2011年6月9日木曜日

いつの間にか・・・

気がつくともうすぐ夏が近づいていますが、今年は昨年のような猛暑にはならないのでは・・・と期待をしています。と言うのは昨年の今時分は家の中もテントの中も相当に蒸し暑かったと記憶しているが、今年は非常に快適ですから。本来なら蒸し蒸ししてエアコンを使いたい状態だと思うのですが、窓を開けているだけでとても気持ちが良いのです。だから今年の夏は・・・だと思いたいのですが、実際はどうでしょうかね。

この気持ちよさの中には実は湿度が低いと言うだけではなく、心の片隅に残っていた煤や垢がすっかり抜け落ちていることにも気がついたのですが、これらはきっと目標意識を失うとまた体中にまとわり付いてくるのでしょうねぇ。目標意識というか目的意識というかそんな重いモノをいつも抱えていると、確かに大変な時がありますが、多分死ぬまで持ち続けなければならないものではないかと思うのですね!そんなの嫌ですけれどね!

毎日毎日とてもいい加減に生きていたいのですが、適当に生きていたいのですが、なすがままに生きていたいのですが、そうすると目的意識のない習慣や馴れ合いがまるでオブラードのようにワタシの体中を覆い尽くしてくれるような恐怖心に包まれてしまうのですから、面倒くさい話です。目的意識を持つと重苦しい時間を持ち続けなければならないし、それを持たなければだらしない習慣に身を置くことになり、気分は最悪となるに違いない。

いつか不意に目的意識を失った時に、ワタシは自分自身の作った不運に一時拘束されかかったのではありますが、気がつくと「宇宙の果て」までやって来て、そこから愚かな自分を見ていると、まだ身体の中まで腐ってきていないようなので、朦朧とした意識を覚醒させるべく、少しずつ心の襞を張り替えてみる努力をしている内に、結構ガタツキが整地されてきたように思うのです。いずれにしてもすべては偶然でありながら後から必ず必然性も感じるというのは、一体どういうことなんだろうか?神の意志とまでは言わないにしても、生きながらにして死を選ぶ生き様は覚醒された生き様に暗黙の内に消し去られる運命にあるのかも知れない。

だからいつも心の先は少し尖っていた方が良いのかも知れないね!