2011年7月28日木曜日

新しい風

昨日まではかなり厳しい風が吹いていて、砂嵐の砂漠を歩いているような気分に支配されていたが、やっと脱出してその向こうにちょっとした草原が見えるようになった。しかしまぁ草原までたどり着くと再び砂嵐かも知れないが、今いるこの場所でのそれよりもまだマシだと思いたい。何故ならそこには必ず新しい風が吹いているからね。

新しい風といっても全然普通の風なんだけども、なかなか普通の風は見つからない。心地よい普通の風はそう滅多にない。あの無人島に吹いてくる風がそうだが、現実にはそんな風は殆どない。酷く暑いか、もの凄く冷たいか、あるいは無風状態。無人島ではこの無風状態が一番嫌だね。現実にはこの無風がどこでも吹いている。しかしワタシは人間としてとても未熟だからこの無風を美味しく食べることができない。

多分自分の生きる世界をまだまだ構築できていないからナンだろうね?!まだ強い風の方が有り難い。中味のない風だと結構辛いが、それでも無風よりは凄くマシだ。冷たい風ならそれも有り難い。しかし無風は一番手強い。こいつが一番苦手で、どうしようもなく苦しくなって旅に出たくなる。でも旅の行き先もないからこれまた困ったもんだ。

しかしなんだかんだと言っても明日からは新しい風が吹くことになっていて、多分感情もまた動き出すだろう!でなければ無風を美味しく食べなくてはならないが、それはワタシには全然できないから、明日からちょっと座標軸を変更してみよう。そうすればきっと新しい風に出会うハズだが、だからってそれが楽しいと言う保証はどこにもないから面白い。

来るならコイやって元気もないクセに新しい風に当たろうとしてどこかで朽ち果てるのかも知れないが、闇の中で幾ばくかの明かりが見えたら、それを頼りに歩いてみようと、冷蔵庫の中のモノ達が騒いでいる。まだ彼らに裏切られるほど衰えてはいないとは思うのだが、そうまた明日から山の向こうを見るために新しい靴下を買いに行こう。

そしたら裏山にはもうナニも残っていないかも知れないってバレルかも知れないがそれを恐れていては、現実はとてもじゃないが壊せない。新しい風なんて言っているが、きっとそんなモンどこへ行ってもないに違いないが、なんだかそれがあるような・・・そんな気持ちが一番大切じゃないのかなぁ~?!

結構戦って来たつもりなんだが、ナニかが足りないんだよな!悲しい訳でも苦しいのでもない。ただちょっと疲れはいるけれどね。確かに。もちろんミネラルやビタミンなども大いに不足しているんだろうが、それよりももっと重要なモノが一杯腐りかけているから、ナニか強烈に冷却したり焼却できるエネルギーのような風を求めて、深窓への旅をしなくてはならないのかもね・・・?

ワタシは遂に狂ったのかも知れませんが大丈夫です。全然大丈夫です。まだ無風の風は食べられないですからね!ハハ。

実は唄う詩を作ろうと思っていて色々と考えていると、ついつい政治のことが頭に浮かんで腹が立つことばかり。自分のことを考えるとなかなか前途多難。このところ空気が読めなくなったのか、それとも読み過ぎているのかそれも分からない。そして色々と思考を巡らしていることが、多すぎるのか少なすぎるのか、その辺の基準が分からなくなったのも事実。考える時間が多いのも事実。しかし寝るばかりしていてナニもしてはいないのだが、と焦る気持ちが・・・ナニを焦っているのかと自問をするんだよね。

明日からちょっとだけ頑張ります。沈。

2011年7月26日火曜日

汗をかく

今年の夏はとても涼しいから汗をかいていない。とそんなことを書くつもりはないが、今年はほとんど汗をかいていない。かかなくてはならないと思いつつ、暑いと外には出ず家の中でこっそり休憩をしている。ナニもしていない。いやナニもできない。これではイカンと思いつつ夜中になるべく歩くようにはしているが、夜だとあまり汗をかかない。汗をかいた方が身体にはいいみたいだが、安易な方へ流れている。

話は逸れますが、ワタシの崇拝するフォークシンガーはステージに上がる度に大汗をかいている。着ている服が汗で濡れているのがはっきりと分かる。ワタシはこの方の人気の秘訣はやはりこんなところにあるのではないかと考えている。汗をかけばそれで良いというモノではないが、良い歌を作り唄っているのに、なかなか人が集まらない人気が低迷しているミュージシャンの魅力が伝わらないのは、汗の量が少ないからではないのか?と思うのです。

何十年もプロのミュージシャンをやっていても集客力がないのは、もちろん宣伝も下手くそなんでしょうが、汗をかくほど全身全霊で唄っていないのではないかと思うのですね!最近、コンサートのチラシを頂く機会が多くなり、どんな歌を唄っているのかとyou-tubeで確認をすると、大抵が没。自分が持っているエネルギーの100%を使い切ろうとしていないし、パワーがない。これでは大きなホールを借りてやっても10人集まればいい方かな・・・と感じてしまうワタシが良くないのでしょうか?しかし魅力を感じないのはワタシのせいではないでしょう、きっと。

昨年だったかあるところで弾き語りのライブがあったが、唄った方はセミプロだったでしょうか、しっかり汗をかくほど唄っていました。もうビッショリでした。でもギターの演奏は最悪でした。素人以下で、これでは折角の美声が台無しでした。前座で演奏していた女性の方がはるかにギターは上手でしたから、こういう方はエネルギーの問題ではなく繊細な感覚を養うべきなんでしょうね。まぁワタシのような音痴が言うのもナンですが・・・。

まぁそんな訳で汗をかけばそれで良いというモンではないと思うのですが、歌もギターも上手で良い曲を持っていても売れていないのはエネルギーを爆発させていないからではないかと思うのですが、ミュージシャンを評価するときにそう言う見方をする人はあまりいないかも知れませんね!

実はこんなことを書こうと思っていたのではなく、シーカヤックを業にしている人達のことを批判しようと思って書き始めたのですが、そこに至らずこんな結果になってしまった。音楽をやっている人達は上手い下手は別にして、みんないつも練習を心がけているが、一方シーカヤックを仕事にしている人達の中で一体何人の人達が日々練習をして精進しようとしているだろうか?カヤック雑誌を作ったり書いたりしている連中は特に最悪だ。命がかかっている遊びであるという意識が低すぎはしないだろうか?また遭難した責任は棚に上げておいて如何に救出したかを自慢する輩もいるから、カヤックの世界は嘆かわしいことこの上ない。

この業界のいい加減さとゾンビ首相の「根性」が如何にも表裏一体のように感じられてしまうのはワタシだけなんでしょうかね?!

2011年7月22日金曜日

語るに落ちた会話

これはカヤックとは全く関係のない世界でのお話ですが、日常生活で時折知人に出くわしお話をしていると、それがとても気晴らしになったり、また一方では暗い世界へ引き込まれたりします。まぁこれが人間の世界なんだと最近になってようやく分かりかけたところなんですが、その辺の領域をもう少し詳しく考えてみたのです。

久しぶりに会ってお話を伺うと、とても意気軒昂にこれからの未来をそして現実を熱く語る方と時間を過ごした後と、如何に自分が不幸であるかをとうとうと語るのを我慢して聞いた後ではこちらの気分の状態に雲泥の差があるのはお分かり頂けると思います。

しかしこの差は一体どこからやって来るのでしょうか?ワタシにはさっぱり分かりませんが、付き合うなら前者の方を是非とも選びたいと思うのであります。何故なら一緒に居て楽しいし時間を無駄にしている気がしないが、後者の方と共にいるとできるだけその場から逃げ出したい気分になるのですね。

非常に恐ろしいのは、不幸を売りにしている方は、その不幸の原因が一切自分にはなかったような話し方をされるのが常で、実はそれがその方の不幸の原因の80%以上を占めているのではないかと思うのですね!そして更に更に恐ろしいことに会話の途中に本人は全くの冗談のつもりなんでしょうが「相手を相当に貶めている」ことがしばしばあることに気がつきます。そして非常に不愉快な気分になって、その人の不運の空気がワタシを覆い尽くすのではないかと逃げ出したくなるのですね!

その時にワタシは心の中で「このような方に仕事の依頼をすることも、一緒にナニかを活動することも100%ない」ことを確認するのですね。そしてその人の周りには降りかかった不幸の原因を全く考えない人達が集まり、お互いを辱め貶め暗黒の世界へと導きあって生きて行くのでしょうか?

ところでひょっとしたらご心配の方もおられるかも知れませんので、これはもう10年も20年も前のことをふと思い出して書いているだけで、今現在の話では全くございません。ただひょんなことで思い出し突然書きたくなっただけのことでございます。

今現在ワタシ自身はカヤック関係にしても音楽関係にしてもその人間関係は非常に恵まれた環境にありナンの不満もないのですが、自分が自分に対して納得のいかないことばかりで結構不満が蓄積していて、その原因はどこにあるのかと考えている内に、そんな大昔のことを思い出し、曰く反省しているのであります。自分に対して「語るに落ちてはいないか?」と自己検証をして、また新たな一歩を踏み出そうと逡巡しているのであります。まぁ所謂悪循環って奴ですね!

しかし考えてみれば、カヤック修行時代に一体どれだけ悪循環を繰り返して来たことか?しかしそれを悪循環と考えたことは一度もなかったことを明確に記憶しています。ここまで来てナニかやっと分かったような気がしているのですが、悪循環をするなら最低でもやはり半年とか1年くらいはやらないと良循環には感じられないのかも知れませんね。特に最初の段階では・・・ね!

2011年7月21日木曜日

合宿を終えて・・・

このところ頗る体調が悪く「寝たきり老人」になりかけていた。それ故海の日の合宿もお休みにして完璧な寝たきり老人になろうかと考えていたが、2年ぶりに「社会思想家」の方とお会いしてお互いの「僅かばかりの不幸」について、島の木陰で論じあっている内にかなり体力が回復してきた。

初日は朝から晩までカヤックに乗らないカヤック合宿だった。とにかくこれからの未来について語り合った。もちろん現実社会の「いい加減さ」についても・・・。社会や自分自身を色んな角度から切り込んだ会話をしている内に少しずつ体力が回復してくるのを感じた。

そしてその翌日はここでは語れないリゾート気分に浸っていた。が島を取り巻く潮流はアチコチに渦ができ逆巻いていた。そんな悪条件のなか寝原寝蔵さんがやって来てグッスリ眠って目を覚ますや否や逆巻く潮流の中を颯爽と帰って行った。

夕方頃島の周辺は台風の影響で風が吹き海は少し荒れ気味だった。翌日の天気が心配だったが、曇りのハズが雨が降り出した。フライなしで寝ていたら、網から雨が落ちて来て濡れてはいけない荷物をテントの中へ急いで入れた。

しかし心配していた風は弱く海の表面も比較的穏やかに見えた。雨が降っているので、行動食のみで朝食を終わらせ、急いで荷物を片付けカヤックに詰め込み午前中に撤収を完了した。

ところで話は全然飛んでしまうのですが、日本では独創的な遊びや考えが広がらない傾向に昔からあるとワタシは思っているのですが、最近また特にそう言うことを強く感じている。例えば、ワタシがカヤックを職業にしていると、確かにそれは職業としては厳しいのは間違いありませんが、「これでは<カヤックでは>食っていけない」とどうして決めてかかるのだろうか?と不思議に思う。

カヤックに興味がない人から見れば、どうしてあんな遊びをしてあるいは教えて食っていけるのだろうか?と考えるのでしょうが、そもそもそう言う心配をするくらいなら初めからそれを職業にはしないのですね!食っていけるかいけないかはやってみなければ分からない。食っていけようがいけまいがそんなことは大した問題では全くない。やりたいからやる。ただそれだけのこと。

でももしダメだったらどうするの?ってそんなことは余計なお世話でしょ!それこそ。それはダメだった時にワタシが考えることで、周りがとやかく言う問題では全くない。困った時に10円だって貸してくれるわけでもないのに日本人はどうしてそんな心配をするのかワタシには全く理解できない。

もう一つ考えられるのは、妬みも含まれているのかも知れない。あんな自分の好きなことをして食っていける訳がないと思いこみたい。大好きなことをやっているんだからきっとその代償は大きいに違いない。きっと経済的に苦しいに違いない。自分達は毎日やりたくない仕事で苦しんでいるのに、自分で好きなことをやって楽しんでそれで生活費が稼げるなんて、絶対に認めたくない。

皆さん、そこで結論です。そういう皆さんが多いので、意外にもアウトドア活動は結構利益の出る商売になっているんですね!多くの人がこれでは食っていけないと考えているから、意外にも商売はやりやすいのですね!但し一言だけ申し上げておきたいことは、成功しようとかあるいは失敗をしたくないと考えている方はまずやめておいた方が無難でしょうね!

これには成功も失敗もないのですね!やりたいからやる。ただそれだけのこと。それで10年も20年も人に頼らず自分や仲間と楽しめたら充分ではないのか・・・とワタシは思うのですね!

2011年7月7日木曜日

異常な天気

今年は異常な天気が続く。雨の降り方が全然これまでと違う。毎週のように週末は雨。それだけでなく降り方も激しい。車のフロントガラスに打ち付ける雨の量が半端ではない。湿度も測った訳ではないが昔と比べると高いように感じる。

事務所でナニか作業をしようとすると大雨が降りできない。天気が良いときに・・・しかし好天の時はもう暑さでダウン寸前にまで体力を奪われる。好天なんて言ってられない。悪天そのものだ。従って結局どちらもナニもできないのだ。

今日は久々に準備やら片付けなどをしようと思っていたが、雨で断念。いや雨が降っていてもできない訳ではないが、何故か雨のせいにしたく、断念。完全にやる気がなくなった頃に雨はあがった。有り難い話だ。

話は全然変わるが、昔若い頃何かにはまろうとしていてその対象が見つからず焦っていた時期があったが、今は全くその逆ではまり過ぎて困っている。いつもそいつが頭から離れない。そのせいで事務所やプレハブの片付けができないって言ったら人間として笑われるに違いない。だからそれも雨のせいにしてやろう。

片付けをしようとするとそれがもの凄く時間の浪費のように思えるし、自分の好きなことに集中していると、今こんなことをしていて良いのかと自問をして、結局はナニもしない1日があったりして、なかなかつまらない自分自身を発見して笑えて来る。

この辺まで来て、久々の堂々巡りと言うか悪循環に陥っている自分に気づくが、若い頃はこんなことの連続だったような気がする。社会性が希薄になっていると良くこんな現象に陥るのだが、ある意味学生みたく贅沢な悩みかも知れない。

ところでこの週末もまた雨にやられる可能性が高そうだが、どうしたもんだろう?!明日はカヤックの修理やフロート作りでもやろうかな・・・?

2011年7月5日火曜日

次の週末は・・・

先週は3日ほど実家に戻って「雑草と格闘」していた。家の周りに畑にその他。こいつらいくらやっつけてもまた復活して来るからかなわない。大した奴らだ。こんな活力がワタシにも欲しい。

今年の冬に水道管が破裂していてそれも修理していたから余計にエネルギーを消耗してしまった。5カ所も破裂して、恐らく修理は無理と思いつつもチョット自分でやってみたくゴソゴソしていたら何となくできそうな気がしてやってみたら案の定失敗した。

スイッチを入れると、修理箇所から水はダダ漏れで、普通ならここで諦めるが、折角時間をかけたのだからともう少し粘って、修理品を探しにホームセンターへ。防水ナンとか・・・の修理用テープを購入して再度挑戦してみると取りあえずは上手くいった。耐久性がどれだけあるかは分からないが、業者に頼むと大きな金額になるので、当面はこれで我慢。

事務所に戻った時点ではまだバテてはなかったのだが、昨日は完全にダウン。今日も1日休養してナンとか復活したもののそれにしても暑い。蒸し暑いのがこたえるね!

しかしこれくらいの暑さだと無人島でのキャンプはまだまだ快適に違いない。雨さえ降らなければ。今年は梅雨入りをしてからまともにキャンプをしていない。雷も鳴って集中豪雨も来ているのでそろそろ梅雨明けと期待したいが、この週末は島でキャンプをしたいモンだ。