2011年4月18日月曜日

道具に拘る

ワタシはカヤックを始めた頃は、カヤックもパドルもPFDもウェアーもナニが良くてナニが悪いのかはさっぱり分からなかった。何年もかけて少しずつ分かって来た。そして遂にカヤックもパドルもその限界を自分なりに理解するようになった。その間は少なくとも10年は経過した。それは自慢でも何でもない。ごく普通に求めて来た結果である。

カヤックは自分で作れないので、メーカーにお願いをした。もちろん人の心が読めない多くのメーカーからは無視されたのだが、捨てる神あれば拾う神ありで素晴らしいメーカーが快く引き受けてくださった。自分でも相当に練習をして、更に多くの人に様々な練習をして頂くプロセスで、カヤックの様々な不都合な部分が見つかって来るのだが、それを克服したのは皮肉にもその不都合を抱えたカヤックのメーカーではなく全く別のメーカーだったのだ。

そしてパドルに対しても市販のモノでは満足がいかず、遊び心で色々と試している内に、自分なりの独自のウッドパドルを作ってみた。意外に軽く意外に使い勝手が良く意外に評判も良かった。あくまで遊びのつもりだったのが、今やもう市販のカーボンやグラスのパドルは1本も使用していない。その必要性が全くない。

海でのカヤッキングを練習を通じて楽しんで来て、ナニかを発展させようと思うと、何らかの限界にぶつかってしまい、そこで諦めていたら当然現在の練試櫂スタイルは生まれなかったに違いない。やりにくいカヤックや扱いにくいパドルで練習をするよりも、やりやすいカヤック扱いやすいパドルで練習をした方が短時間でより大きな効果がある。

そう言う意味では「道具に拘る」のは、非常に重要だと思う。

2011年4月15日金曜日

どっちが本当の自然かってぇ~?

今日の夕方たまたまナビのテレビが映し出されてちょっと見ていたら、NHKのあほアナウンサーがこんなことを言っていた。「今綺麗な桜が咲いてとても美しく穏やかな景色が広がっていますが、地震や津波で多くの方が被災しましたが、果たしてどちらが本当の自然なんでしょうか?」

何気なく聞いていたワタシは自分の耳を疑った。今時小学生でもこんなことは言わない。このあほアナはペェペェの新人ではなくもうベテランの域に達しているハズだが、この間抜けぶりは情けない。昨日は晴れていたが今日は雨が降っている。果たしてどちらが本当の自然でしょうか?

穏やかな天気も自然であるし、暴風雨だって自然現象な訳で、どっちが本当の自然ってバッカジャないのぉ~!と誰もが思うでしょう。このオッサンひょっとしたらクイズ番組の「過度の見過ぎ」じゃないのか?それともいつもいつもクイズ番組の構成を考えているのかもね。それにしてもお粗末過ぎる。

こんなあほアナウンサーを使っているNHKに受信料を払っている皆さん、一度真剣に考えた方がいいでっせぇ~!もう全くテレビなど見なくなった独居老人からも、ヤクザのミカジメ料の如く搾り取っているNHKの存在を強く疑うが、それだけなく政治的にも中立をうたってはいるが、極めてそれも疑わしい。

先日の原発事故の番組でも、東大の原子力研究所のお偉い先生が出て来て、盛んに「安全」とか「大丈夫」とか「直ちに影響はない」とか言っていたが、お前らみんなグルになってるんじゃないのかって感じているのはワタシだけかな?

そう言えば小沢一郎の「政治と金」が話題になった時には、何度もそれを報道してかなり意図的なモノを感じた。ところが前原や菅直人の外国人献金問題の場合は「政治と金」の問題として何度も報道していない。もちろん震災の影響もあるでしょうが、自分達の利益に繋がるか繋がらないかで報道しているとしたら、国民を舐めるのもいい加減にしろとワタシは言いたい。言っておくがワタシは民主党支持でもましてや自民党支持でもない。

今日は久々に怒り狂っていますが、普段はおとなしい好中年なんです。果たしてどちらが本当のワタシなんでしょうかね?!まぁそれよりも明日から海へ出て気合いをいれなきゃね!

2011年4月14日木曜日

過度の自粛って?

最近新聞や雑誌などで震災や原発事故に絡んで「過度の自粛」などという聞き慣れない言葉を見かける。こんな表現など今まで見たことも聞いたこともない。ナニか違和感を覚えるのはワタシだけだろうか?

例えば、「過度の肉体労働」で腰をやられたとか、「過度の摂取」で副作用が出たとか、「過度のPC操作」で視力が落ちたとか、そういう使い方は一般的で別に理解に苦しむことはない。つまりここで使われている「過度」は、その行為を行っている主体が何らかの損失を被っている訳だが、しかし「過度の自粛」と言う場合はの「過度」の意味は全然違うようだ。

例えば、ミュージシャンがコンサートや何かの音楽祭の出演を取りやめるような自粛を「過度」にやれば、もちろん本人も収入が減るのは間違いないが、そのコンサートや音楽祭を当てにして儲けを企んでいた連中が利益を捻出できなくなる訳だが、そういう連中がもし「過度の自粛」をしないようにと言うとすれば、それはそれに拠って自分達の収入が減るあるいはなくなるから言っているのであって、出演者であるミュージシャンの懐を心配して言っている訳ではない。

過度の読書、過度の労働、過度の飲酒、過度の喫煙、などすべてその主体である人を心配してできた表現だが、「過度の自粛」という時だけ、心配の対象が違っている。つまり言っている自分の収入を心配しているだけのことで、ワタシはそもそも「過度用法」の間違いじゃないかと思うのであります。

もうちょっと視野を広げて、「過度の自粛」は経済活動を冷やしてしまう可能性もある・・・とそんなご意見を仰る方もいるようですが、「過度の自粛」で冷え込むような経済活動など、そもそも人々にとって必要のない経済活動をしているのではないかとワタシは言いたい。

経済活動を冷やしているのは「過度の自粛」などではなくて、「過度の税金」ではないのかね?!良く皆さんは我慢しておられますね!所得税に消費税に保険税に自動車税にガソリン税に固定資産税に市民税に、もらえるかどうかも分からない年金保険料。

前にも言いましたが、遊びや趣味を仕事にしていると、景気が悪化したり社会全体が暗いムードになった時は、一番先にやられてしまうので、最初から覚悟はしておかなくてはならない。今回のような未曾有の震災に見舞われオマケに原発事故まで絡んで来ると、当然大きな影響が出て来るのは当たり前。もちろん収入は激減でしょう。しかしそれを「過度の自粛」などという表現を使って自粛する人を責めるような奴の所へは、自粛ムードがなくてもいずれ誰も来なくなるに違いない。

どうも長い間ブログ更新の「過度の自粛」をしておりました。更新再開です。そしてそろそろカヤックモードへ移行したいと思います。

2011年4月1日金曜日

メルトダウン

原発とは関係ない話ですが、そしてカヤックとも関係のないことですが、1ヶ月ほど前からワタシの個人的な趣味の空間の一部が液状化現象を起こし始めていた。掴めそうで掴めない。理解できそうでいて全然理解できない。親しみが持てそうで、徐々に気持ちが遠のいていくのを感じていた。

しかし意識的に自分がそうしていた部分は全くなく、外側からそろそろ幕を下ろした方がいいのでは・・・といった感じの現象が一部見られていた。昔からそういう現象には非常に敏感であるワタシの脳裏には、それ以後ずっと何かを観察していたが、その何かが何であるかはさっぱり理解はしていなかった。

ところが思いもよらぬステージで、液状化した空間が音を立ててメルトダウンをしてしまったのである。まぁこれはワタシの心の中での問題だから放射性物質は全く出していないから、周辺の方々には一切迷惑をかける訳ではないですが、これもある意味で必然的結果だったのだろうと思う。その結果が出てしまった時には、ワタシは何が起こったのかさっぱり理解できず、ただポカンとしているだけだったが、自分の部屋に戻ってからあのときのことを思い出した。

つまり「シーカヤッカー」という言葉の実際の意味を理解した時とほぼ同じような感じでしたね!といってもほとんどの方が「シーカヤッカー」の本当の意味をご存じないとは思うのですが・・・。当時カヤック関係の色々なイヴェントに出ても、なかなかその中に入って行けないような受け入れて頂けないような空気を必ず感じていて、その理由が全く理解できなかった。現状に満足がいかず悪戦苦闘しているワタシが、現状にできるだけ満足しようとしている人達の中に入れば、そこには自ずと目に見えない溝ができますよね。多分。そんなのをこの度もずっと感じていたのですが、きっとワタシのやりきれない悪戦苦闘ぶりがとても嫌な空気を彼らにして見れば醸し出していたのかも知れないので、そういう意味では「またしても”シーカヤッカー”がいたのか」と思うと、やれやれそんなモンだったのかと、つくづく江戸時代を感じさせられた。

なかなか意味不明な文章が久々登場だが、4月を前にちょうど良いピリオドを打つことができ、そしてタイミング良く新しい確かな目標の設定ができた。偶々だが、これも悪戦苦闘のお陰ということもできる。がまだ目標のポイントを整理できているわけではなく、現時点で8個~10個程度。別の言い方をすれば多すぎるほどかも知れないが、30個程度集めて、整理してCDとDVDに収めて、ちゃんと学習をしていきたいモンだ。そうそうカッパ天国さんにはもうしばらくお待ち頂いて、この収録DVDをお渡ししたいと思う。もちろんその他のスペシャリストを目指している方にもね!

2011年3月30日水曜日

唄いたいなら唄えば良い!

やっぱりちょっと書いておこう。関東東北大震災で想像を絶する被害が出ている中で、活力を与えるとか何とか格好の良いことをほざいているヤツがいる。歌を唄いたいなら唄えば良い。踊りを踊りたいなら踊れば良い。大酒を食らいたければ食らえば良い。遊びほうけたいなら遊べば良い。しかしそれを人に押しつけるな!とワタシは申し上げたい。

娯楽を提供することを職業にしている方々には、恐らく今度の大震災によって売り上げは相当落ち込んでいるのは間違いないでしょう。売り上げが落ち込み事務所などの家賃の支払いさえ苦しい状況に追い込まれているところもあるでしょう。震災の影響で予定していたイヴェントが次々に中止になると、その日の売り上げは当然無くなる。それが何日にも続けば大きな収入減少になる。

収入減少になって経営が苦しくなるから、「こんな時こそ、歌を唄って元気を・・・」と叫びたい気持ちは分からないではないが、それを第三者に強要するようでは、見え透いた浅はかな心が浮かび上がるだけ。しかし基本的にワタシはまだそんな状況ではないと考える。

家もなくなり車は流されその上職場も消失して、更に身内を亡くした人に一体どんな歌を唄えば活力が与えられるのですかね!「上を向いて歩こう」でも唄えば、そうした人達の元気が出るとでも思っているのでしょうかね?!

この大震災後に予定していたコンサートを中止したアーチストの悪口を言う人がいるのを知ってワタシは愕然としている。一体どんな脳みそを持っているのだろうかと不思議でならない。何やらネット上でもこんな時こそ大いにイヴェントをやるべきだと大声で叫んでいる人もいるようだが、やりたいヤツはやれば良い。但しそれを第三者に押しつけるのはやめろ!と申し上げたい。

新聞でもテレビでもネットでも被災者の惨憺たる状況が伝えられている。ここで一々説明する必要は全くないが、例えば、家も全壊し妻も子供も亡くし茫然自失の中年男性のことを考えながら、一体どんな歌が唄えるのだろうか?!また両親も親戚も亡くなったたったひとりぼっちの小学生のことを考えながら、一体どんな歌が唄えるのだろうか?!食事もロクにできず風呂にも入れず寒い夜を避難所で過ごしている人達を元気づける歌があるのでしょうか?!

腹が減って身体が痒く震えているときに、満腹になり身体がスッキリして暖かくなる歌があるなら朝から晩まで現地へ行って唄えば良い。しかし現地へ行けば、そんなモノよりももっと他に必要なことが山ほどあるはず。それが分からないのは、普通の想像力さえ持ち合わせていないということを物語っているのでは・・・。その普通の想像力さえ働かない想像力で作った歌を被災者が聴いたところで恐らく何の糧にもならないに違いない。

断っておきますが、ここで申し上げたいのは、チャリティコンサートなどについてやれとかやるなとかそういうことを申し上げているのはない。また被災者を元気づけをしたいと利益抜きで考えている方々のことを対象にしている訳でもない。コンサートを中止したアーチストの気持ちを全く無視して、中止したそのことを非難している人がいるので、それはおかしいやろ・・・と申し上げたいだけなのである。毎日、新聞やテレビの情報を見て普通の想像力を持っていれば、そんなことは言えないはずだが、第三者に強要するようでは、想像力の欠如どころではなく人間失格という他はない。