先日から少し環境を変えてみたら、随分変化をして来ました。事務所の中でコソコソと泥棒がナニかをする如くやっていたので、一向に身が入らずでしたが、3日ほど前からある練習広場を発見してそこへ環境を移動しました。全力でやるともう20分くらいでヘロヘロになりますが、以前は事務所内で3時間くらい連続でやっても全然大丈夫でしたから、如何に事務所内での「泥棒行為」が練習になっていなかったかがよく分かりますね。

そんなような訳で、カヤックで練習をしようと思っていてもなかなか一点集中型の練習に入れない方は、環境を変えてみることをお勧め致します。練習する場所も大切ですが、練習する仲間も非常に大切です。中には一生懸命に練習をしようとする行為や人を馬鹿にするような感じの人も結構いると思いますが、こういう方々と一緒に乗っているといつまで経っても練習環境は生まれません。自分自身がカヤックに乗っている以上、海とのコンタクトを高めるんだと言う気持ちをもっと前進させたいならば、自ずと「観光気分」は排除され、恐らくはひとりででも練習環境を構築していくべきだとワタシは思いますね!

そうすればそこにはまた不思議なことに新たな道ができ、熱心な方々が集まってくるに違いないとワタシは今も昔もそう信じているのであります。人間の世界って疲れることも多いけれども、楽しいことが多すぎて困りますね!

2011年5月31日火曜日

ブログが足りない・・・?

現在ブログを3つも利用しているのに、それでもまだ足りない。この3つはカヤック関連ブログなので、ワタクシ事の記事を書き込むのは何となく気が引けてしまう。いくら書いても「オマエ、ようあそんどるなぁ~」って思われるだけでしょうから、ここはやっぱりもう一つ別のブログを立ち上げないといけない。そんな気分に包まれてはいますが、それは何故?

3月頃に一時中断していたワタシの盛り下がった気分は、それはそれでOKということで、そのまま過ごしていた訳で、ナニもストラグルしていたわけではなく、ただボンヤリノンビリやっていてもいいやと時の流れに身を置いてはいたのだが・・・。フトしたことでアコースティックがワタシの脳裏に飛び込んで来た。

まぁどうせ彼処と似たり寄ったりであんな兄ちゃんこんなネェちゃん達がやってきては、落ち着かない音を垂れ流すだけだろうと・・・想像するのは容易だったが、実は全然違っていた。音も違えば人も空気も違っていた。いや人が違うから音が違い空気が違っていたというべきだろうね。もちろん評価する立場にはないが、一応人間だから感情はあるわけで、その感情がどう感じるかはその感情の自由でもあるだろうとね。

そしてその辺りからまた小さな火が灯ってしまい、ネットでゴソゴソしている内に、また別の音の空間というか集まりを発見してしまった。そして良くない(?)ことにそこがとても近くて、素晴らしすぎてかつてない動揺をしている。もうこの歳になって動揺するようなことはないと思っていたが、このような動揺は恐らくシーカヤックに取り憑かれた頃以来ではないか?本当に困ったことだ。こんな近くに実証系の音の世界があったなんてそれこそ燈台もと暗しだね。

これは一体どなたのお導きだったのか?と深く考えるのだが、ひょっとしたらあの愛すべき黒い奴の導きだったのかそれとも分不相応のD28がワタシのような持ち主が恥ずかしくてなんとかしようとしてこうなったのか、いずれにしてもカヤックを始めた頃は、周りはほとんど飲み食い中心の観光系ばかりではっきり言ってどうしようもなかったことを思い出すと同時に、新しい引き込まれて行く思いと飛び込んで行く気持ちが混合して、なんとも複雑な気分になってはいるが、益々意気軒昂になる自分を見て、まだすぐには死ねそうにもないと思うのだ。

そしてやればやるほど自分の脳みその中にあらゆる音源がインプットされていないことに愕然と来て再び暗い闇の世界へ直ぐさま放り込まれるのだが、それでいて朝から日暮れまでD28を愛人のように離さない。すいませんまだ愛人はいませんが・・・。

最近の2週間の中で、思いも寄らぬ感動続きの中で、それぞれが言葉では上手く表現できないのではありますが、ひとつだけ書きやすい感動がありました。それはギブソンJー45を生まれて初めて触ったことかな。年式とかは分からないが相当弾き込まれた楽器でした。多分2年以内に似たような奴を買ってしまうな。そしてその方の演奏は絶技だった。

そんなこんな思いをカヤックのブログに書き込むのは良くないとワタシは勝手に思ってはてさてもう一つのブログを開設しようと企んでいる。下手くそなのにどうしてこんなにやりたいと思っているのかは自分でも分からない。誰か止めてくれぇ~!「アンタなんかやっても無意味だからね!」って、・・・ワタシも実はそう思いながら、この衝動列車は止まりそうにない。本当に困ったモンダミ~ン。沈。

2011年5月30日月曜日

ネぇチャンストーブ

先週から作り始めたネェチャンストーブがもうすぐ完成です。丸いタイプのストーブです。完成まであとホンの僅かですが、今ナニをやっているのか?時々食べているだけです。完全に食べ終わると完成です。鉄製ですが、外枠は始めから完成していて、今は中味をワタシが食べているだけです。とても美味しいです。あまり食べ過ぎると太りますが、最近は1日2食の生活にしていてそんな心配は全くありません。

3月から体重は6kg減で、このところ体調なかなかグッドです。でもいつダウンするかは分かりませんが、取りあえず今は元気だからいいじゃ~ないですか。あと17個食べると遂に完成です。今週末のキャンプでデビューです。写真を撮るのが面倒くさくてありませんが、まぁ期待してください。ブルボンに感謝です。それとディオにも感謝です。

2011年5月20日金曜日

カヤック置き台完成

防波堤などの手すりに掛けることができるカヤック台を先ほど完成させました。1時間ほどでできましたが、なかなか良いと自画自賛。出し入れが容易でカヤックの水洗いもこの上で楽々できる・・・と思うのですが、さて実際はどうでしょうか。まぁやってみんとわかりまへん。

次にネェチャンストーブは実験1では、あまり良くなかったので、次を考えています。木材を入れる容器がイマイチ小さかったので、もう少し大きいのに変更をしてみようと思うのですが、それだけでは良くないのでもう少し工夫が必要のようです。燃料は想像していた通りで僅かな木ぎれでコッヘルの水が5分~10分くらいで沸騰しますね。

2011年5月17日火曜日

カヤックの出し入れの方法&ネイチャーストーブ

車に積載しているカヤックを降ろして、肩に担ぎ浜へ持って行く時に、色々と障害を抱えている人は沢山いるでしょう。しかし、少ない脳みそでもずっと考えていると方法は見つかるもので、この前の週末にはチョット良い方法を見つけました。まぁ実際「良い」かどうかはまだ分かりませんが、簡単な道具を作って次回実験してみようと思っています。成功の確率は85%くらいでしょうかね。

これが上手くいくと非常に楽になるはずですが、早速この週末に間に合うように作業に取りかかります。

それから先日新しいガスストーブを購入しようと思っていたのですが、どうも総合的に納得のいくのがないので、ネイチャーストーブを自分で作ってみようと思っているのですね!作るといっても適当にホームセンターなどでそれらしきモノを買って来て転用するだけの話ですが、それが上手くいけば
燃料の問題も解決します。

特別にガスボンベが高いとは貧乏なワタシでも思いませんが、何となくもっと自然な形で食事の準備ができないモノかとずっと以前から考えていたので、これも週末に合わせて実験をしてみようと思っています。上手くいけば浜辺に転がっている小さな木ぎれ一握りで夕食の準備ができそうな気がしているのですが、ひょっとしたら面倒くさいことになってやっぱやめるかということもあるかも知れません。それでも不要な空き缶を出さないためにもやってみるべきでしょうね!

先日GWの合宿の時にはカセットコンロを持って行っておりましたが、横着をして充分なガスを準備していませんでした。結果的にはなんとか足りましたが、ネイチャーストーブを持っていれば、ガスがなくなっても心配しないでもいいですからね。ネイチャーをメインにして雨が降ったりテント内で料理をするときにはガスを使うような形に持っていければ理想的かな・・・?まぁ燃料の薪はチョットだけ工夫する必要がありそうですが。

2011年5月11日水曜日

ドローストロークが上手くできない理由

先日のGW合宿でも、ドローストロークの練習を沢山やって頂きました。がこれはロールと違って非常に地味な技術でしかも非常に難しい。どこぞのインチラクターが自慢そうにしているドローの姿も、実に悲しいほど未熟に見える。全然ブレードに体重が乗っかっていない。どうしてか?何故なのか?その原因は?

まず考えられることは、ブレードで水を掴む意識と練習不足が上げられるが、もう一つは身体の軸にあることが分かりました。この軸が実はみんなユルユルなのではないかと思うのですが、次回スクールの時に、チョット試してみようと思います。

練習中にブレードがスッポ抜けてドボンとなるドローストロークは、ブレードだけで水を掴もうとするからで、もう一つの要素がなんであるかは、理屈と充分な練習量なんでしょうね!これが完成しないとインストラクターでもガイドでもなんでもない只の素人に過ぎないと誰かが言っていましたが、まさにその通りですね!

昔あるアホなシーカヤッカーが、転覆しなければロールは必要ないなどと偉そうなことを言っていたが、ナニをどうすれば転覆しないかを全く説明していなかったのですね。フォワードストロークをしっかりやれば転覆しないとか、転覆しないためのフォワードをマスターしろとか、かなり当てずっぽの屁理屈くらいしか思いつかなかったのでしょうが、そのオッサンにも是非ともこのドローをマスターして欲しいモンダミ~ン!まぁ無理でしょうけれどね。年間に数回程度じゃとてもじゃないけど無理でしょうね!

まぁそれはともかくもドローが完璧になり、瞬時にローブレイスなどができるようになると、滅多なことではカヤックは転覆しません。しかしですな、ドローやローブレイスを練習するのに、皮肉なことにバックグラウンドとしてロールができることが要求されて来るから、やはりロールの必要のない海というのはないのではないかとワタシは思うのであります。

話はチョイとそれまするが、またしても自慢そうにグリンランドスカリングハイブレイスのような形を写真に撮りHPに載せているのを発見しなくても良いものを偶然に見てしまいました。そしてア~ァとため息が漏れました。そして関係ない人の左手の位置と顎の位置が全く適正値から外れていて、その人に向かって説明をしている自分が哀れでもありました。

しか~し、その適正値の外れ具合とカヤックの適正値の外れ具合が見事に適合していることに気づきまたしてもア~ァとため息が漏れて来ました。まぁこんなことはどうでも良いのですが、それに余計なお世話なんですが、もっともっと練習すべきじゃないかとワタシは思うのですが・・・。特にカヤックを職業としている方は金儲け抜きで・・・ね。

2011年5月10日火曜日

6月にツアーを予定

  5月はまだ大気が安定していないので、6月初旬にツアーを予定しています。1泊2日の比較的近距離のツアーになります。距離的には往復で20km~30km程度の難易度のあまり高くないツアーにするために、大潮や中潮の干満差が大きい日程を避けて、実施したいと思います。距離は漕げるが波や潮流に弱い人は結構いると思いますが、これからの課題は激波対処法ではないかと思うのです。


6月のツアーの課題は、色々ありますが、1)潮流にやられない 2)疲れない漕ぎ方  3)コンパクトカヤックにコンパクトな荷物 4)キャンプ生活を充実  5)その他 などです。シーカヤックに乗っていてもあまりキャンプツアーをしたことがない人は沢山いると思いますが、それは至極残念だとワタシは思うのです。しかし何故それが素晴らしいのかを言葉で伝えることは難しいので、是非ともキャンプツアーに参加してどんなモノかを体験して頂きたいと考えます。

テントや寝袋などを持っていなくても参加できるように予定しています。ヘッドライトと食料と水さえ準備すれば参加OKで、一度試してみて面白そうであれば、徐々に装備を揃えていけば良いわけです。最近ではキャンプ用品を揃えるのにそれほどの費用がいるわけではありません。カヤックには少々の出費を覚悟しなくてはなりませんが、しかしカヤックと装備とキャンプ用品を全部揃えれば、シーカヤックで色々な島へ出かけキャンプをして戻って来ることができます。
                                                                                                          
ワタシは民宿やホテルを利用したシーカヤックツアーなんぞは考えたこともありませんが、キャンプツアーに目覚めた方なら、それらが如何に堕落したツアーかはご理解頂けるでしょう。しかしまぁ~アレですな、お金持ちになったらそう言うツアーも有りかなって、思える日は間違っても来ないと思いますので、節約しながらコンパクトで快適なシーカヤックキャンプツアーを追求していくしかないですね!予定ができ次第HPでお知らせ致します。

2011年4月26日火曜日

ドローストローク

ドローストロークはカヤックの横移動の技術だが、これがなかなか難しい。ロールはできてもこれが確実にできない人は多い。もちろんできないインストラクターだって多いはず。何故かって?理由は分かりませんが、沢山見てみて来ましたからね。でもこれがキチッとできなきゃ~「指導者」とは言えない。ただカヤックが横に移動すれば良いってモンではない。

左手・右手・視線など静止画像で見ても、ちゃんとできているかどうか分かりますが、左手があさっての方を向いていたり視線が明確でなかったりすると実際の動きはやはり鈍い動きになって現れるのではないでしょうかねぇ~。

大体このドローとハイブレイスが上手くできるインストラクターをほとんど見たことがないのですが、逆にこれが確実にできる指導者は中味がしっかりしているのではないかと思うのですね!資格を取って喜んでいるようなイントラがいたら、是非お上手なドローやハイブレイスをご披露して頂いたらとても楽しい演技が見られるのではないかと思いまっしぇ~。って、ナンでこんな事書いているのでしょうか?

いやぁ~、その写真はやめた方がいいんではないかと思いついつい書いてしまったんですね!両手の幅がまず広すぎでしょう!それに上の手の位置が不十分でしょう!それに艇の傾け具合が弱いんじゃないのかな?!それに躍動感が無さ過ぎですぜ、旦那。教える前にもう10年は修行した方がいいんじゃないですかね!まぁ余計なお世話ですが、「シーカヤック文化」の為に、是非死に物狂いの特訓をするべきですね!そうすりゃ~ドローだって、旦那に微笑み返してくれかもね。

2011年4月25日月曜日

都知事の知的レベルはその程度

ワタシが学生の頃は結構尊敬をしていたのですが、都知事になってからの「業績」に対する評価は既に地に落ちていました。今更それを確認する必要もないのですが、図らずも今日またそれを再確認してしまいました。

今日のテレビのニュースで、脱原発についての石原都知事のご意見は「風力や太陽光で今の電力を賄えるハズがない。」といつものようにふてぶてしい顔で言っていました。この後に「だから原発は必要に決まっているじゃ~ないか。」と言わんばかりの口調でした。

これはもの凄く子供じみた発言で、今福島で起きている原発事故の状況を全く把握できていないのではないかとしかワタシには思えませんね。このボンクラ都知事の脳みそは恐らく空っぽじゃないかと思うのですが、「現在の電力需要に応えるには原子力が不可欠で、今の福島の原発事故も仕方がないではないか。」とまるで言っているように聞こえます。

極論すれば現在の電力需要を賄う為には、時に放射能汚染も覚悟しなさいと言っているように聞こえますが、だとすればヒドイ意見だと思いませんか?!

「不足を補えないから危険を冒しても構わない」と考えるのは、余命幾ばくもないからかも知れないが、無責任極まりない考えだと思うのです。

風力発電や太陽光発電で今すぐに電力需要を賄えないかも知れないが、この震災での原発事故を契機に大いに思考方法を転換しなくてはならないのではないでしょうか?!ワタシはエネルギー政策の専門家でも研究かでも全くないが、これらが原発よりもはるかに安全で、どんなに壊れてもまず放射能を出すようなことは皆無なので、これを今から大いに増やしていくべきと考えています。

良くは知りませんが、日本では地熱エネルギーの利用も十分考えられるらしいし、潮流を利用した発電も充分可能と思われます。特に瀬戸内海などは潮流の宝庫ですから、原発なんぞは絶対に要らないと思うのですね!補助金なんぞに目がくらんでは絶対にいけません!

確かドイツでは自然エネルギーの割合が既に17%くらいと聞いています。あの中国だって、最近では自然エネルギーを大いに導入していると聞きます。今すぐにではなくても今からでも日本は自然エネルギーへ大転換をしていかなくてはならないのではないかと、この原発事故の現状を見れば誰しもが思うのではないのでしょうか?!

重要なことは、原発によるエネルギーか自然エネルギーのどちらを選択するべきかとワタシは考えているのではなく、選択肢はもうひとつしかないということが言いたいわけですね!つまり循環可能で枯渇することがない自然エネルギーしかないということを言いたいわけですね!その自然エネルギーである風力や太陽光を利用した発電は既に可能な訳ですから、それを更に発展させ、広げていき、一方原子力はできるだけ早く廃炉しにしていくべきと考えます。

資本主義社会は利潤を追求する社会ですから、効率を重んじますが、効率を重視した結果が、福島原発の事故に繋がっているように思うのです。風力や太陽光発電の効率は資本主義経済の動きの中では魅力がないのかも知れませんが、ここはクリーンであることに重点を置くべきだと思うのですね!

石原都知事のような人物が政治の頂点で政治を動かしているようでは、そんなクリーンなエネルギーの割合は増えそうな気がしませんが、こういう人の意見に決して左右されてはならないと思い書きました。

最後に1日も早く福島原発の事故が収束に向かうことを祈っています。

2011年4月22日金曜日

岡山ではもうないと諦めていたが・・・

すいません、これは全然カヤックの話ではないのですが・・・。ワタシの遊びの世界での話なのですが、3月頃から関係各方面とそして自分自身の有り様に「失望」しかけて、取りあえずしばらくは「過度な自粛」をしようと決意という程度ではなくボンヤリと思っていました。

まぁどこへ行っても、誰かがステージで演奏しているのに、後ろの方でゴソゴソしている奴がいるし、酒を飲みながら雑談をしている奴が必ずいるものです。それだけでなく、ライブの中味が雑炊過ぎて、非常に上手で素敵な方もいるのに、終わった後は何となく虚しく明日への活力が漲って来ないのは、すべてワタシ自身の問題なんだろうかと自問自答の昨今でした。

これからカヤックが始まるので、少し落ち着いたら、アコギだけを対象にしたところをネットで探して、神戸や大阪へ出かけてみようとも何となく思っていました。岡山には間違ってもないだろうとほぼ確信をしていました。それらしいのはあるにはあるようなのだが、全然keyが合わなくて、イマイチ気持ちのエンジンがかからないのは、すべてワタシ自身の問題なんでしょうかねぇ~?!

しかし昨日昼過ぎにふとネットでアコギの世界を検索していたら、ひょっとしたら面白いかも知れないと思えるような「夜の社交場」を見つけてしまいました。でも実態は行って見ないと分かりません。取りあえずYou Tubeでどんな歌を唄っているのか確認してみると、アレレ近いなぁ~と思わされてしまい、たまたま昨日は月1回の飛び入りアコギコンの日で早速見学へ行ってしまいました。朝からパドルを作ろうと思っていたのにねぇ・・・ダメだぞぉ~と自分を叱りながら、夕方からお出かけ致しました。

正直言って、90%以上の確率で、出てくるときは「こんなもんか・・・」と感じるに違いないと言う気持ちで入店したのでしたが、ナント演奏中の見学者の行儀の良いこと、あのステファングロスマンのコンサートを聴きに行った時と同じくらい良い感じで、煙草もナシでした。そして飲食もナシ。雑談ナシ。見苦しいむさ苦しいヤンキーっぽいは皆無でした。

全員で10数人が出ていましたが、オリジナルが多く、なかなか聴かせてくれましたね!何よりラップ調のいかれポンチがいなかったのがまず何よりでしたが、非常に不味いなと思うのは、またまた自分の力量をすっかり忘れてやる気が出て来たことでしょうか?!今年1年は気持ちを静めてボチボチ取り組みをと思っていたのが、またまた焦燥感に取り憑かれるように背中がモゾモゾしてくるのはどうしたモンダミン?

すべての人の演奏も終わり、そろそろ帰ろうとすると会場の2Fの喫茶喫煙室にみんな集まって「一家団欒」で、コーヒーなどを頂き、深夜まで話題は尽きませんでした。人生いろいろ、男もいろいろ、女もいろいろ、そしてライブもいろいろで、何回足を運んでも進まないリレーションシップもあれば、僅か数時間で「どこかで頑張っている姿」を触れあうこともできるんですね!

それからハウスを出て車に乗り込み帰ろうとすると数人がお見送りで、ワタシの屋根の上のヤグラを見てこれはナンですかぁ~?って、そこからまたしばらく話が弾んでなかなか帰れません。パドルを見せると、「あっカヌーだ!」って言った瞬間に、目前の二人は身体をくねらせてパドリングの真似を・・・。とても和める一瞬でした。

やること一杯あるのに、また練習に追われるのかぁ~?嬉しいような悲しいような・・・。まぁ追われないようなナニか良い方法を考えながら、GWの準備を進めて行くかぁ~?!

2011年4月19日火曜日

小手先の技術

もう随分昔のことのように記憶していますが、ワタシが一生懸命にロール指導法を研究していた頃の話です。10年くらい昔のことだったと思いますが、今ほどは簡単には指導することはできませんでしたが、習いに来られて頑張って頂いた方々は一応誰でもロールができるようには指導できる水準には達していました。

その頃のカヤックに乗っている多くの方々は、ロールはもの凄く難しい技術でちょっと練習したくらいでは絶対に習得できないから、そんなんなら最初から無理して覚えようとしない方がマシと考える方が多かったように思います。頭の良い海洋ジャーナリストで日本を代表するシーカヤッカー氏などは、ロールを覚えるよりもカヤックが転覆しない為のフォワードストロークをマスターすれば良いと、絵に描いた餅を一生懸命に食べようとしていたのですね!最近では少し言い回しが変わって、覚えないよりは覚えた方が良いなどと人に説いているようだが、木に登れない猿が犬に木の登り方を教えているような感は否めないですね。

まぁそれはともかくも当時は結構シーカヤックマラソンにはまってスピードや距離を漕ぐことに労力を注ぎ、海が荒れたときにどのように対処するべきかという点に興味を持って練習するような人はむしろ少数派で、しかも見向きもされなかったように覚えています。確かにもの凄く距離は漕げるしスピードも速いのだが、ひとたび海が荒れると転覆したり伴走船に助けられたりと自立をしていないことが浮き彫りになったものです。

ワタシはその当時レースそのものを否定していたわけではなく何回か出場をしたことがありますが、時に他の乗り手と競争することはしんどいけれどもそれなりに楽しいということも感じていました。しかし、1人で海へ出ることが多かったので、スピードよりも安全確実なパドリング技術の習得に重点を置いていました。ですからある程度距離を漕げるようになったら、如何に転覆しないか、そして万が一転覆したら100%確実に上がって来れるロール技術の習得に専念していました。

地方の草レースになどに参加をして、終了式が終わっても時刻はまだ昼過ぎなので、一緒に行った仲間と浜の前に広がる綺麗な入り江でカヤックの練習を必ずやっていました。しかし他の参加者のほとんどの皆さんは、サッサとカヤックを片づけて車に乗せて会場からあっという間に消え失せてしまうのが常でした。そんな時、なんかもの凄く寂しいモンを感じてしまいましたね。最近はレースに出たり、そうした会場に顔を出すこともないですから、どんな状況かは良く分かりませんが、恐らく今でもレースが終わったらそんな感じじゃないのかな・・・と想像しますね。違っていることを期待はしますが・・・。

思い出すと不思議なほど「カヤックで練習する」ということがナニか悪いことをしているような周りの空気がありましたね!まず地元のカヤックショップでは特別に大宣伝をして頂きましたが、「あそこへ行ったらしごかれるぞ!」ってね。また遠く離れた関東のスクールでは「あそこはレベルは高いが行かない方が良い」って、非常にユニークで面白い宣伝をして頂いて、それを聞いてわざわざやって来てくれた方もいましたね!一番面白いのは琵琶湖周辺での噂では「あそこは上下関係が厳しく技術の優劣によって番付があり、ロールができなきゃ教えてくれない。」とか皆さん笑えるでしょう!

そんな中で、レースに精を出してみるモノのなかなか好成績も出せず、かと言ってロール習得も覚束ない方から「小手先の技術」を覚えて一体ナンの役に立つんじゃいって陰口を叩かれたモンですが、実はこの「小手先の技術」がなかなか重要で役に立つのですが、習得は非常に難しいのです。

フォワードとドローを組み合わせたような漕ぎ方や荒れた海で有効なローハイなどが代表的な「小手先の技術」だが、未だローハイが確実にできる人は少ないように思います。またパドルブレードでバッタンと水面を叩き大きな音を立てるのがハイブレイスと思っている方も結構おられるかも知れませんが、カヤックを90度傾けて音を立てず静かに水面をキャッチしてゆっくり上がって来るのは、ある意味でハンドロールよりは難しいかも知れませんが、これも重要な「小手先の技術」なのですね!

こうした「小手先の技術」と確実なロール技術を沢山マスターしていると、荒れた海で大きな波が前から来ようが後ろから来ようが怖いどころか楽しすぎる状況にさえ感じられるようになるはずです。しかしダッチオーブンをカヤックに積んで無人島に行き美味しい料理を食べることしか念頭にない諸氏には全く無縁の楽園かも知れません。このGWにはこうした「小手先の技術」についても沢山練習をして頂きたいと思っています。

2011年4月18日月曜日

道具に拘る

ワタシはカヤックを始めた頃は、カヤックもパドルもPFDもウェアーもナニが良くてナニが悪いのかはさっぱり分からなかった。何年もかけて少しずつ分かって来た。そして遂にカヤックもパドルもその限界を自分なりに理解するようになった。その間は少なくとも10年は経過した。それは自慢でも何でもない。ごく普通に求めて来た結果である。

カヤックは自分で作れないので、メーカーにお願いをした。もちろん人の心が読めない多くのメーカーからは無視されたのだが、捨てる神あれば拾う神ありで素晴らしいメーカーが快く引き受けてくださった。自分でも相当に練習をして、更に多くの人に様々な練習をして頂くプロセスで、カヤックの様々な不都合な部分が見つかって来るのだが、それを克服したのは皮肉にもその不都合を抱えたカヤックのメーカーではなく全く別のメーカーだったのだ。

そしてパドルに対しても市販のモノでは満足がいかず、遊び心で色々と試している内に、自分なりの独自のウッドパドルを作ってみた。意外に軽く意外に使い勝手が良く意外に評判も良かった。あくまで遊びのつもりだったのが、今やもう市販のカーボンやグラスのパドルは1本も使用していない。その必要性が全くない。

海でのカヤッキングを練習を通じて楽しんで来て、ナニかを発展させようと思うと、何らかの限界にぶつかってしまい、そこで諦めていたら当然現在の練試櫂スタイルは生まれなかったに違いない。やりにくいカヤックや扱いにくいパドルで練習をするよりも、やりやすいカヤック扱いやすいパドルで練習をした方が短時間でより大きな効果がある。

そう言う意味では「道具に拘る」のは、非常に重要だと思う。

2011年4月15日金曜日

どっちが本当の自然かってぇ~?

今日の夕方たまたまナビのテレビが映し出されてちょっと見ていたら、NHKのあほアナウンサーがこんなことを言っていた。「今綺麗な桜が咲いてとても美しく穏やかな景色が広がっていますが、地震や津波で多くの方が被災しましたが、果たしてどちらが本当の自然なんでしょうか?」

何気なく聞いていたワタシは自分の耳を疑った。今時小学生でもこんなことは言わない。このあほアナはペェペェの新人ではなくもうベテランの域に達しているハズだが、この間抜けぶりは情けない。昨日は晴れていたが今日は雨が降っている。果たしてどちらが本当の自然でしょうか?

穏やかな天気も自然であるし、暴風雨だって自然現象な訳で、どっちが本当の自然ってバッカジャないのぉ~!と誰もが思うでしょう。このオッサンひょっとしたらクイズ番組の「過度の見過ぎ」じゃないのか?それともいつもいつもクイズ番組の構成を考えているのかもね。それにしてもお粗末過ぎる。

こんなあほアナウンサーを使っているNHKに受信料を払っている皆さん、一度真剣に考えた方がいいでっせぇ~!もう全くテレビなど見なくなった独居老人からも、ヤクザのミカジメ料の如く搾り取っているNHKの存在を強く疑うが、それだけなく政治的にも中立をうたってはいるが、極めてそれも疑わしい。

先日の原発事故の番組でも、東大の原子力研究所のお偉い先生が出て来て、盛んに「安全」とか「大丈夫」とか「直ちに影響はない」とか言っていたが、お前らみんなグルになってるんじゃないのかって感じているのはワタシだけかな?

そう言えば小沢一郎の「政治と金」が話題になった時には、何度もそれを報道してかなり意図的なモノを感じた。ところが前原や菅直人の外国人献金問題の場合は「政治と金」の問題として何度も報道していない。もちろん震災の影響もあるでしょうが、自分達の利益に繋がるか繋がらないかで報道しているとしたら、国民を舐めるのもいい加減にしろとワタシは言いたい。言っておくがワタシは民主党支持でもましてや自民党支持でもない。

今日は久々に怒り狂っていますが、普段はおとなしい好中年なんです。果たしてどちらが本当のワタシなんでしょうかね?!まぁそれよりも明日から海へ出て気合いをいれなきゃね!

2011年4月14日木曜日

過度の自粛って?

最近新聞や雑誌などで震災や原発事故に絡んで「過度の自粛」などという聞き慣れない言葉を見かける。こんな表現など今まで見たことも聞いたこともない。ナニか違和感を覚えるのはワタシだけだろうか?

例えば、「過度の肉体労働」で腰をやられたとか、「過度の摂取」で副作用が出たとか、「過度のPC操作」で視力が落ちたとか、そういう使い方は一般的で別に理解に苦しむことはない。つまりここで使われている「過度」は、その行為を行っている主体が何らかの損失を被っている訳だが、しかし「過度の自粛」と言う場合はの「過度」の意味は全然違うようだ。

例えば、ミュージシャンがコンサートや何かの音楽祭の出演を取りやめるような自粛を「過度」にやれば、もちろん本人も収入が減るのは間違いないが、そのコンサートや音楽祭を当てにして儲けを企んでいた連中が利益を捻出できなくなる訳だが、そういう連中がもし「過度の自粛」をしないようにと言うとすれば、それはそれに拠って自分達の収入が減るあるいはなくなるから言っているのであって、出演者であるミュージシャンの懐を心配して言っている訳ではない。

過度の読書、過度の労働、過度の飲酒、過度の喫煙、などすべてその主体である人を心配してできた表現だが、「過度の自粛」という時だけ、心配の対象が違っている。つまり言っている自分の収入を心配しているだけのことで、ワタシはそもそも「過度用法」の間違いじゃないかと思うのであります。

もうちょっと視野を広げて、「過度の自粛」は経済活動を冷やしてしまう可能性もある・・・とそんなご意見を仰る方もいるようですが、「過度の自粛」で冷え込むような経済活動など、そもそも人々にとって必要のない経済活動をしているのではないかとワタシは言いたい。

経済活動を冷やしているのは「過度の自粛」などではなくて、「過度の税金」ではないのかね?!良く皆さんは我慢しておられますね!所得税に消費税に保険税に自動車税にガソリン税に固定資産税に市民税に、もらえるかどうかも分からない年金保険料。

前にも言いましたが、遊びや趣味を仕事にしていると、景気が悪化したり社会全体が暗いムードになった時は、一番先にやられてしまうので、最初から覚悟はしておかなくてはならない。今回のような未曾有の震災に見舞われオマケに原発事故まで絡んで来ると、当然大きな影響が出て来るのは当たり前。もちろん収入は激減でしょう。しかしそれを「過度の自粛」などという表現を使って自粛する人を責めるような奴の所へは、自粛ムードがなくてもいずれ誰も来なくなるに違いない。

どうも長い間ブログ更新の「過度の自粛」をしておりました。更新再開です。そしてそろそろカヤックモードへ移行したいと思います。

2011年4月1日金曜日

メルトダウン

原発とは関係ない話ですが、そしてカヤックとも関係のないことですが、1ヶ月ほど前からワタシの個人的な趣味の空間の一部が液状化現象を起こし始めていた。掴めそうで掴めない。理解できそうでいて全然理解できない。親しみが持てそうで、徐々に気持ちが遠のいていくのを感じていた。

しかし意識的に自分がそうしていた部分は全くなく、外側からそろそろ幕を下ろした方がいいのでは・・・といった感じの現象が一部見られていた。昔からそういう現象には非常に敏感であるワタシの脳裏には、それ以後ずっと何かを観察していたが、その何かが何であるかはさっぱり理解はしていなかった。

ところが思いもよらぬステージで、液状化した空間が音を立ててメルトダウンをしてしまったのである。まぁこれはワタシの心の中での問題だから放射性物質は全く出していないから、周辺の方々には一切迷惑をかける訳ではないですが、これもある意味で必然的結果だったのだろうと思う。その結果が出てしまった時には、ワタシは何が起こったのかさっぱり理解できず、ただポカンとしているだけだったが、自分の部屋に戻ってからあのときのことを思い出した。

つまり「シーカヤッカー」という言葉の実際の意味を理解した時とほぼ同じような感じでしたね!といってもほとんどの方が「シーカヤッカー」の本当の意味をご存じないとは思うのですが・・・。当時カヤック関係の色々なイヴェントに出ても、なかなかその中に入って行けないような受け入れて頂けないような空気を必ず感じていて、その理由が全く理解できなかった。現状に満足がいかず悪戦苦闘しているワタシが、現状にできるだけ満足しようとしている人達の中に入れば、そこには自ずと目に見えない溝ができますよね。多分。そんなのをこの度もずっと感じていたのですが、きっとワタシのやりきれない悪戦苦闘ぶりがとても嫌な空気を彼らにして見れば醸し出していたのかも知れないので、そういう意味では「またしても”シーカヤッカー”がいたのか」と思うと、やれやれそんなモンだったのかと、つくづく江戸時代を感じさせられた。

なかなか意味不明な文章が久々登場だが、4月を前にちょうど良いピリオドを打つことができ、そしてタイミング良く新しい確かな目標の設定ができた。偶々だが、これも悪戦苦闘のお陰ということもできる。がまだ目標のポイントを整理できているわけではなく、現時点で8個~10個程度。別の言い方をすれば多すぎるほどかも知れないが、30個程度集めて、整理してCDとDVDに収めて、ちゃんと学習をしていきたいモンだ。そうそうカッパ天国さんにはもうしばらくお待ち頂いて、この収録DVDをお渡ししたいと思う。もちろんその他のスペシャリストを目指している方にもね!

2011年3月30日水曜日

唄いたいなら唄えば良い!

やっぱりちょっと書いておこう。関東東北大震災で想像を絶する被害が出ている中で、活力を与えるとか何とか格好の良いことをほざいているヤツがいる。歌を唄いたいなら唄えば良い。踊りを踊りたいなら踊れば良い。大酒を食らいたければ食らえば良い。遊びほうけたいなら遊べば良い。しかしそれを人に押しつけるな!とワタシは申し上げたい。

娯楽を提供することを職業にしている方々には、恐らく今度の大震災によって売り上げは相当落ち込んでいるのは間違いないでしょう。売り上げが落ち込み事務所などの家賃の支払いさえ苦しい状況に追い込まれているところもあるでしょう。震災の影響で予定していたイヴェントが次々に中止になると、その日の売り上げは当然無くなる。それが何日にも続けば大きな収入減少になる。

収入減少になって経営が苦しくなるから、「こんな時こそ、歌を唄って元気を・・・」と叫びたい気持ちは分からないではないが、それを第三者に強要するようでは、見え透いた浅はかな心が浮かび上がるだけ。しかし基本的にワタシはまだそんな状況ではないと考える。

家もなくなり車は流されその上職場も消失して、更に身内を亡くした人に一体どんな歌を唄えば活力が与えられるのですかね!「上を向いて歩こう」でも唄えば、そうした人達の元気が出るとでも思っているのでしょうかね?!

この大震災後に予定していたコンサートを中止したアーチストの悪口を言う人がいるのを知ってワタシは愕然としている。一体どんな脳みそを持っているのだろうかと不思議でならない。何やらネット上でもこんな時こそ大いにイヴェントをやるべきだと大声で叫んでいる人もいるようだが、やりたいヤツはやれば良い。但しそれを第三者に押しつけるのはやめろ!と申し上げたい。

新聞でもテレビでもネットでも被災者の惨憺たる状況が伝えられている。ここで一々説明する必要は全くないが、例えば、家も全壊し妻も子供も亡くし茫然自失の中年男性のことを考えながら、一体どんな歌が唄えるのだろうか?!また両親も親戚も亡くなったたったひとりぼっちの小学生のことを考えながら、一体どんな歌が唄えるのだろうか?!食事もロクにできず風呂にも入れず寒い夜を避難所で過ごしている人達を元気づける歌があるのでしょうか?!

腹が減って身体が痒く震えているときに、満腹になり身体がスッキリして暖かくなる歌があるなら朝から晩まで現地へ行って唄えば良い。しかし現地へ行けば、そんなモノよりももっと他に必要なことが山ほどあるはず。それが分からないのは、普通の想像力さえ持ち合わせていないということを物語っているのでは・・・。その普通の想像力さえ働かない想像力で作った歌を被災者が聴いたところで恐らく何の糧にもならないに違いない。

断っておきますが、ここで申し上げたいのは、チャリティコンサートなどについてやれとかやるなとかそういうことを申し上げているのはない。また被災者を元気づけをしたいと利益抜きで考えている方々のことを対象にしている訳でもない。コンサートを中止したアーチストの気持ちを全く無視して、中止したそのことを非難している人がいるので、それはおかしいやろ・・・と申し上げたいだけなのである。毎日、新聞やテレビの情報を見て普通の想像力を持っていれば、そんなことは言えないはずだが、第三者に強要するようでは、想像力の欠如どころではなく人間失格という他はない。

進歩の感じられない半年間

昨年の9月ごろからある意味で予期せぬことに気持ちが傾き始め、半年以上付け焼き刃的にがむしゃらに頑張ってみては来たが、やったほどの進歩は感じられず、歳を取るとこんなモノかと諦めムードが漂い始め、3月に入ってから少しプレッシャーをかけるのをやめてみることにした。もちろんやめるつもりはないが、プレッシャーを取り除くことで何か変化が起きないかと少し期待して、休憩を取ってみることにした。

1ヶ月ほど練習を意識することなく以前のような状態へ戻そうとした訳ではないですが、不思議なことに以前の状態にはもう戻れない状態であることにも気づく。ここのところは自分でも気がつかなかった進歩かも知れない。つまり練習を強く意識することなく、練習に入れる状態になれているということは、ある種の進歩に違いない。ただし内容的なモノはほとんど進歩しているとは言えない。

そんなことを考えながらも時々ネット上で好みの曲を見つけては聴いている内に、自分が探していた標的の中に新たな標的を見つけてしまった。難しくなく単純な繰り返しなのだが無駄な音が入らない分散和音を使った独特の世界。明るくもなければ暗くもない。心の襞の1枚1枚に染み込むような郷愁めいた曲。やっとたどり着けたかな・・・それもこれも多分この半年間の悪戦苦闘のお陰かも知れない。

まだ新しい世界への第一歩は始まってはいないが、これまでの保育園でのお遊戯はきっぱり卒業して、少し「らしくなる」方法などを真剣に学んでみたいと思う。これまで学ぶべき数人の方にはお会いしたが、歩むべき方向性と留まるべきステージでのあり方があるいは全然違っていたのかも知れない。いずれにしても心があっての活動がベースにあるべきで、それを忘れたエンターテイナーはもはや爪楊枝ほどの価値さえ見いだせない。

ある意味でカヤックを始めた頃によく似ていて、カヤックの何かを求め始めた時にアッチコッチのプロ業者のところへ顔を出しては、その道の求道者とも言うべき人を捜し求めたが、まぁとてもご立派な方ばかりで、とてもワタシのような素人などはお相手して頂けなかったのであります。一番感動をしたのは、今でも覚えているのですが、「鮫に噛まれたら痛いよ!」って教えてくれたプロもいましたし、野田知佑氏の本を一杯出して来て「この人に憧れているんですよ!」って、延々2時間も話を聞かされたりした記憶もまだ新しい。一番凄かったのは、船を売るときは「この艇は瀬戸内海のどこでも乗れます!」と言っておきながら、買った後で具体的な航海ポイントを尋ねると「そこは危ないからダメ!」って、どこを尋ねてもその同じ答えが戻って来た。笑えないジョークですよね。

音の世界の話に戻すが、明らかに底辺領域だからだと思うのですが、どこへ行っても似たり寄ったりで、全体的に靄がかかったような印象を強く受けてしまうのは、ワタシの感性に問題があるのかとついつい思ってしまうのだが、きっとそういう霞の中での浮遊に慣れてしまうと、吹き溜まりにいることすら気がつかずにいられるのかも知れないね。

そろそろカヤックシーズンの幕開けですが、こうしたワタシの趣味の世界も少し模様替えをしてステージを変え、新たな挑戦をしながら、カヤッキングの世界を少し違ったニュアンスで広めたいと思う。まぁ何が言いたいのかはよく分かりませんが、とにかく暖かくなったら頑張りますと言うことです。
趣味だろうと仕事だろうと一番大切なのは仲間とその心なのではないか・・・?!

2011年3月29日火曜日

震災と原発事故

今回の地震と津波で自然のエネルギーの凄まじさを世界中の人々が感じているのは間違いないでしょう。多くの建物が壊され、また多くの人々の命を奪われ被災者の多くは路頭に迷っていることは想像に難くない。

この地震で人間の作った原子力発電所が大変な事態に陥っている。自然の猛威は過ぎ去るまでに多くの時間を要しないが、原発事故は未だ収束を見ていない。事故が起きてしまってからの扱いができないのに作ってしまったとしかワタシには思えない。

そこに住んでいて被災をして家を失い家族を失い友を失った人々の思いを我々はどのように推察をすれば良いのだろうか?更にそれに追い打ちをかけるように放射能によって生活圏からも追い出された人も決して少なくない。

ワタシは一刻も早く原発事故が収束することを祈るばかりだが、しかし収束してからも放射能汚染を考えると、次から次へと難問が待ちかまえていて、前途は多難であることは間違いない。原発事故の影響を受けた方々は東電や政府から余りある補償を受けられることを期待するが、その責任を国民につけ回すのだけはやめて欲しいものだ。

ワタシの知人や親戚関係でこの地震で被災した人はいませんが、毎日気になって新聞やニュースを見ている。原発が収束し放射能が除去され道路や家や工場が再現され被災者が自分のふるさとへ帰れる日は果たしていつのことになるのだろうかと気になっている人は沢山いるでしょう。

任侠の世界で生きる人達でさえ救援物資をトラックに積んで被災地に駆けつけたというニュース記事もあった。それほど今回の地震の被害は酷かったと言うことでしょう。

この地震で被害に遭った方々に対する気持ちを思い、多くのプロスポーツが開催を中止ないしは延期したり、音楽の世界ではコンサートを中止したり延期するケースも沢山あるようだ。しかし世の中には色々な人がいるモノで、開催を中止したり延期したからと言ってそれが被災者の方々に何のプラスにもならないと考え、そうすることをナンセンスと感じたり、批判する方がまさかいるとは思いませんでしたが、実はそう言う方もいるということを知って少なからず驚いている。

中止や延期をした方々の中には、ひょっとしたらその方々の友人や親戚や恋人や恩師が被災しているかも知れない。あるいはその方の実家が被災をしているかも知れない。自分の友人がひょっとしたら死んでいるかも知れないと思うときに、ゴルフをしたり歌を唄って楽しむことができるだろうか?いや今回の地震の被害を考えるときに、知り合いがいるとかいないとかの次元の問題では全くないと思うのですが、皆さんは如何お考えですか?

ワタシは今回の地震の影響は日本だけでなく世界に大きな影響を与えると考える。人類史上最も注目すべき事故も含まれていて、政治・経済・社会などに多岐に渡り影響が出て来るでしょう。電気ひとつとっても社会制度との関連で考えなくてはならない時期に来ていて、こういう時にマックスウェーバーならどう考えただろうかと考えずにはいられない。

この岡山は今のところ表面上大きな影響は出ていないようだが、これから様々な分野でまず悪いことの方が沢山出て来るでしょう。建築資材などは既に手に入らなくなって来ているような話も聞きます。ガソリンや灯油の価格もこれからまだまだ上昇して来るでしょう。

しかしこの震災が自分に関係なく関東東北エリアのみの問題と考え、テレビや新聞の震災情報にウンザリしている方々は、自分達が被災者になった時には、恐らく野良犬や野良猫にも相手にされないのではないかと・・・。

2011年3月24日木曜日

怪しいスーパー

ワタシの事務所から歩いて10分くらいのところに「怪しいスーパー」ができつつある。何か大きな建物が建築中ではありましたが、建築の内容を知らせる看板も何も出ていないので何ができているのかさっぱり分からなかった。ただアパートでないことだけは確かだった。

たまたま今日その横を通りがかったのだが、既に店の看板ができていて「ティオ」となっている。おや点がまだ付いてないぞ。そうか「ディオ」ができるのか・・・そう思って良く良く見ると、「ディオ」ではなく「ティオ」なのだ。店の感じも全然雰囲気が「ディオ」とは違っているが、これは経営者の感覚を疑ってしまう。

多くの人が「ディオ」と勘違いをして来てくれることを期待して似たような名前を付けたのかも知れないが、なんともお粗末なネイミングだ。こんな姑息なことをするよりも安くて良心的で美味しい物を沢山供給すれば、自然と多くの人がやって来てくれるはずだが、何だか最初から躓いている感じだ。

1年もしない内に潰れるんではないだろうかね?!

2011年3月21日月曜日

土日祝 受付可

先ほどテレビのニュースを見ていたら、県庁での物資受付は「毎日」やっています・・・と報道されているのを聞いて、HPを見たらやはり「毎日」になっていました。きっと誰かが激怒して訂正させたのかも知れませんね!最初から「毎日」ってやらなきゃ~やる気ないって思われても仕方がないでしょう!

ところで各放送局のニュースを見ていて思うのは、最も肝心な内容のニュースを流して頂きたいと言うことです。現場の取材はもちろん大変だとは思いますが、救助された方が病院でお粥を食べたとかゆで卵を食べたとかそういう内容は今は全く必要はないと思うのです。それよりも、道路・水道・食料・原発事故・燃料・放射能漏れのレベル・その他などの状況を逐次報道して欲しいものです。

話はちょっと変わりますが、いつもロクでもないイヴェントをやっているシーカヤックの輩がこの大震災を利用して売名行為を画策しているようですが、呉々も現地での救助活動に迷惑をかけるようなことはやめて頂きたいと考えます。いつかの不細工な話ですが原発反対運動しているシーカヤッカーが反対運動中に沈脱をして、原発推進派に救助された経緯があります。ロクに操作もできない輩が全く知らない海へ出てまたしても沈脱をして救助隊に助けられるなどという恥ずかしくも迷惑極まりない活動は絶対にやめて頂きたいと思います。

一方で泉谷しげる氏は自虐的に「一日一偽善、売名行為の為にやって来ました。」と毒舌を履きながらギターと歌で救援活動をされていますが、ワタシはこちらにエールを送りたいと思います。そして応援もしたいと思いますが、ある程度復興に道筋がついたらワタシも微力ながら災害復興活動に従事したいと思っています。極力地元の迷惑にならないようにね!

シュラフ受付拒否

先日岡山県庁の震災救援物資の受け付け担当者に電話をしました。そしてシュラフを持ち込みたいのですがと連絡をすると、毛布とブルーシートとティッシュと紙おむつその他以外は受付できませんと断られました。無駄とは思いつつ、シュラフの暖かさをその担当者にお話しましたが、「貴重なご意見をありがとうございました。」と木で鼻をくくったような返事が戻って来ただけでした。

何だかあまり話をしたくないような担当者の声の感じに、さぞ応対の大変さがあるのだろうとワタシなりに推察をしましたが、それでもとても寂しいモノを感じました。県庁のHPには、救援物資は土日祝は受付できませんとも書いてありました。地震で被災した方々には土日祝などもう無関係なことが分かっていれば、そんな文言はとても書けないとワタシは思うのですが、さすが天下の公務員なんですね!と思いました。

しかし今日のテレビのニュースを見ていたら、神戸の運送業者が送るトラックの中の救援物資の中には、シュラフが沢山積み込まれていました。恐らく神戸の震災の時に非常に役に立ったのだと思われます。

岡山県の公共工事か国の公共工事か分かりませんが、アチコチで見かける超無駄無意味工事のお金があれば、どれだけのシュラフを買うことができるのだろうか?この大震災を機に無駄な公共工事は一刻も早くやめて頂き震災復興に充当して欲しいモンです。

最も心配される原発事故は比較的小康状態が続いている(?)ようですし、電源も取りあえずは繋がったようです。ポンプと冷却装置が上手く作動してくれることを祈るばかりです。

些細な話ですが、レトルトのライスパックについて・・・。

1週間ほどの前のテレビニュースでの内容ですが、電気が使えないので電子レンジが使えない、だからレトルトのライスパックは被災地に届けないで欲しいと言うような放送がありました。電子レンジがなくても薪でお湯が沸かすことができれば、パックからライスを取り出して簡単にお粥などができますので、非常に便利な非常食になりますが、馬鹿みたいな話ですね!

まぁそんなことよりも、原発事故が早く収束して、復興の道筋が見えて来たら、また何か協力できることを考えたいと思います。

2011年3月17日木曜日

東北関東大震災

この度は大地震と津波によって被災のされた多くの皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
まだ多くの方々が行方不明で捜索が続く中、燃料や食料が避難場所まで届かず非常に厳しい状況が続いているようですが、何も協力できないのが残念です。テレビなどで、広い体育館に収容された方々の寝具を見ると布団は少なく毛布を2枚重ねにして寝ているようです。ストーブの数も足らず、凍える夜を過ごしておられるのを想像すると、せめて厳冬期用のシュラフを供給できないものかと考えています。

厳冬期用でなくても夏用の薄いシュラフでも2枚重ねにしてその上に毛布などを掛けると、毛布だけに比べると数段暖かくなります。何とかしてあげたいものですが、一般人が直接物資を送ると現地での混乱が一層酷くなるだけとのこと、然るべきルートを通じて支援していきたいと思います。シュラフの暖かさを知っておられる方は意外に少ないかも知れませんが、本格的にアウトドア活動をされている方なら良くご存知と思います。

昨日まで体調がイマイチで何もすることができずただ指を加えてテレビやネットの情報を見詰めるだけでしたが、明日から報道機関や公的機関などにも連絡を取って少し活動めいたことをしようと思います。長年アウトドア活動ばかりやってきて頭の中は空っぽで他に思いつくことがありません。取りあえずは何もしないよりはマシかと思います。

テレビの報道を見ていると、暖を取る方法は石油ストーブくらいしか思いついていない感じですが、全国の多くの有志から沢山のシュラフが被災地へ送られることを切に願います。ワタシ自身も送る方法が分かり次第準備して然るべきルートに持って行きたいと思います。

食料や衣類などは全国から届いているようですので、大丈夫とは思います。また燃料も明日以降は充分な量が届けられるようですから、日増しに支援物資が被災者の皆様のもとへ届けられるようになることを期待しています。

しかし今一番気になるのは「原発事故」ですね!担当者の話を聞いていても大丈夫なのか大丈夫でないのか全然分からない。それぞれの説明では・・・マイクロシーベルトは先ほどよりは下がりました。人体に影響が出るほどではないので大丈夫です。そういう説明とは裏腹に、「原発」から避難する半径は日増しに増大しています。

微量ながら関東まで放射能が到達して、東京から大阪へ避難する外国の大使館も出ているようです。政府の説明を聞いていると、「大丈夫だけど外に出るな」と言うことらしいが、それならそのエリアは大丈夫じゃないと言うことではないのかとワタシは思うのですが、ある新聞には「原発」から数百km以上のエリアへ避難した方が良いのではとの記事もあります。

言いたいことは山ほどありますが、今は一刻も早く「原発」が危険でない状態へ復帰することを望むばかりです。復興の道筋がついたら、シュラフ以外にも微力ながらワタシなりに何らかの貢献をしたいと考えております。

2011年3月5日土曜日

呆れてモノが言えない!

昨日も書いたので、今日はもっと楽しい話題にしたかったのだが、なんと皆さん聞いて下さい、この話を・・・。

今朝、事務所から歩いて出かけようとするとすぐ近くの道路が工事中で、道路のアスファルトを全部剥がしていた。実は数週間前から下水道の工事の為に、道路の必要な部分だけを切り取り、そこの土を掘り出して、下水道管らしきモノを埋設していたのだが、大凡の工事が終了した後に、掘り返した部分を再び埋めて、切り取った部分の面積だけ新しいアスファルトを乗せて、これで一応工事は終了したものと思われた。

道路はデコボコで見た目は悪いが、しばらくはこれでも特に通行に問題ない。しかし、驚いたことについ先日、切り取りをした部分に新しいアスファルトを入れて「修理」したばかりの道路全体のアスファルトを、今朝はすべて剥がして入るのである。これまでにも無駄な工事は数限りなく見て来たが、こんなヒドイのは初めてだ。

最後に全部剥がすのであれば、最初から全部剥がしてからやれば、アスファルトを切り抜いたり、する必要もないはずだ。切り抜いた所へ新しいアスファルトを入れて固めて数日後に、全部剥がすなどとても考えられない工事である。今岡山市の財政は相当の赤字で苦しんで入るはずだが、下水工事の予算は有り余って入るのだろうか?仮に有り余っていても、普通の脳みそで考えても、こんなことはしないでしょう!

例えば、家の壁が台風で一部が破損して、その部分を一旦修理しておいて、できあがった頃に全部壁を取り壊して修理するのと同じではないか?!

こんな公共工事をやられたんじゃ税金はいくら搾り取られても足りなくなるのは当たり前だ。以前にもまだ全然傷んでない新しそうなアスファルトを剥がして工事をしているのを何度も見たことがあるが、恐らくは全国至る所で同じようなことがされているのではないか。

最近のいわゆる公共工事の現場を見るたびに思うのは、ひとつの行程をできるだけ効率よくしかも経費をできるだけかけないで良いモノを・・・そういう姿勢は全く感じられないのである。丁寧にやるためにやっているのではなく、できるだけひとつの工事から「売り上げ」を計上しようとしているとしかワタシの目には映らない。これでもかこれでもかと念入りにやっている姿は、最近の高層マンションのソレとは全く正反対だ。

最近の工法を見ていると、どでかいマンションなどは念入りにやっていてもホンの数ヶ月で完成してしまうが、学校などの敷地内でやっている色々な工事を見ていると、なるべく丁寧になるべく時間と人員を使い、そしてできるだけゆっくりとやっているようにワタシの目には映る。こういう公共工事では数分あるいは数秒で恐ろしい金額の費用が算出されるのだろうが、普通の人々は汗水垂らして1ヶ月働いてもなかなか30万円はもらえない。そしてそこから4~5万円は当たり前のようにさっ引かれる。おおざっぱな言い方で申し訳ないが、その貴重な数万円は僅か数秒で、消えていくこの世の不条理を、大新聞やテレビが鋭くえぐらなくてはならんのじゃないだろうか!

しかし大新聞は特に読売など堂々と大増税を訴えている。きっと糸を辿ればこうした公共事業の恩恵を受けられるに違いない。悲しいかな我々庶民の抵抗は、そうした下らない新聞を購入しない読まないということができるだけである。

2011年3月4日金曜日

大手新聞とネット情報

以前は、レストランやコーヒーショップに入った時には、必ずすべての新聞に目を通すようにしていた。読売・朝日・毎日・日経・山陽・スポーツ紙と片っ端から目を通していたが、いつ頃からか大手新聞にはほとんど目を通さなくなった。日経とスポーツ紙はザァ~ッと見て、面白そうな記事があれば読む。活字が嫌いになった訳でも、文章を読むことが嫌になった訳でもないが、どうも本当のニュースを流していないような気がする。そしてそのどうでも良いニュースが何故か、どの新聞にも同じような内容で出ているのは解せない。

特に最近ヒドイと感じるのは、広告紙面がやたらとあること。そしてマンネリ化したどうでも良い記事ばかり。政治の分野では、世論調査~%というのが、どうも胡散臭い感じがする。例えば、小沢一郎は議員辞職すべきか?の質問に対して~%の有権者がやめるべきと答えているとか、そうした手法で世論を誘導しようとしているのがよく分かる。彼のどこがどう間違ってどう良くないのかは全く論じる必要のない世論調査の中味は真実なのだろうか?仮に真実だとしても、世論がそう感じていることが、真実の基準にはならない。

新聞はそもそも真実を見つけ、それを世間に知らしめるのが使命だと思うが、昨今の新聞の態度は、NHKなどもそうだと思うが、世論を基準にして物事の判断を国民に求めようとしているのは、マスコミの態度としては堕落以外のナニモノでもない。もちろん、世論調査も必要な時もあるし、それなりの意義はあるだろうが、裁判で白黒が決まっていないモノを世論調査の結果で、世論を誘導しようとする傾向は、新聞やテレビの思考が停止した状態のような気がしてならない。

今日も読売新聞を読んでいて吐き気がしてきた。これが大新聞の記者が書いた記事なのかと疑うほども幼稚な内容である。ある政治家と秘書の「共謀」が裁判によって明らかにされるとかされないとかの内容なのだが、自分達がこれまで間違った内容の報道をしてきたことに対しては一語の反省もなく、また不正な取り調べについての内容も一切ない。そもそも共謀かどうかは、全く分からない時点で、既に共謀が前提であるかのような論理展開をしているのには、ワタシは少なからず驚くばかりである。

そしてこの読売新聞は率先して消費税増税を説いているのだが、また他の新聞もそれに習っているのかどうか分からないが、利権がらみで美味しい汁が吸えるのだろうと思うが、この現実の社会をちゃんと見ている人は、全くその必要性を考えている人はいないはずだ。新聞の論調はあまりにも稚拙で、今財源が不足していて社会保障に必要な財源が確保できないから増税だと言っているのだが、確保できないんじゃなくて、確保する気がないだけじゃないのか!大新聞の本当の役目は国民の財産である税金の多くが一体全体どこに投入されているのかをキチンと書くべきだ。

とにかくナントカ補助金、エコカー減税、エコポイント、特殊法人、意味不明な公共工事、など他にもやらなくても良い財政支出が一杯あるでしょう!民主党は政権を獲る前は、どれだけ大きな声で、特殊法人を解体すると言っていたか覚えている人は多いでしょう!今やそう言う声はどこからも聞こえて来ない。

おっといけない。こんな税金のことなど書くつもりはなかったのだが・・・、しかしこれ以上税金が上昇したら、低所得者はもう生きていけないでしょう!約束を守らない今の民主党執行部の仲良し倶楽部の面々の1年後の姿がどんな形になっているか、ワタシはしっかり見させて頂くぞ!この裏切り野郎ども!

そして本題に戻ろう。低所得の国民を苦しめる側に回っている大新聞は、真実を伝える、あるいは伝えようとするインターネットの情報に飲まれて、近い将来ほとんどの人が読まなくなるでしょう。既に欧米では、そうなって来ていますからね。足で稼いだ生きた記事もなければ、社会の真実を追究しようとする真摯な態度のない大新聞。そして紙面を半分以上が広告記事に覆われていて、誰が広告を読むのにお金まで払うかって、馬鹿にするなとワタシは言いたい。

2011年3月2日水曜日

平常心

根本的な問題が解決できた訳ではありませんが、「バイパス手術」が成功して、現状復帰できましたが、まぁ偶にはこういうことも必要なんでしょうね!昨日はロクに食事もせずにPC画面と睨めっこが16時間も続きました。お陰で今日は身体が軽い。そしてダラリとした精神状態に少しく活力が入った感じで、普通に仕事をしていることが楽しいなんて珍しい平常心です。

1月2月は遊びも仕事もその区別なく過ぎてしまいましたが、3月は「去る」ほどに早く過ぎて行きますので、仕事に重点を置いて頑張りたいと思います。ワタシは遊びを仕事にしているせいか、ワタシ自身が個人的な遊びに熱中すると、どう~~~も気持ちが良くないのですね!どこかで神経をすり減らして誰かの為に働くという部分をしっかり持っていないと、遊んでいても充足感が得られない。1月2月は、楽しいことをしながらも「楽しい」と感じられない状態が続きました。

楽しい遊びはその裏に厳しい仕事がなくては得られない・・・そんなことを考えながら、3月はひとつ気合いを入れて仕事をした後で「遊びたい」ものです。

2011年3月1日火曜日

サーバー障害

只今練試櫂HPの表紙が表示されません。サーバーに障害が発生したものと思われます。表紙ページ以外はみることができますが、何故か表紙のみ閲覧できません。またHPの更新もできない状態になっています。しばらくお待ち下さい。

2011年2月28日月曜日

アコギ倶楽部
















クレセントムーンのちょっと小振りなアコースティックギターです。もちろんワタシのギターではありません。昨日久しぶりに「魅せて」頂きました。ボディがマーチンほど大きくないので、抱きやすくそして弾きやすく、良い音色です。ブルース・ブルーグラス・カントリー系(確か)の曲の演奏用に製作されたアコギだそうですが、この次に買うとしたらこういうのが欲しいですね。そしてお金があれば、ギブソンもギルドもそれぞれ1本ずつあれば良いですね!まぁ実際買うのは難しいですが、言うのは自由で只ですから・・・。

昨日は、「無味乾燥」なギター曲について話しながら近くの山に登りました。つい先日、ちょっと話をしましたが、この無味乾燥なあるいは無意味な(そこまで言うかぁ~?)ギター曲を演奏しているのは誰でしょう?って宿題を出しておきましたが、「その人はOOO・O-OO-でしょう!」って正解を頂きました。まぁ人畜無害だから、ワタシはどうでも良いと思いつつも、暇に任せて(暇じゃないけれど・・・)こんな事を書いてはいますが、ある有名なギタリストも無味乾燥野郎に激怒して自身のブログで激白していたとのことなど、昨日は色々教えて頂きました。

ブルースやブルーグラスの良さが分からない日本人は一杯いると思いますが、インストロメンタルのギター演奏をしている方が、その良さに気がつかず曲作りをしているとしたら、ちょっといやかなり残念ではありますね!まぁカヤックを持っていても乗らないで見ているだけで楽しい方も沢山いるようですから、人それぞれということでしょうか?!


さて本題に入りますが、「アコギ倶楽部」を作ろうかと思っております。細かいことはまだ何も考えておりません。ワタシ自身の目的は、今は全然できませんが、ブルースやブルーグラスを中心に日本のフォークソングなどもやりたいと思っています。まぁ時に演歌でも歌謡曲でもOKですが、とにかくアコースティックギターを演奏する仲間を集めたいな・・・と考えているところです。

アコギだけでなくバンジョーやウッドベース、フラットマンドリン、フィドル、その他もあって良いかなと思っています。もちろんハーモニカもありですね。しかし練習時間や場所が問題ですが、将来的にはカヤックのショップとギターハウスを確保したいと考えております。とまぁ書くのは簡単ですが、実際に実現までには相当の紆余曲折があるでしょうね!それと「お前欲張りすぎてないかぁ~?!」って、神様にお叱りを受けるかも知れません。カヤックにスキーに登山に音痴のクセに音楽もやるのかいって、はいすいません、身の程知らずとはワタシのことでございます。