2011年3月5日土曜日

呆れてモノが言えない!

昨日も書いたので、今日はもっと楽しい話題にしたかったのだが、なんと皆さん聞いて下さい、この話を・・・。

今朝、事務所から歩いて出かけようとするとすぐ近くの道路が工事中で、道路のアスファルトを全部剥がしていた。実は数週間前から下水道の工事の為に、道路の必要な部分だけを切り取り、そこの土を掘り出して、下水道管らしきモノを埋設していたのだが、大凡の工事が終了した後に、掘り返した部分を再び埋めて、切り取った部分の面積だけ新しいアスファルトを乗せて、これで一応工事は終了したものと思われた。

道路はデコボコで見た目は悪いが、しばらくはこれでも特に通行に問題ない。しかし、驚いたことについ先日、切り取りをした部分に新しいアスファルトを入れて「修理」したばかりの道路全体のアスファルトを、今朝はすべて剥がして入るのである。これまでにも無駄な工事は数限りなく見て来たが、こんなヒドイのは初めてだ。

最後に全部剥がすのであれば、最初から全部剥がしてからやれば、アスファルトを切り抜いたり、する必要もないはずだ。切り抜いた所へ新しいアスファルトを入れて固めて数日後に、全部剥がすなどとても考えられない工事である。今岡山市の財政は相当の赤字で苦しんで入るはずだが、下水工事の予算は有り余って入るのだろうか?仮に有り余っていても、普通の脳みそで考えても、こんなことはしないでしょう!

例えば、家の壁が台風で一部が破損して、その部分を一旦修理しておいて、できあがった頃に全部壁を取り壊して修理するのと同じではないか?!

こんな公共工事をやられたんじゃ税金はいくら搾り取られても足りなくなるのは当たり前だ。以前にもまだ全然傷んでない新しそうなアスファルトを剥がして工事をしているのを何度も見たことがあるが、恐らくは全国至る所で同じようなことがされているのではないか。

最近のいわゆる公共工事の現場を見るたびに思うのは、ひとつの行程をできるだけ効率よくしかも経費をできるだけかけないで良いモノを・・・そういう姿勢は全く感じられないのである。丁寧にやるためにやっているのではなく、できるだけひとつの工事から「売り上げ」を計上しようとしているとしかワタシの目には映らない。これでもかこれでもかと念入りにやっている姿は、最近の高層マンションのソレとは全く正反対だ。

最近の工法を見ていると、どでかいマンションなどは念入りにやっていてもホンの数ヶ月で完成してしまうが、学校などの敷地内でやっている色々な工事を見ていると、なるべく丁寧になるべく時間と人員を使い、そしてできるだけゆっくりとやっているようにワタシの目には映る。こういう公共工事では数分あるいは数秒で恐ろしい金額の費用が算出されるのだろうが、普通の人々は汗水垂らして1ヶ月働いてもなかなか30万円はもらえない。そしてそこから4~5万円は当たり前のようにさっ引かれる。おおざっぱな言い方で申し訳ないが、その貴重な数万円は僅か数秒で、消えていくこの世の不条理を、大新聞やテレビが鋭くえぐらなくてはならんのじゃないだろうか!

しかし大新聞は特に読売など堂々と大増税を訴えている。きっと糸を辿ればこうした公共事業の恩恵を受けられるに違いない。悲しいかな我々庶民の抵抗は、そうした下らない新聞を購入しない読まないということができるだけである。