2013年12月31日火曜日

NHK不要

~ブログ記事より抜粋~
記事

NHK受信契約についての2通りの判決で正当性はどちらに?



 NHKの受信契約については、訴訟が起こされ、裁判所が判決を下すケースが相次いでいるが、NHKに有利な判決には批判が多かった。
 そこに、やや視聴者側に立った判決が下された。

「NHK受信契約」はいつ成立するのか? 矛盾する2つの「高裁判決」をどう見るべき|弁護士ドットコムトピックス
NHKの「受信契約問題」が、新たな展開を見せている。NHKは近年、受信契約を結んでいない個人に対して「受信料の支払いを求める訴訟」をいくつも起こしているが、この秋から冬にかけて、高裁レベルで「矛盾する内容」の判決が出たのだ。

(中略)

「10月の判決は、NHKが通知してから2週間が経てば、それで契約が成立するとしました。

ところが、契約というものは、申込と承諾という意思の合致によってのみ成立するというのが、近代法の大原則です。

(中略)

「一方、12月の判決は、契約締結を命じる判決が確定すれば契約が成立する、と判断しました。

これは、従来の地裁レベルの判断と同じで、判決をもって『承諾』の意思に代えることができるという民法の規定(414条2項但書き)に基づくものです。

この判決を書いた裁判官は、承諾もないのに契約が成立する根拠は放送法に存在しない、と指摘しており、その点は極めてまっとうだと思います」
※下線は筆者
多くの人は、後者の判決の方が「まっとう」だと思うはずだ。それが「契約」という形式の本質であるはずだからだ。承諾もしていないのに、契約が成立するなんて、反社会的勢力の世界のようだ(笑)。

 そもそも、NHKの場合には、「申し込み」すらしていないのに、ある日、集金人がやってきて、料金を請求してくる。商品を勝手に送りつけて、代金を払わせる詐欺商法と、限りになく近い。
 そんなNHK商法に、いったいどれほどの正当性があるのか疑問だ。

 過去記事の「NHKのテレビがなくても全世帯から受信料を徴収する義務化ってあり?」で書いたことだが、スクランブルをかけて料金を払っている人だけ見られるようにすればいいだけなんだ。
※テレビがなくても全世帯から受信料を徴収……というのは、誤報らしいのだが。

 広告収入で経営して、放送は無料の地上波民放とは違い、有料放送を標榜するのなら料金を払っている人だけに見る権利を与えるのが当然。テレビがあるだけで料金を徴収するなんていう、前時代的な発想は墓場に葬り去って、市場原理にのっとった経営にすべき。NHKは某国の共産党といっしょなのか?……と勘ぐってしまう。

 受信料の徴収について、NHK側は「公平性」を理由に挙げるが、スクランブルをかければ公平性は確実に担保される。B-CASの不正も問題にはなっているが、それは犯罪者として摘発すればいいだけのこと。

 税金のように徴収するのなら、税金でまかなう国営放送にするのが筋だろうし、特殊法人という曖昧な位置づけで民放と大差ない放送をしているのだから、民営化した方がいいのではないか?

 NHK受信契約の問題は、NHKの存在意義が問われているのだと思う。

 NHKなんて見ないという人は少なくないし、NHKのあり方や現状のNHKが必要なのかどうかも含めて、議論が必要な気がする。
 私は、NHKなんてなくてもいいのに一票(笑)

 NHKに関しては、いろいろと批判もあるが、スクランブルをかければそうした批判の大部分はなくなるのではないか。見たくない人、面白くないと思う人は、契約を解除し、スクランブルがかけられて見られなくなるだけだ。

 見たい人だけが料金を払って見る。

 そんな当たり前のことができないのが情けない。
 スクランブルをかければ、契約数が激減することは予想できるから、NHKはそれはやりたくないんだろうね。
 そこが、姑息なんだよね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
NHKは入りません。かなりの偏向報道に多くの国民が辟易しています。また善良な多くの国民を欺こうともしています。まるで自民党の宣伝機関のようでもあります。最近良く聞く言葉に「反社会的勢力」と言うのがありますが、これってNHKも当然含まれているんですよね!だって契約をしていない人からも受信料を奪い取ろうとする訳ですから、また全然見ていないのに、テレビを持っているだけで受信料を取ろうとするなんて、これほどあくどい行為はないですよね!まるでふざけすぎてますよね!

2013年12月14日土曜日

2013年を振返る

今年もあっという間に過ぎて行こうとしています。もうあと1ヶ月も残っていませんので、あまり大したこともできないでしょう。しかし気持ちだけはもう少し何かをやっておきたい気持で一杯なんですね!もうあのクソ暑い夏はどこかへ行ってしまったのだから、身体は動くはず。でも今度はこんなに寒いんじゃとても外へ出て作業なんかできやしないとほざくのかも知れません。

さて今年を振返ると年初は恒例の茶話会をやりませんでした。これも謂わば時の流れなのかも知れませんが、更に身体が硬くなり体力も衰えガイドとして指導者としての「権威」が相当に失墜してきたことも否定できませんね。もっとも指導力やガイド能力が低下したとは本人は微塵も思っていませんが、茶話会と言うのは良い雰囲気でやりたいですからね?!

それからなかなか上手くならないスキー歴ももう30年近くなり、この数字を出すのも恥ずかしい限りなんですが、やっと操作感覚が分かって来たような気がします。これまでを振返って一番良いスキーシーズンだったように思いますが、それにしても長い年月が経過したものです。もうまた次のスキーシーズンが目前に迫っていますが、今年は体力が随分回復して来て持久力もかなり回復して来たので、大いに滑りまくりたいものです。

そして3月には念願のプレハブ撤去がありました。2階建て大きなプレハブの中にあるアウトドア用品の数々を整理するのが本当に大変でした。3ヶ月くらいかかったのではないでしょうか?!撤去は僅か1週間ほどで終了しましたが、その後がいけませんでした。かなり疲れが出て何のやる気も起きず、カヤックシーズンが始まったのはなんと6月になってからでした。しかしその6月も週末は雨ばかりで殆ど海へ出なかったように覚えています。

ただ山登りが大好きな方々のお陰で、4月5月の2ヶ月は良く山に行きました。蒜山・真庭アルプス・近所の里山など結構歩きました。10月には大山や熊山などにも出かけ、歩き倒した昔を思い出して体力もそれなりに回復をしてきたようです。

そんな訳でシーカヤッキングの方の活動はあまり活発とは言えませんでしたが、7月・9月・10月はそこそこ海へ出かけたでしょうか。ツアーとしては塩飽諸島の本島に行ったくらいで大して距離は漕ぎませんでした。キャンプの回数も相当少なかったのではないだろうか。まぁやめるやめると言っている割には相当乗っているかも知れませんが・・・。

さすがに真夏は暑すぎてどこにでも出られずエアコンの良く効いた部屋でゴロゴロして本当に情けない状態でしたが、これはワタシクの体力の問題なのか、それとも夏の暑さが昔と違って異常なのか一体どっちなんでしょうかねぇ~?両方かも知れませんが、新しい真夏の過ごし方を研究しないといけませんね!

それからアウトドアとは全く関係ありませんが、10月には一つの大きな課題を処理しました。アッチへ行ったりコッチへ来たり、書類を作ったり遠くに出かけたり、緊張したりで、気がつくと事務所の内外は例によって雑然とした状態になり、足の踏み入れ場もない程に・・・。

自分にとってあまり大した1年じゃなかったように思っていたのですが、それなりに頑張った1年だったのかも知れません。山とスキーとカヤック以外にも「室内での遊び」に熱中してアチコチで撃沈の憂き身を味わっていますが、まだまだ激波の中に出られる状況ではなさそうです。でも不思議なことに練習が楽しくて仕方がないのは本当に不思議なことです。

ここ最近やっているトレーニングは、半径10km以内の行動は原則として徒歩で、街中に用事があるときは全て歩くことにしています。片道約1時間15分で、それプラス街中の移動も徒歩ですから、事務所を出て戻って来るまで休憩を入れて4~5時間くらいになります。食事とドトールのコーヒーを飲む時間が約1時間ですから、合計で3~4時間ほど歩く計算になりますが、それでもあまり疲れなくなりました。途中で眩暈がして歩けなくなるなんてことは微塵もなくなり、そろそろ山登りの効果も随分出て来た様に思います。

でもしかし気を緩めるとすぐに体力は衰え歩けなくなり疲れやすくなりますので、この調子で年末を歩き倒してやりたいと思っております。北アルプスに復帰するには、荷物背負ってなければ7~8時間は楽勝で歩けないと無理ですからね!

まだ他にも色々書きたいことがありますが、今日はこの辺で・・・。

2013年12月5日木曜日

買い物

もう12月に入って5日にもなる。そろそろ嫌な年末の慌しさがやって来る。あのジングルベルの音がアチコチで聞こえて来るだろうが、やめてくれと叫びたくなる。うるせぇ~んだよ!分かったよ!もっと静かに年末を送りたいんだよ!と言いたくなる。しかしまぁ商売繁盛の為には仕方ないかな・・・とも。

今年もやり残したことが一杯あって、何から手を付けようかとも思い悩みながら、殆ど何もしないでこのところ歩いてばかりいる。歩いて気分良くなったら取り掛かろうと思うと、もう夕暮れがいらっしゃっていて、気がつくとあたりは真っ暗で今日も1日があっと言う間に過ぎていった。何もしない1日と言うものは原則として虚しさを伴うものだが、無造作の中にも大きな発見があり、とりあえずプラスαな日だったなと思いながら買い物へ出かけた。

何やかやと食料品を買い、合計2765円の表示がレジに映し出される。ワタシクは3千円出すところを2千円しか出さず、「これでお願いします」って・・・。オイオイもう千円足らないでしょう!それに気づくのに数秒もかかってしまい、レジのおばさんに「どうもすいません」って・・・。「すいません」じゃないでしょう、しっかりせよ、自分様。

まぁお迎えはまだにしてもそろそろヤバイ年齢になって来たのかな・・・?この事件の1時間ほど前にも電話で「明日の山登りの件なんですが・・・」ってワタシクが言うと相手の方はすぐさま「明日は金曜日、あさってでしょ!」ってと訂正して頂きました。やっぱりヤバイょ!

でもまぁ、今日は街中まで歩いて行って「ちゃんと歩いて自分の事務所まで戻って来たから良しとしよう!

2013年11月21日木曜日

進歩すること

進歩すること、それはとても辛いことだ。しかし進歩を感じることはとても素晴らしいことだ。その素晴らしいことの為にどれだけの犠牲が払われるのか?それはワタシクにも良くは分からないが、多大な労力と精神的負担を強いられることはマチガイナイ。だから多くの人は進歩することから距離を置こうとするのかも知れない。

だけどそういう逃げ惑う人達も一方では無意識の内に進歩を望んでいることが多々あるのではないか?!歳を取れば取るほど人は努力の割に進歩を感じられなくなってくるので、気力も体力も衰えてくると逃げ出したくなる気持ちは非常に良く分かる。ひょっとしたら若くてもそうかも知れない。幸いワタシクなどは単細胞にできているので同じことをいくら繰り返してもそんなに飽きることもなく長く続けられるので、多少の進歩をまだ感じられていると自分では思っている。

でも正確には進歩しつつ、それ以上に大きく後退をしているのかも知れない。まぁ仮にそうであっても進歩に対する期待を失っては、生きる意味も無くなってくるように思われる。

進歩から逃げ惑う人達は一体何を恐れているのだろうか?それがワタシクにはさっぱり分からない。もの凄く頑張ったのにできやしないじゃないか、だからやっても無駄と考える人はこれまで沢山見てきた。でももの凄く頑張ってやった結果がだめでも、そのプロセスで得た色々な知識や経験が絶対に次の頑張りに必ず何らかの役に立つはずで、そういうことを何度も何度も繰り返している内に、気がつくとかなりの高台に到達している可能性はあるはず。

闇雲によくそんな無意味な努力ができるもんだと周囲は冷めた目で見るかも知れないが、最初の努力とはそんなもんだ。何も見えず努力するとはそんなもんだ。いつだって闇雲に決まっている。そして最悪の日々が長い間続くもので、そこのところが多分多くの人々にとってとても嫌で辛いんでしょうね!でもどんなに歳を取っていようが、努力してやっただけの何かは必ずあるはずで、何事も諦めてはならないと思う。

そもそも進歩とは何か?と言う問題もあるが、まぁそこは各自考えて頂いたら宜しかろうと思う。ワタシクが思うには、「できないことができるようになること」ではないかと思う。カヤックで言えば、転覆してもすぐに起き上がれない人がすぐに起き上がれるようになること、これが進歩だって説明は不要ですよね!一方では「沈しなければロールは必要ない」と言う人には、到底進歩は訪れないでしょうね!

山登りでも色々な局面で進歩を獲得していかないと、こんなしんどい遊び(仕事)は、とてもやってられない。登れないフェースをいとも簡単に登れるようになったり、重い荷物を背負って長時間歩くことが楽しいと感じられるようになったりと、今持っていない状態を獲得することが進歩ではないかと思う。

しかし進歩を恐れる人々は、いつまでも海の恐怖、山の恐怖、空の恐怖、川の恐怖、目線の恐怖からは抜け出すことはできないだろう。もちろん進歩を獲得していく人達が、それらの恐怖の全てを克服できるとも思わないが、楽しいと思える領域を大きく広げて行く可能性は大いにあると・・・。

それにもう一つ重要なことは、目的意識を明確に持つこととその為の環境作りではないかと思うのだが、我が身を振り返ると何とも情けない有様だ。目的意識が非常に希薄になってきて、環境作りも上手くいっていない。今年の残りの期間の課題は、この辺りだな・・・と。

2013年11月17日日曜日

また新しい時代へ

今シーズンもほぼ終了しました。ご参加の皆様ありがとうございました。

もう季節はどう考えても夏は終わり深い秋に落ち込み刻一刻と冬に近づいています。かと思えば時折春日和の気持よい1日もやって来ながら確実に時間は冬へ近づいています。時計の針は故障をしても逆に戻ることはありません。

今年もシーズンが終ると同時に、また新たな時代の到来を予感しています。そして新しい時代がやって来ると古い時代の古い皮膚は何もしなくても自然にどこかへ消えて行くように・・・それがこの時期の紅葉の意味するところではないかと勝手に解釈してはみるものの世の中の移り変わりには一抹の寂寥も感じないわけにはいきません。

まぁ何をどのように考えようと、この地球上のあらゆる変化を止める力はワタシクシには備わってなくその流れに沿ってカヤックを操作してゆくだけの存在でしかないのかも知れません。

しかし操作して行く方向性だけは自分である程度決めることができるのかも知れません。そして同じ方向に向かう人あれば違う方向へ向かう人もあるでしょう。すれ違う人もいるでしょう。しばらく一緒に旅をして途中で分かれ、またどこかで出会うかも知れません。所詮は同じ場所に到達することが分かっていながら敢えて途中の通路に拘りを持つ人もいるでしょう。

そう、人は何を勉強して何をどのように遊ぼうともその人の自由であり、選ぶ人も選ばれる人もどちらも色々な選択の自由ボタンを所持しているのですから、カレーを食べようが中華を食べようが他からとやかく言われる筋合いは全くないのですね!分かりきったことではありますが、時にカレーを食べた後で中華を食べれば良かったと後悔する程度のその時の選択行動は、誰にだってあることです。

でも中には生命の方向性さえ変化させるような出来事を至って簡単に執り行う冷酷な性格の持ち主もいるかも知れません。それほど世の中は、いやそれ以上に世の中は冷酷だからこそその人は冷酷になろうとしているのかも知れません。いつも暖かい気持を持って誰かと接していたいと思っているから冷酷になろうとしているのかも知れないが、そう考える時に必要な行動選択枝は複数は存在しないからチョッと辛いのですね!

人の住んでいない島へ行きキャンプをしたり、極寒の雪の中で戯れたり、荒れた海の中をカヤックで突き進むのは暖かい気持を取り戻す為と言うキャッチフレーズをアピールしたいのだが、その前にもっともっと馬鹿馬鹿しい自分と地球上で最もくだらない人類の為にできる限り役に立たない何かを模索したいのであります。

そういう意味では、カヤックも登山もスキーも人間の役に立ち過ぎですから、そういうものも全部捨てて今日一日は最もくだらないことに全力を尽くしたいと思うのであります。