2011年4月14日木曜日

過度の自粛って?

最近新聞や雑誌などで震災や原発事故に絡んで「過度の自粛」などという聞き慣れない言葉を見かける。こんな表現など今まで見たことも聞いたこともない。ナニか違和感を覚えるのはワタシだけだろうか?

例えば、「過度の肉体労働」で腰をやられたとか、「過度の摂取」で副作用が出たとか、「過度のPC操作」で視力が落ちたとか、そういう使い方は一般的で別に理解に苦しむことはない。つまりここで使われている「過度」は、その行為を行っている主体が何らかの損失を被っている訳だが、しかし「過度の自粛」と言う場合はの「過度」の意味は全然違うようだ。

例えば、ミュージシャンがコンサートや何かの音楽祭の出演を取りやめるような自粛を「過度」にやれば、もちろん本人も収入が減るのは間違いないが、そのコンサートや音楽祭を当てにして儲けを企んでいた連中が利益を捻出できなくなる訳だが、そういう連中がもし「過度の自粛」をしないようにと言うとすれば、それはそれに拠って自分達の収入が減るあるいはなくなるから言っているのであって、出演者であるミュージシャンの懐を心配して言っている訳ではない。

過度の読書、過度の労働、過度の飲酒、過度の喫煙、などすべてその主体である人を心配してできた表現だが、「過度の自粛」という時だけ、心配の対象が違っている。つまり言っている自分の収入を心配しているだけのことで、ワタシはそもそも「過度用法」の間違いじゃないかと思うのであります。

もうちょっと視野を広げて、「過度の自粛」は経済活動を冷やしてしまう可能性もある・・・とそんなご意見を仰る方もいるようですが、「過度の自粛」で冷え込むような経済活動など、そもそも人々にとって必要のない経済活動をしているのではないかとワタシは言いたい。

経済活動を冷やしているのは「過度の自粛」などではなくて、「過度の税金」ではないのかね?!良く皆さんは我慢しておられますね!所得税に消費税に保険税に自動車税にガソリン税に固定資産税に市民税に、もらえるかどうかも分からない年金保険料。

前にも言いましたが、遊びや趣味を仕事にしていると、景気が悪化したり社会全体が暗いムードになった時は、一番先にやられてしまうので、最初から覚悟はしておかなくてはならない。今回のような未曾有の震災に見舞われオマケに原発事故まで絡んで来ると、当然大きな影響が出て来るのは当たり前。もちろん収入は激減でしょう。しかしそれを「過度の自粛」などという表現を使って自粛する人を責めるような奴の所へは、自粛ムードがなくてもいずれ誰も来なくなるに違いない。

どうも長い間ブログ更新の「過度の自粛」をしておりました。更新再開です。そしてそろそろカヤックモードへ移行したいと思います。