2012年2月21日火曜日

朝日新聞の末路が見えて来た

国民新党がシロアリ退治なき消費増税反対を明言

2012年02月20日 09:30
 朝日新聞社説を論評する。論評にも値しない愚論だが、朝日の落日を示す象徴的文章でもあるから、紹介しておく。昨日付のメルマガ記事で取り扱った。

「ごみ売り新聞」と揶揄される発行部数だけが売り物の新聞が有名だが、朝日新聞も「媚び売り新聞」と改名した方がよいのではないか。
2月19日のNHK日曜討論では、民主党内も与党内もまとめることのできない、野田佳彦内閣の体たらくが改めて鮮明に印象付けられた。

民主党国会議員の約半数が消費増税反対である。消費増税に賛成している議員と反対している議員のどちらに大義と正義があるのかは明白である。

正義と大義があるのは消費増税に反対している民主党議員である。

朝日新聞がどのような社説を掲載したのか。以下に引用する。2月18日付朝刊社説である。
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「一体改革大綱―民主も結論を出す時だ」

「野田内閣が税と社会保障の一体改革の大綱を閣議決定した。消費増税を柱とする法案を、3月中に国会に提出する。その方針に沿って、半歩進んだ。

政府・与党が1月に素案を決めてから40日が過ぎている。野党との事前協議が成り立たないのだから、政府・与党単独での大綱決定は当然だ。

この間の野党、とりわけ自民党には失望させられた。消費増税の必要性を認め、当面10%という引き上げ幅も同じなのに具体的な対案を示さない。

民主党のマニフェスト違反をあげつらい、政権に衆院解散・総選挙を迫るばかりだった。

もはや野田首相は、一日も早く法案を提出し、国会論戦を通じて妥協点を探るしかない。

ところが、こんな現実を前に、民主党内には相変わらずの光景が広がっている。いまだに増税反対論が根強くあるのだ。

現下のデフレ経済のもとでは増税すべきではない、国会議員や公務員の経費削減が先だ、といった意見が渦巻く。

朝日新聞の2月世論調査で、政府の増税案に賛成40%、反対46%、最大の反対理由が「国の経費削減が進んでいない」だったことも、こうした意見と重なる部分がある。

だが、菅政権以来、3年ごしの議論を経て、少なくとも党内の大勢はとうに決しているはずだ。先の党代表選で消費増税を明言した野田首相を選んだのは民主党自身ではないか。

もちろん、政官ともに「身を切る改革」は絶対に必要だ。それと同時並行で、消費増税の作業を進めるべきなのだ。

大綱が増税にあたって約束した改革のうち、国家公務員の給与削減策は、ようやく民主、自民、公明3党が合意した。残る国会議員の定数削減も早急に詰めてほしい。もっと徹底してムダを省き、歳出を削減することも欠かせない。

今後は、民主党内のとりまとめが紛糾したり、野党が内閣不信任案や首相の問責決議案提出をうかがったりする緊迫した局面も想定される。

すでに党内の最大勢力を率いる小沢一郎元代表は最近のインタビューで、法案の閣議決定にも衆院での採決にも反対する考えを明言している。

もし、最後まで増税に反対する勢力がいるのならば、たもとを分かつしかない。首相には、その覚悟を強く求める。

与野党の駆け引きが激化し、国会の混乱は避けられないだろう。そのとき首相に求められるのは、一体改革の必要性を、愚直に国民に訴えることだ。」

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朝日の致命的な欠陥は、朝日の主張が、民主主義の根幹をまったく踏まえていないことだ。

民主主義、言い換えれば国民主権との根幹を踏まえるなら、増税論議の鍵を握るのは野田氏でも財務省でもない。主権者国民だ。

政党は選挙に際して政権公約を明示する。主権者国民は政権公約を吟味して政権政党を選択する。政権を担う政党は、主権者国民との約束、政権公約を守る責務を負う。これが、「マニフェスト選挙」でもある。

選挙に際して、民主党がどのような公約を示したのかが何よりも重要である。

このことは、野田佳彦氏が分かり易く述べている。

「マニフェストにはルールがある。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらない。それがルールだ。」

「書いてあったことは何にもやらないで、書いてないことは平気でやる。
それは、マニフェストを語る資格はないと思っていただきたい。」

この発言を行った者が、書いてあったことはやらないで、書いてないことを平気でやることは許されない。

朝日は
「菅政権以来、3年ごしの議論を経て、少なくとも党内の大勢はとうに決しているはずだ」
と主張するが、見当違いも甚だしい。

民主党内で正論を述べる者は消費増税に反対しており、その数は党内の約半数に達する。消費増税に賛成しているのは、民主党内の詐欺師グループである。その主張に正当性はなく、世論の支持も得ていない。
民主党が示していた方針を分かり易く表現したのが野田佳彦氏である。

民主党は総選挙に際して消費増税に反対した。その理由として掲げられた言葉は、「増税の前にやるべきことがある」だった。

民主党は、

「シロアリを退治し、天下り法人を根絶し、天下りを根絶する。 ここから始めなければ消費税を上げるのはおかしい。」
と主張したのだ。

その後、このシロアリ退治はまったく進んでいない。むしろ、シロアリ保護策を打ち出している。

だから、この状況下で消費増税に進むことは完全な間違いである。

朝日媚び売り新聞はさらに、

「先の党代表選で消費増税を明言した野田首相を選んだのは民主党自身ではないか。」

と言うが、民主党が誰を代表に選ぼうとも、民主党が主権者国民に対して責任を負うことに変わりはない。野田氏が国民との約束を守るのなら問題はないが、代表に選ばれたからといって国民との約束を一方的に破る理由になるわけがない。

野田氏が主権者国民との約束を改めようとするなら、総選挙で国民の信を問うという手続きを踏むことが不可欠だ。面倒ではあってもこの手続きを省略することは民主主義の破壊そのものであることを認識するべきである。

自民党の谷垣総裁が野田政権の消費増税を認めないのは、この意味で日本政治の良心を示している。谷垣氏まで批判する朝日新聞はほとんど脳死状態だ。

2月13日に国民新党の行動に警戒感を示したが、国民新党が税制改革大綱の閣議決定を容認したことについて説明した。

国民新党の消費増税反対姿勢は不変である。メディアが消費増税を推進するために、誤報を意図的に流布した疑いが濃い。

橋下新党も消費増税反対の姿勢を示すだろう。

次の総選挙最大の争点は消費税になる。

正統性のない消費増税は必ず主権者国民から却下される。不正義の行動を示す立候補者は、厳しく断罪されることになる。

民主党正統に属する議員は消費増税に反対する。

 主権者国民との契約を一方的に破棄して消費増税に突き進む者は、民主党を離党するべきだ。消費増税反対が正統であり、消費増税賛成が非正統である。
 
非正統の民主党議員は次期総選挙で軒並み落選することになる。

2012年2月13日月曜日

パドル木工教室

昨日2/12日曜日は、仕上げのパドル教室でした。パドルを作り始めた頃は、カンナの使い方も知らない自分がまさかパドル製作教室など開くとは夢にも思っていませんでしたが、楽しいですね!

僅か数千円の材料で、5~6万円以上のカーボンパドルを超えるパドル作りができていると自分では思っていましたが、それを身体で感じで頂ける方と一緒に製作に取り組んでいると我を忘れてしまい、アウトドアの楽しみとはまた別の喜びを感じますね!

昨年夏ごろから体調不良で休んでばかりいると更に調子が悪くなり、これではイカンと感じて、歩いたり作業をする時間を大幅に増やし、このところ体調も随分改善されてきました。歩いていたり、何かの作業をしていると何かがいい感じなので、少しずつ良くなっているようですが、年齢的には色々と考えるところがあります。

パドル製作も単なるそれではなく継承すべき方々に、それぞれの味わいを取り入れて製作方法を将来へ残して頂きたいと思ってやっております。

最初にワタシが思いついたのは、1本モノのパドルはできそうになかったので、何か違う方法でウッドのパドルができないか色々と考えていました。そしてある日外国のHPに2万円くらいで販売しているウッドのパドルを見つけました。

それはワタシでも作れそうなサンドイッチ構造のウッドパドルでした。最初は作る意識はなく買うつもりで探していたのですが、その2万円ほどのパドルは無骨でナント重量が1.2kgほどありました。これではあまり意味がないと思いつつ5年くらいホームセンターへ通い、ウッドの材料を探していました。

そしてある日突然ふっとコレダと思いつき、早速そこにあった材料を買い込み数日で作り上げたのでしたが、それは今から思うととても奇妙なパドルでした。しかしその奇妙さが全ての鍵を握っていたのでした。一本モノパドルを遥かに超える秘訣が隠されていたのでした。

それとそこに置いてあったブレード材といい、シャフト材といい適度なしなりを産むための丁度のサイズだったのは偶然だったのか幸運だったのか・・・?「求めよさらば開かれん!」なんかそんなキリストの言葉があったような気もするのですが、ある意味で奇跡だったかも知れません。

あれから何年経ったでしょうか?教えたり教えられたりしながら、製作方法は少しずつ進化して来ました。使う道具・材料・接着剤・塗装剤・その他と今回もまたひとつ教えて頂くことがありました。小さなカンナが凄い威力を持っているなんて全然気がつかなかったのですが、こういう発見こそが重要ですね!

昨日はパドル3本が対象になりましたが、その内2本しか作業できませんでした。2本しか・・・いやいや2本もやることができました。完成間際の1本は塗装までいきました。凄いセメダインの臭いのする硬化剤無しのウレタンでしたが、木目が綺麗に出て来るサラサラの液体を初めて試してみました。

2本目はシャフトの削りだしとブレード成形へ進み最終的には、サンディングも終了して、後は塗装のみと言うレベルまで到達できたので、合格な1日だったのではないでしょうか!

今回はガラスクロスを使わない製作でしたが、次回はそれも含めてやれたら幸いです。次回の予定はT氏の曲がったシャフトが真っ直ぐになった時点で都合を見て実施したいと思います。

2012年2月10日金曜日

それぞれのランチと遭難

シーカヤックだけでなくスキーでもトレッキングでもどこかでランチを食べると思いますが、そしてそれはどこでどのように食べようと本人のご勝手ではあると承知していますが、ワタシなりに少し考えてみました。レストランで食べようが丘の上で食べようが浜辺で食べようがランチには変わりないし、胃袋に入り排出されればひとつの行程を終るだけのこと・・・なのでしょうかね?!そこのところがワタシはどういうわけかそうじゃないような気がするのです。

レストランや食堂で食べる。コンビニ弁当を食べる。手作り弁当を持参する。材料を持って行ってそこで自炊をする。などなどランチの形は色々あるけれど、できるだけ自立したランチとは・・・?

今毎週末行っているスキー場には、レストランや食堂があるが、最近では駐車場に戻って来て、お湯を沸かしてカップ麺等を食べている家族連れを良く見かけます。ランチ代の節約にもなりますし、何よりも子供達が外で活動する面白さを実感する場面でもあろうかと思うのです。みんながみんなレストランで食べるからそこで高くてまずいランチを無理やり食べる必要はないと思うのです。まぁ最近では量も増えて美味しくなって来ているようですが・・・。

昔あるスキー場で高校の時の同級生に会った時に、そいつはスキー場にガスコンロを持って来てランチなんか作る奴の気が知れない・・・などとほざいていましたが、なんとそいつは今や小学校の校長先生をやっているらしい。多分お金持ちになったんでしょうね?!それと同時に何かを置き忘れてしまったんでしょうね!スキーをして帰ってくる行程の中にはそれ以外の多くの内容が含まれているはずですが、彼はスキーへ行くときはスキーしかやってないんでしょうね、きっと。野外活動の一環なんて言葉はあまりに陳腐で使いたくはないが、何かに纏わる体験の中で人は成長して行くんではないかと思うのですが、数学は数学だけを、英語は英語だけを勉強すればよいのでしょうかね???

トレッキングの場合は、普通山中にレストランや食堂はないから、日帰りの場合は弁当時持参が一般的でしょう。もし山頂展望台に美味しい料理が食べられるレストハウスなどがあれば、行ってみたい衝動に駆られるかも知れませんが、そういう山登りを心がけている人をワタシは一人も知りません。山歩きに出かけるときは、日帰りならばデイバッグを背中に背負い、その中にお茶・クッキー・ランチ・珈琲・コンロ・タオル・ティッシュなどを入れて出かけます。少し歩き慣れてくるとある程度背中や肩に重量負担を強いたほど歩きの効果がありますから、レストラン&食堂利用はモッテノホカだと思うのです。そして極論ではありますが、日帰りで遭難なんて普通は考えられませんが、山中で転んで骨折でもして歩けなくなり、携帯は電波が届かないような場所で一夜を明かすようなそんな目に遭った時に、デイバッグの中に水や食料やガスコンロがあったらどれだけ心強いことでしょう。

レストランや食堂を目当てのトレッキングなどをやっていると、それ自体は決して悪いことではないにしても、それが行動の価値を高めることには繋がらないと思うのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか?!

前にも書きましたが、シーカヤックについては普通前後に大きな荷物室がありますので、相当の量の荷物を積むことができますので、インスタントでインチキ臭いカヤックライフを求める方はともかく、これからカヤッキングに真剣に取り組みそれを通じて色々なことを吸収していきたいとお考えの方は、カヤック以外の装備もキッチリ揃え、充実したアウトドアライフを楽しんで頂きたいと思うのであります。あの日本を代表するインチキシーカヤッカーの第一人者の大先生でさえ、さすがに食堂やレストランは利用していないようです。

そもそもシーカヤッキングは「自立した遊び」だとワタシは思っていますが、食堂やレストラン利用は都合の良い他力本願の面は逃れられないと思うのです。利用するのは自由だが、「遊びの自立」と言う面で言えば、これは非常に良くないことで、そういう精神的領域を持つということは、いざという状況に直面した時に、誰かに助けてもらわなければ遭難する可能性をいつも持ちながら、いつも甘い誘惑に負けているのかも知れません。まぁそこまで考えてカヤックに乗っている人は非常に少ないかも知れませんが、それはあのインチキシーカヤッカー以下の評価だと分かれば、・・・そう言えば、あの動画も相当インチキだったような・・・????

そう言えば最近「甘い誘惑」に恵まれすぎているワタシでした。沈。

2012年2月8日水曜日

小さな歴史が終るとき

趣味の世界の話ではありますが、どうしてなんだろうか、折角大事に育てているのに、始まったばかりの歴史が幕をおろしてしまうのです。最初に幕をおろした時の言葉は「自粛は間違っている」でした。震災で多くの人が死んだり大きな被害を被った時に、遊びの活動を自粛するのが間違っているなんてどこをどう探したらそんな理屈が出て来るのか、理解に苦しむ一幕でしたが、ワタシのその時のショックはかなり大きかった。その表現にショックを受けたのではなく、どういう生き方をしてきたらそんなことが言えるようになるのかと、想像すらできなかったことにショックを受けたのでした。

しかし後で考えてみると、人前で自分が「小さな犯罪を犯していたこと」をある種自慢げに話していたこともあったことから、自分を客観視する成長過程がなかったんだと推察できるのですが、こういう人の本質を早く見抜く力がワタシになかったことも事実のようです。

そしてそんな世界から足を洗いまた別の世界へ踏み込んでみたものの殆どコミュニケーションが成立しないのですね!その理由は未だ理解できずですが、会話のネタが見つからないので、少し質問形式にしてみると、そんなに大先生にならなくても良いのに、富士山の頂上から飛び降りて来るような勢いで説明と言うか講義が始まるのですね!その講義の内容が面白いのなら少しは我慢もできるが、何の説明にもなっていないことに気づいていないその人がだんだん哀れにも思えてくるのでした。そう言えば、シーカヤックの第一人者の方も何かを一生懸命説明しようとはしているのだが、実は何の説明にもなっていないことをお気づきになっていないようで、こういう人は世の中には一杯いるのかも知れませんね!

まぁワタシなども何かを説明することがありますが、説明した後で良く言いますが、「あっ、すいません、今の説明になっていませんでした。」ってね。

それからしばらくして道で偶然に知り合いに出会い短い会話を(しようと)しました。その方はいつしか勝手にワタシの先生になっていました。こういう場合は世間話でいいのに、そして誰もあなたに教えを請うてはいないのに、こうすればよいああすればよい・・・などと講義が始まるのでした。心の中でこういう方は何かの先生には向かないなぁ・・・と、悲しくも別れを告げたのでした。そしてここでもまた小さな歴史が始まらず終ってしまったのでした。

「君子危うきに近寄らず」って、高校の頃には何のことやらさっぱり実感できなかったですが、どうも最近は「危うき」を実感しすぎで悲しすぎです。まぁ自分のことを君子などと思ったこともなろうとも思ってはいませんが、危険な君子には今後は特に気をつけたいものです。

でもね、思うのですが1分1秒を争うような忙しい生活をしている人は、いつも時間を大切にしていると思うのですが、時間よりももっともっと大切なものがあることを忘れてしまっては、時間を大切にする意味もないように思うのですね!我々は今生きていますがいつしかあの世に行ってしまいます。しかしそのときこそ時間は失われず永遠となるはずですが、今生きている時に何かの心を忘れてしまっては、その世界でもその人の時間は失われ続けるのではないのだろうか?!

しかし意外にも今日は落込むどころか妙に気分がすっきりしているのは何故だろうか?多分それは予想通りの結果だったからだと思うのです。それは日頃から何かの局面である種の面白くない部分と言えば良いのか、反応したくない部分と言えば良いのか、何か心の硬い部分を感じていたから、もしそれが変な対抗意識だなどとは思わないが、それでいて低姿勢な上から目線も何となく理解できたからだろうと思うのです。

あ~ぁここまで書いて気がついたことは、実につまらないことを時間をかけて書いたもんだと言う事。実にくだらん話だが、これから先こうしたクダラン時間を過ごさない方法をもっと研究しないといけないな・・・と思うのであります。それにしても意味不明だなぁ・・・・。

2012年2月7日火曜日

これで日本を代表されても困るのぉ~!

シーカヤックのツアーについてネットで検索していたら、恐ろしく酷い内容の文章を発見した!いやぁ~参った参ったマイケルジャク損。まず表題がズッコケタ感じで面白い。なにやらシーカヤックでマグロ一本釣りでもやると言うんじゃないでしょうねぇ???北朝鮮がまぁ攻めてくることはないと思うが、そのときにシーカヤックで応戦でもしようというのでしょうかね?

「シーカヤックがもたらす海洋国家への道」・・・おもろい題名やな、笑えよぉ~~~?!

その中に以下の文があったぞな!

「沿岸の海を手漕ぎで進み、上陸して夜を過ごす。シーカヤックの旅は、沿岸の海と陸とを行き来しながら完遂していく。・・・完遂しているのはアンタだけじゃないのぉ~?!完遂するのはいいけれどカヤックに旗を立てて意味あるのぉ~?

したがって、沿岸域の環境を必然的に理解していくことになる。・・・どうして必然的なのぉ~?ぱっと見たら分かるの?凄いね!

そんな行動の裏側にある価値観(どんな価値感なのぉ~?)が、北アメリカで爆発的な人気を博すことにつながっていった。シーカヤックの旅は、海のバックパッキングと呼ばれ、特に北アメリカの主要な産業、文化であるアウトドアの本流の一角を担っている。・・・へぇ~知らなんだ!「アウトドアが北アメリカの主要な産業」だったんですか???アレレじゃないですかね?!アウトドアがどうやったら産業になるんだろうかね?「産業」の意味を良く考えてからご使用になった方がええんちゃうの?それから「アウトドアが北アメリカの主要な文化」と繋いで理解してもいいんでしょうかね?もしそうならまたまた疑問が生まれチャイますね!またアウトドアの本流って一体ナニなんですかね?

シーカヤックの旅を経験することで、人は、海と陸とのつながりを体験的に知るようになり、知識とも相まって、そのつながりを深く理解することになる。・・・これ一体ナニを言わんとしているのでしょうか?分かりますか?皆さん。「知識とも相まって」・・・はぁ~?何の知識ですか?そしてナニを深く理解するのでしょうか?そうかぁ~、分かったぞ、干潮になったらサザエやアワビがとれる場所が分かってくるって事かなぁ~?オイオイそんなことはやっちゃぁ~いかんぞ!

そうして、普段の生活では持ち得ない「海からの視点」というものが養われていく。海の上に座っているかのようなポジションで漕ぎ進むため、ゆったりと沿岸域の環境を観察しているのだ。機械音がしないため、海の生物にもインパクトが少ない。ホエールウォッチングに使用されることもあるが、鯨の方がシーカヤックウォッチングに来るかのような状況まで生まれるほどである。」・・・ゆったりと沿岸域を観察するのはいいけれどもそれとホェールウォッチングはどんな関係なんだぁ~?ナニが言いたいんだぁ~?全然分からんぞぉ~?!

沿岸域を観察する前に自分達のシーカヤッキングを観察した方がいいんじゃなかろうかねぇ~?!

それと余計なお世話だが、「産業と文化」について基本的な学習をされることをお勧めしますね!それらを語る前に日本語のひとつひとつの意味を良く理解してからご使用されることをワタシは祈っています。シーカヤックのツアーやガイドは「産業」の範疇に入らないし、言葉の意味を良く知らないで書いた文章から文化が生まれることはまずないですからね!

もう今からでは遅すぎると思いますが、精進する気があるならもう一度小学校5年生程度の漢字の少ない読本から勉強し直した方が良いと思いますよ!起承転結とか序論本論結論とかそうした簡単な文章の書き方も勉強し直した方が良いでしょう!

そして最後に一言、「瀬戸内海にシーカヤックの文化」は全く必要ないことも付け加えておきます。沈。

シーカヤックって一体ナニ?

最近ふとしたことからシーカヤックって一体ナニなんだろうか?って考えるようになりました。もちろんワタシは人には説明はしないが、自分に対する答えはいつも持ち続けてきたつもりではあります。持ち続けてきてはいてもいざ説明するとなるとそれほど明確ではないことも分かるので、ここに書いて少し明確にしておきたいと思うのであります。

まぁ一言でシーカヤックと言っても色々なタイプがありますが、基本的に海で乗る乗り物には違いないことは誰でもご存知でしょう。長い短い、重い軽い、速い遅い等様々な違いがあるが、普通我々がイメージするのは5m前後で一人乗りで前後に荷物室があります。ラダー・スケッグなど装着の有無は関係ない。今はそういうことは問題にしていません。

その5m前後のシーカヤックで27年間もナニをして来たのだろうか?車にキャリアを取り付けカヤックを載せパドルやPFD等の装備にキャンプ道具や食料を準備して、毎週末海に出ていました。いつもは近くの無人島へ行き、時々遠くの島々へツアーへ出かけました。カヤックの前後のハッチの中には、準備したキャンプ道具・水・食料・着替え・医薬品・その他を詰め込み、地図と磁石を頼りにツアーへ出かけました。

東は家島諸島から西は笠岡諸島まで殆どの島を巡りました。自慢そうに聞こえたら申し訳ないです。そんなつもりはありません。エンジンのついていないシーカヤックでそういう島々に行くことができると言いたいだけなのです。27年間も飽きもしないで海へ毎週毎週良く出かけられたものですが、ではワタシやワタシ達はナニを求めて海へ出ていたのでしょうか?なぜそういう島々へ向かっていたのでしょうか?

そこのところを今少し明確にしておきたいな・・・と思うのです。

大凡の日本人は月曜日から金曜日までは仕事をして土日がお休みではないかと思います。中には日曜日だけしか休めない方、あるいは平日の1日だけと言う方もおられるでしょう。まぁいずれにしても週に5日程度働き2日程度お休みがある生活が一般的ではないかと思うのですが、ワタシ自身は基本的にお休みはなく、平日の昼間が比較的自由になる時間を持っていました。

その比較的自由な時間を使って海へ出ていました。海へ出る目的は色々とありましたが、ひとつには毎日暮らす環境から抜け出したいと言うことがありました。その毎日暮らす環境とは、アスファルト・自動車・排ガス・会社のビル・マンション・お店・レストラン・スーパー・学校・人ごみ・電車・バス・自転車・その他ですが、つまり日常の生活で自分達を取り巻く全ての環境を言うわけです。

海に出れば、基本的にそういう環境から解放されるわけですが、もちろん100%じゃないにしても、目の前には海と島と船だけです。最近じゃとても鬱陶しいジェットスキーやレジャーボートなどにもお会いできて、涙もチョチョギレルのですが、まぁそれはちょっと本題から逸れますので置いておきますが・・・。まぁ要するに日常生活から抜け出してしまい心身共にリフレッシュしたいわけです。

他の皆さんは、どのように思われるのかは良くわかりませんが、ワタシの場合はいつも同じ景色を見て同じような仕事を続けていると、気分が閉塞感に支配されて、全く気力が出なくなります。そこで海へ出かけたり山へ歩きに行きます。そうすることで目に入る景色が違うと自然と別のことを脳が考え始めます。そして日常生活から一時的に脱出すると実は思考パターンも日常思考から抜け出しているのではと思います。

そして月曜日になると再び日常に戻ったときに新鮮な気持ちで仕事に向かうことができるような気がしています。ただ最近は月曜は体力的には疲れていてその結果精神的に立ち向かう気力が弱まって来てはいますが、一応リフレッシュは達成されているようです。

もうここまで書いてきたらナニを言おうとしているかお分かりと思いますが、日常生活から抜け出す為に海に出かけて行っているのに、島の民宿に泊まったり、ランチをレストランや食堂で食べたり、あるいはフェリーを利用したりするのは極力避けたいのであります。まぁ最近では、色々な方がいますので、島の民宿を利用する為にシーカヤックに乗ったり、レストランでランチを食べる為に海に出たり、フェリーを楽しむ為にシーカヤックをしている人もいるようですから、シーカヤックも相当に多様化したもんだとワタシなどは呆れるばかりですが、もっともっとシーカヤックの可能性に目を向けて頂きたいと思うのであります。

当然海にも日常生活がありますので、完全ではありませんが、極力日常生活から脱出しようとする辺りから、少し新しい世界も見えてくるはずです。新しい世界が見え始めると、今度は何故か自分達の使っているカヤックやパドルなどの性能にも目を向けるようにもなるだろうし、カヤックの楽しみ方もより自然世界に親しむ度合いも広く深くなって来るような気がします。

ワタシもカップ麺などのインスタント食品が大好きですが、毎日食べていると身体に良くないでよね!それと同じように毎週インスタントなカヤッキングを楽しんでいると、大自然の脅威はインスタントカヤッカーだけを決して優遇してはくれません。そうしたことも考えながら、シーカヤックの持つ可能性を毎週末少しずつ引き出す継続性こそが、ランチを美味しくする方法ではないかと思うのであります。

2012年2月3日金曜日

ランチに視点を置いたカヤッキングの発展段階

長年シーカヤックに関って生活をして来ましたが、どんなランチをどこでどんな風に食べるかなどあまり考えたことはありませんでした。まぁある意味大して重要視していなかったかも知れません。何故ならシーカヤッキングの場合は山歩きと異なり、荷物は山ほど積載できますから、弁当だろうが鍋だろうが好きなものを持って行けますからね。

そんな訳で(・・・どんな訳で?)ワタシのあるいはワタシ達のこれまでのシーカヤックランチを振り返ってみたいと思います。基本的にワタシ達は今も昔も無人島へ出かけて行きますので、ランチをどこかの食堂またはレストランで食べることはできません。またそういうことは基本的に望んでいませんでしたし今も望んでいません。

振り返ってみると大凡コンビニの弁当が圧倒的に多いように思います。たまに弁当を自分で準備してくる方もいました。ワタシも時々ではあるが作って行ったこともあるようなないような・・・そんな程度です。ちょっと工夫をしている人は、熱湯をポットに入れておにぎりと一緒にカップ麺を食べる人もいました。ついでにそのポットのお湯でドリップ珈琲などを飲んでいましたが、この時のランチ総予算は多分200円を超えていないのではないでしょうかね。

それから小型のバーナーと水を持参して、カレーとかラーメンとかその他のレトルト食品を簡単に調理する方も少なくはありません。中にはお米を持って来て炊きたてを食べている人もいましたが、これは凄く感心しましたね。なんせライスのパックを温めるよりもこちらの方が早いですから驚きです。

次にこれは滅多にないことですが、多分1年に1回あるかないかですが、遠くから久しぶりのメンバーがやって来たり、ツアーの帰りに立ち寄った島の観光地のお店で誘惑に負けて讃岐うどんを頂いたことなどはありますが、これは後から思うと自分に対して非常にウシロメタイ気分になりますね!

しかし最近では、ワタシは良くは知りませんが、シーカヤッキングに出かけてランチを食堂やレストランで食べるのが謂わば常態化しているところもあるようです。確かに忙しい毎日を過ごしていて週末にカヤックに出かけて浜で侘しくコンビニ弁当を食べるよりも、暖かいあるいは冷房の良く効いた食堂あるいはレストランでできたてホヤホヤの食事をする方が美味しいに決まっているでしょう。これは何も悪いことでは決してないと思いますし、そういう「生き方」もあるのかも知れません。

ただシーカヤッキングを楽しむ原点を考えた時に、何かふと忘れモノをしたような気がします。やったらいけないとかやるべきこと・・・そうした問題ではなくて、シーカヤッキングという活動の中に、食堂とかレストラン利用のプロセスが入り込むと、ワタシとしてはとても重要なポイントを、いや一番美味しいところを切り捨ててしまっているように思えてなりません。

それともうひとつ危惧するのは、ビールなどの飲酒を浜辺でやっていると人目を憚るのでそうしたレストランを利用する人が増えてきているのかも知れません。どこで飲もうが飲酒パドリングに変わりはないのですが、楽しむプロセスも大事にしたいですね!