2008年10月31日金曜日

練習の為の練習は・・・?

一生懸命に錬成している人達をさして、「練習の為の練習をして何が楽しいのか?」と言ったようなことを書いている文章を時に見かけることがあります。何故そのようなことを書いているのかと思い、ちょっと読んでみるとなるほどと解るような気がします。

高いお金を払ってロールを習いに行って一日中指導を受けたが、ほとんど上がる気配さえなかったり、上がっても100回に1回程度だったり、あんなモノ上がる訳がないと・・・。そう思われても仕方がないでしょうねぇ。自慢じゃないけど僕だって、当時は錬成を開始して初上がりまで3年はかかりましたからね。

でもそれは何故そんなにかかったのでしょうか?そして現在でも、ロールを習いに行っても、なかなか上がれるようにはならないのは何故でしょうか?認定のインストラクターに指導して貰っているのに上がらないのは、きっと自分のせいだと思うのが人情かも知れません。認定のインストラクターだから上がらないのかも知れませんが、この「認定」の意味は、多分別の意味があるんでしょうねぇ!

それはともかく、そうして悪戦苦闘して、結局は上手く上がれない人が最後には、「練習の為の練習をしても意味がない」と、言いたい気持ちは良く解りますが、実は、最も大切なことは、この「練習の為の練習」であることに気が付いているインストラクターは、多分ほとんどいないのではないか?!ロール習いに行くと、すぐにロールの「練習」に入り、身も心もゲロゲロ状態になって、あんなモノ二度と習いたくないと言う結果になる。

現在の「認定指導者」と言うのは、誰かに「あなたは指導者ですよ」って言って貰いたい弱気な指導者で、「認定」と付いただけで、なるほど指導に自信がないんだなと思えてしまうのは、きっと僕だけではないでしょう!何故他の人に認定してもらいたいのかと言えば、「練習の為の練習の方法」に、全然気が付いていないからですって、言っても恐らくは意味不明でしょうが、技術習得には、最も重要なプロセスではないかと思うのです。

「練習の為の練習」・・・実はこれが最も重要です。「練習」という言葉は、僕にとっては死語ですが、練習の為の練習をすることで、初めて練習が楽しくなるし、そこから海との深いコンタクトが始まるように思います。穏やかな海を漕いでいても、常に脳裏によぎる荒れた海に怯えながら、カヤッキングを続けるのも、その人の自由だが、荒れた海は楽しいと思える自分自身を作る錬成に目覚めると、「練習」が楽しくて仕方がなくなる世界もあることを、ちょっと書いておきます。