2013年1月31日木曜日

教えてもらった覚えはない・・・?!

もう昔の話ですが、好青年がカヤックを習いにワタシのスクールにやって来た。とてもやる気のある奴だった。明るい青年だった。ロールは練習中でロングRからのスタートをして、ツアーやキャンプをしながら一緒にカヤックを楽しんだ。しばらくしてロングもショートもできるようになった。もちろん本人が努力したからあっという間に上手になった。

距離は元々漕げる奴で、ワタシがどうこう言う必要は全くなかった。個人的にも相当に漕いで練習もしているようだった。しかしハンドRだけはどうしてもあがらないしやり方が分からず、浜で休憩中にどうやるのか?って頻りに尋ねて来た。その頃は今ほど道具の利用法が進化していなかったので、水の中での身体の動きや、陸上でのイメトレなどのやり方を話した。

手や腰や頭の動かし方を色々な形で話し、本人も相当に練習を重ね、ついにはできるようになった。そしてひとりで色々な島々へも出かけるようになって相当にカヤックに自信が持てるようになったある日、どちらかと言うと上から目線で話すワタシに、彼は「僕は鈴木さんからカヤックを教えてもらいましたか?」って言われたのですが、「技術を獲得するのは本人の努力ですね!」って応えるしかなかったのを覚えている。

途中で彼が変わったのかワタシが変わったのかは置いておいて、この辺りの領域に入ると、全部を教えてはその人の為にはならないのではないかと思うようになった。教えてもらおうと自分だけでやろうと結局獲得するのは自分だけですから、ある程度できるようになると、別にお前に教えてもらわなくてもこの程度のことは自分だけでもできたはずだと考えるようになるのでは・・・。

どんな難しいように思える技術でもできるようになれば、それは決して難しい技術ではなくなる。ナニが難しいかと言えばそこに至る艱難辛苦の苦行のプロセスで、ワタシの指導はその苦行の部分をできるだけ少なくした効率の良い練習方法を提供してきたのだが、そこが実は一番良くないのではないかと思うようになった。

ロングRからハンドRまでスラスラとできるようになっては、達成感もないし、有り難味もない。実はカヤックは詰まらない遊びなんだと勘違いをする人も出て来るかも知れない。現実にそう感じてやめて行った人も沢山いるように思う。

だから100%教えるのではなく、50~60%くらいで、放っておいて後は自分で開拓していくようにしてもらうのが一番良いのではないかと思う。

ワタシは何でもかんでもホイホイと教えすぎるところがあって、仕舞いにはなんの有り難味もない存在になってしまうようだから、まぁもともと有り難味なんて全くない存在だからそれはそれで構わないが訳だが、やる気のある人ならモガキ苦しみ抜いて達成感を勝ち取るようにして頂くのが一番よいのではないか?!

途中で嫌になって投げ出すのもよし、乗り越えるのもよし、つまりはワタシの知ったこっちゃないくらいの冷たい気持ちが重要だなと思う。ライオンは自分の子供を崖から突き落とすが如く、自立精神を導き出すことも考えていかないと駄目かなと思う京子の心。

習いに行ったがあそこのスクールは絶対に教えてくれないよ・・・なんて評判が立つと嬉しいね!

2013年1月30日水曜日

雑談ですわ

お正月を迎えてからなかなか身が入らないのですが、それなりに倉庫の片付けは進み、最後のスキー部屋が片付けば、大凡片付くことになる。まぁ片付けると言っても、殆どが移動するだけだから、それをまた整理しなくてはならない。そこがちょっと辛い。

倉庫の中が片付くにつれて、事務所が酷い状態になってきているのもまた辛い。もはや事務所の1階も2階も脚の踏み入れ場がない。いつまでこんな状態が続くのか?と憂鬱の極致だ。いつ死んでも悔いはない程遊ばしてもらったが、こんな有様では死にたくはない。

死ぬ前には、荷物や道具をなくし、キチンと整理をして、オサラバしたいとは思っているが、それを実現するまでには何十年もかかるかも知れないって、笑った方が良いのか泣いた方が良いのかワタシにも分からない。

まぁ死ぬ話は置いといて、当面の課題は、倉庫関係以外には、ブログ関係の更新と足腰の強化と指の運動練習とその他とやることが多すぎる。書きたいことは一杯あるし、ちょっとがっかりだったこともあるし、覚えたい曲やリズムも山ほどあって、アタシャ~どうすりゃ~いいのよ?って、自分で何とかするしかない。

ちょっと今思い出したことがある。話はバラバラで申し訳ないが、GWはカヤックじゃなくて、スキーのつもりだが、新潟まで行きたい。神楽田代にもう一度行きたい。そして夏には北アルプスか南アルプスへ行きたい。それで足腰強化と言っているのだが、昨日事務所から表町まで歩いて往復したら、死にそうだった。そう死ぬかも知れないと・・・。笑えよ~!

自転車で倉敷音楽館まで行って来てもなんともなくなったから、表町くらい屁でもないと思ったが、3回ほど倒れそうになった。自転車は軽いし速いのであまり運動になっていないのかも知れないね!昔歩き倒していた頃は毎晩1時間ほど荷物を背負って歩いていたが、また復活しなくてはね!

話は戻して、倉庫は今日明日で80%を目標にして、2月上旬には、完全に空っぽになるでしょう!

できればこの事務所もワタシの頭の中も空っぽにしたい!えっ?頭は空っぽだろうって?そうですね!

2013年1月7日月曜日

無人島に溜まる一方のゴミ

1年間で最も嫌な時期である正月ムードがやっと終ってくれました。何故嫌かということはさておき、今日からやっと通常の生活に戻って来てホッとしております。やっぱり普通が一番あり難い。特別なことはどこか疲れます。こういうお正月のムードが漂う住宅街で、自分だけ音が出るような作業をする訳にもいかず、また元旦からプレハブの片付けも自粛して、家の中でyou-tubeを見たり、ホームページを見て過ごしているとフトいつも行っている無人島の浜を思い出してしまいました。

砂浜と草むらの境界線に沿って夥しい数のゴミが打ち上げられていて、いつの間にかそこに溜まってしまったものですが、この状況もひょっとしたら「類は友を呼ぶ」現象かも知れません。ペットボトルやスチロール系の箱に意思がある訳ではないですが、何故か同じ場所に集まってしまうのは不思議なことです。

ちょっと話は飛びますが、夜遅くなるとコンビニの前に行き場を失った若者達が集まり、駐車場で何かを食べ飲み、彼らが去った後はその辺にゴミが散らかっている光景は誰しも御存知と思います。恐らくそこに集まった彼らは意図してそこに集まったのではなく気がついたらそこに集まっていた、そこにしか行くところがないからそこに来てしまった・・・のではないかとワタシは勝手に解釈をしているのです。そして更に不思議なことは、彼らの着ている服や髪型や振る舞いは非常に良く似ているのですね。

それから以前良くキャンプをしていた無人島では黒い鳥に何度も食料をやられました。弁当を取られた方もいますし、ワタシは食料以外にも珈琲の袋までズタズタにされたこともありました。そうですこいつらはどこにでもいるカラスです。頭の良い鳥だとは思うのですが、決して人から好かれる動物では決してありません。人のモノを盗もうといつも虎視眈々と狙っているし、ゴミ袋をかきむしりその辺に食べられないモノを撒き散らす嫌われモノの鳥です。

嫌われモノのカラスで思い出したのですが、暖かくなると浜辺に出て来る騒音撒き散らしジェット集団。騒音だけではなくありとあらゆる面で周辺に迷惑を撒き散らす彼らの行動は目に余るものがあります。しかし彼らは自分達が非常に嫌われ者であることを知りながらやっているのですが、何故嫌われているのかを考えるところまでは思考が到達していないのかも知れないし、分かっていてもやりたいからやっているだけなのかも知れません。

まぁワタシがここで言いたいことはですね、モノでも鳥でも人間でも同じ種類のものが同じ場所へ集まるということを言いたいのです。但しそれも良い種類が集まるのではなく悪い種類が同じ場所へ集まる可能性が高いように思うのです。不思議なのは良いことをしている人達はカラスのようにはまたジェット軍団のように同じ場所には集まらないのですが、(集まっているのかも知れませんが??)何故なんでしょうかね?!

ところでシーカヤックについても、同じようなことが言えるのではないかと思っています。飲酒パドリングを堂々とやりたい飲酒カヤッカーや旗竿を立てて強風波浪に立ち向かうシーカヤッカー。それに最近では適当な時間に合流し好きな時に離脱する自分勝手カヤッカーが増えて来ているように思います。

ワタシ自身は長い間シーカヤックで海へ出て行く恐怖心が取れず、その為にカヤックの技術を磨いてきたし指導をしてきました。どうすれば突然の風や波や嵐にも耐えられるかということを念頭に置き技術指導をしてきたのですが、非常に残念なことに、恐怖心が取れるや否や、その技術は怠惰なシーカヤッカーをも生み出してしまいました。ひとりで海を漕げるようになると、好きな時間に合流して好きなときに「失礼します」という風潮を生み出したのも事実であります。

また一方では、転覆沈脱の恐怖から脱却した辺りから、ツーリング技術まで獲得したと誤解をしてツアー中にガイドに指示を出すような現象まで経験するにあたり、ワタシ自身如何ともし難い心境で御座います。こうしてお正月に色々なことを考えながら人生の疲れを癒していたのではありますが、一番健康な作業は倉庫の片付けではないかという結論に達したのであります。

色々な人達が色々な場面で集い楽しいことを実践するのは良いことですが、大自然を相手に遊ぶ場合は自分達だけの都合で行動するといつか大変な目に遭う可能性が大いにありますので、是非気を引き締めて楽しんで頂きたいと思います。



森進一 襟裳岬 について

以下wikipedia からの引用です。
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作詞は岡本おさみ、作曲は吉田拓郎というフォーク全盛期を代表する黄金コンビによる作品である。厳しい襟裳岬に生きる人々の温もりを歌った曲である。
日本ビクターの創立五十周年、さらに同社音楽部門が分離独立してビクター音楽産業株式会社になった一周年記念として特別企画された内の一曲。同社の看板歌手十人―森進一、フランク永井松尾和子三浦洸一鶴田浩二青江三奈橋幸夫らの新曲シングル盤を1974年1月に一挙発売しようというアイデアであった[1]
これらのレコードに限って担当制はなく、企画を採用された者が制作責任者になるという試みであった。森に関しては何か新しい発想のレコードをという方針で、当時まだ入社したてのディレクターだった高橋隆(元ソルティー・シュガーのメンバー、当時高橋卓士)の案が採用された。高橋が、拓郎から「森さんみたいな人に書いてみたい」という話を以前から聞いていて実現に至ったもの。しかし、ビクターレコード上層部や渡辺プロダクションのスタッフの反応は「フォークソングのイメージは森に合わない」「こんな字余りのような曲は森に似合わない」と評され、吉田もこれ以上直せないところまで推敲を重ねたが、当初はB面扱いだった。当時の森は、母親の自殺や女性問題から苦境に立たされていたが、当時森と同様のスキャンダルに巻き込まれていた拓郎からの思いやりと、この曲の3番の歌詞に感動した森が当時所属していた渡辺プロダクションのスタッフの反対を押し切り、両A面という扱いに変更して発売した[2][3][4]
演歌の森がフォークを歌うということで注目され、リリースして間もなくオリコンのBEST10に初登場し、6位まで上昇した。累計では約100万枚[5]のレコード売上を記録した。森は本作で1974年の第16回日本レコード大賞と、第5回日本歌謡大賞の大賞をダブル受賞。ライバルの五木ひろしに先を越されていただけに、森の喜びようは尋常ではなかったという[6]。さらに同年の第25回NHK紅白歌合戦においてこの曲で初めての大トリを飾った。奇しくも紅組のトリも島倉千代子の同名異曲の「襟裳岬」(1961年)であった[7]。また、その紅白では、レコ大からの移動で慌てていたこともあり、ズボンのファスナーを開けたまま歌唱した[8]
ヒットした当時、襟裳岬のあるえりも町の人々はサビに登場する「襟裳の春は何もない春です」というフレーズに反感を持つ人も少なくなく、渡辺プロや作詞者の岡本宅への抗議の電話もあったが[9]、やがて襟裳の知名度アップに貢献してそういった感情もなくなり、森はえりも町から感謝状を贈られた[5]1997年にはえりも町にこの歌の歌碑が建設され、その記念に同年の紅白でも歌唱された
フォーク界との融合による本作の成功は、以後の歌謡曲界に大きな影響を及ぼした。本作以降、フォーク系シンガー・ソングライターが歌謡曲・ポップス系や演歌歌手に曲を提供するケースが目立って増えるようになった[10][11][12][13][14]
吉田拓郎も、1974年のアルバム今はまだ人生を語らず』でセルフカバーしている。こちらは、森のようなこぶしやしつこさはなく、拓郎の代表曲「旅の宿」のようなテイストのフォーク調の歌い方になっている。
2005年の第56回NHK紅白歌合戦の出場者選考アンケートスキウタ」にも「おふくろさん」と共にランクインした。

2013年1月4日金曜日

年明け

寒い新年を迎えました。良い年になるか良くない年になるか、すべては自分の努力と洞察力にかかっているとワタシは思っています。が年々何かが低下してきて努力の割には物事が進展しなくなってきて、物凄い努力の結果は疲労困憊だけという悲しい現実があります。そうその物凄い努力というのも実は本人がそう思っているだけで、実は大して何もしていないことが多いのかも知れません。まぁ気持ちだけでも前進しようとしていることを良しとしましょうかね?!

年末年始は片づけが気になっていましたが、さすがにそれだけという訳にもいかず、ゴソゴソしている内にもう2013年になって4日も過ぎてしまいました。そんなこんなでバタバタしている中でひとつだけ素晴らしい出会いがありました。ええ、もちろん「素敵な美女」に決まってますヨ。体重は以前よりは軽く、体系もスリムでグラマーでセクシー。名前はトリプルオー。年齢は28歳。一度手を握り語りかけると3~4時間は物語が続きますが、その声の響きがなんとも言えない優しさを持ち今やワタシの心を完全に支配してしまいました。これで春頃までには初心者の域を脱したいもんです。

まぁ皆さんにはどうでもええ話ですね。

それはさておき引き続き片付けの人生が続きますが、3月頃までには何とか一段落したいもんです。

冬季間はスキー&スノーシュー&自転車などを予定していますが、今年はプレハブ撤去の関係で茶話会はありません。茶話会をするとなると、事務所の2Fを整理しなくてはならず、今やプレハブの荷物が入りとても無理な状況です。

そしてシーカヤックの方に関しては、昨年の10月頃から全く指導意欲を失い今や海へ出るモチベーションはほぼ全滅しております。誰彼の問題ではなく全くワタシ自身の問題であります。スクールを実施したのもツアーを主催したのも全てワタシ自身の責任に於いて実施したのですからね。だからワタシ自身が完全に指導意欲を失ったのも全てワタシ自身のせいだと思うのであります。

まぁシーカヤックをやめるつもりはありませんが、引き続きスクールをやるか完全に倶楽部化するかプライベートでちょこっと乗るかはこれからの課題です。もし乗るとしても冷たい海に出て腰まで浸かり指導するなんて事は考えておりません。つまりGWにカヤックはないということです。

もしスクールを継続するにしても月に1~2回のシーカヤックセミナー(初心者対象)をやってみようかなと思っている程度です。もう既にロールなどができるようになった方やハンドロールなどの指導は完全排除して、ワタシ自身も初心復帰したいと思います。

昨今の山の遭難やシーカヤッキングの一般的状況を見ていると、人間の予測能力に非常に危機感を覚えます。これだけ天気予報の情報が正確になっても、危険予知よりも自分の希望を優先する傾向が強いのでしょうか、その結果が遭難をうみだしているいるようにも思います。

そう言えば、ワタシ自身も自分で生み出した荷物の中で今や大遭難の憂き身を味わっています。低体温症にはなりませんが、色々なやる気喪失症にはなりそうです。