2014年2月28日金曜日

どこも一緒なんだね!

一つ目はつまらん事を自慢していたな。公衆電話に細工をして無料で繋がったとか・・・。震災の影響で唄えなくなったアーチストに憤慨していたけど、常識など無関係な感じだったね。


二つ目は良い所もあったけれど、それを帳消しにしてあまりある接客態度にはどうも気持ちが削がれましたね。


三つ目は一見優しいそうに見えるんだけれども、言っていることと書いていることが全然正反対じゃ人間性を疑ってしまうね。


4つ目は2回目でワタシは倒れそうになった。アコギのイヴェントなのにエレキバンドが出て来てこんにちは。脳みそ空っぽのハウリング坊やに相当のショックを受けましたね。


5つ目は狭い所で座るところも少なくやっと見つけた椅子に座っていると、アンタそこどきなさい。邪魔だよって・・・ふ~んすげぇ~品のない女にぶったまげぇ~でしたね。


6つ目は雰囲気があってなかったのとお値段がちょっとねぇ~珈琲一杯でそんなにするのぉ~?って感じで行けなくなりました。一人優しいお兄さんがいたのですが・・・。


7つ目は大体良い感じではあったのですが、なんとなくお前なんか来るなってオーラを出している人が数人いたので行くのをやめました。レベル高い人がいて仲良くなれたのですが、残念ですね。


8つ目は最初はすんごく良かったんですが、ライブハウスでもライブ喫茶でもなくカラオケ&お食事所だったんですね。でもここももう行けないですが短期間で良い体験をさせてもらいましたね。食事は美味しかったね。


9つ目は長い間通ったけれども、そして勉強にもなったけれどもなかなか接点が見つかりませんでしたね。もっと早くやめるべきでしたね。


こうして過去を振り返ると結構アッチコッチ行ってるんですね。飽きもしないで・・・。でもこれだけ行ってもワタクシの安住の場所がないということはLIVEHOUSEやLIVE喫茶にはワタクシの求めているモノは存在しないのかも知れませんね。


結局何かを求めてはいたのかも知れないが、チョット難しそうなことは絶対に追いかけなかったのでしょうね。10階建てのビルを見て、階段があるのに気づかずいきなり壁を登ろうとして落ちかかったことがあるのでしょうかねぇ~?中に入ればチャンと階段があり一歩ずつ登っていけば屋上まで行けたと思うのですが、残念ですね。


何かを理解したり本質を掴んだり難しい技術を習得したりするのは大変なことかも知れませんが、何かをする面白さと言うか人間の存在の面白さと言うのは必ず苦労と経験と知的要素が絡んでくるはずで、そこから逃げてしまっては長年の経験も薄っぺらいものの単なる羅列でしかないのではないだろうかね?!


本質的なことから目を逸らしてきた人の文章といつも何かを追い求めている人の文章の違いは自ずと読む人にはわかる筈ですが、ついでにうわべだけの言葉に自らも酔う方法を習得されるとひょっとしたら世の中はばら色に見えるかも知れませんね。









2014年2月18日火曜日

楽譜散乱

この前に部屋の中を片付けたばかりなのに、もう楽譜が散乱している。おっと今ワタシの音楽ブログはとても危険な状況に置かれていて自分の事柄が書けない。書いてはいけない状況なので、こちらに書くことにした。室内は3年分の楽譜のコピーが散乱している。酷い有様だ。


良くもまぁこれだけアレもコレもコピーして練習したもんだと自分でも呆れる。とてもじゃないが上手くリズムが切れるのはほとんどない。色々とやりすぎだよと人から言われる前に自分でもそう思う。それでも次から次へ1ヶ月ごとに新しい曲に挑みそれぞれに撃沈の憂き身を十二分に味わって来た。


こういう話を聞いたら喜び勇んでターゲットにしたい人もいるかも知れないが、ここでは御免被る。真っ平御免だ!ワタシはしかし逆にザマァ~見ろ!と申し上げたい。誰に向かってでもない。自分に対してでもない。何もやろうとしない世間に対してザマァ~見ろ!と言いたい。この歳で「撃沈の憂き身」はいささかきついけれども、そういう経験ができることが有難いし素晴らしいと思いたい。


また大して努力も練習も苦しみもしていないのに偉そうなことを書くのは100年早いとは思うのだが、何の音楽的素養がなくても僅か3年チョットでも少しの変化が現れて来たことを少し書いておきたいのだ。


それは今日の午後の出来事だった。ライブも近いので、課題曲やら散乱した楽譜の中から選んだ途切れ途切れのできそうでできない練習曲を適当にジャラかしてみた。好きな曲だが殆どリズムが取れない3曲の題名は伏せておくが、もちろん拓郎の曲だ。


もちろんスンナリではないがそこそこ押し通せる感触が得られたのには大変驚いた。それらの曲をずっと練習して来て・・・では決してなく、他の曲を一生懸命やっていて、気がつくとやっていなかった難しい曲ができるようになるって、そんなのアリだろうかね?!


今3曲と書いたが、多分もっと多いかも知れない。こういうことが分かっていたから次から次へできもしない曲を一杯やって来た訳では全くないが、僅か数曲を毎日毎日繰り返しなど演奏できる筈もなくただひたすら好きな曲を毎月ごと追いかけていただけのことだが、今まではガラクタのような楽譜も全て宝物のように思えるのは不思議だ。


今年1年はこのガラクタの楽譜を宝の楽譜に変えていく歳になりそうだ。このセカンドステージは1年くらいで卒業して、サードステージで初めて音楽らしい組み立てができるようになるかも知れないしそうでありたい。それはつまりリズムの中にメロディアスな要素を取り入れる・・・できるかなぁ~?


それともうひとつこれとは関係ないが、多くの人々の心を惹きつけるリズムのあり方は千差万別だろうが、自分が求める形のリズムのひとつもその中にあることを発見したのは、ワタシにとっては謂わばノーベル賞もんだと勝手に悦に浸っている。


そこで結論だが、アレコレやるのも良いし、ひとつだけ頑張るのも良いと思うが、その両方を平行してやるのが一番効率的かも知れない。


ま今日は、そんなこんなを思い浮かべたのでありますが、アドヴァイスやコメントは不要にて候。













2014年2月15日土曜日

里山資本主義

今日ニュースを見ていたら「里山資本主義」が話題になっていた。「マネー資本主義」に相対する言葉のようで、その出所は中国山地にあるらしい。田舎にあって利用されていない価値あるものをもう一度見直して、今の住み難い現代社会を生き抜こうということらしい。数年前のリーマンショックで躓いた金融資本主義が、つまり大量のお金を動かしてお金を稼ぎ出す謂わば虚構の経済活動から目を覚まして人間本来の生活を取り戻そうということらしい。


詳細はhttp://www.j-cast.com/2013/12/31193104.html?p=all をご覧になって下さい。


しかし言葉では理解できても、またワタシのような里山で育ち里山資本主義を実践するだけの環境を持っていても実際にそれを実行するのはなかなか難しい。ましてやそういう環境を持っていない若者が里山で米や野菜を育てながら尚且つ仕事に就くことは相当に大変なことに違いない。


ただ自分の周りを振り返ってみると実際にこの里山資本主義を実践している知人もいるし、できるだけお金をかけない生活を実現しようとしている若者も知っている。この社会は働いても働いても、いや働けば働くほど収入をもぎ取られる仕組みができていて、矛盾に満ちている。働かなくては生きていけず、働けば限りなく吸い取られるシステムができているし、それが年々厳しくなって来ているのは皆さんご承知の通り。


そういうアリ地獄から抜け出る為のひとつの方向性を示しているかも知れない。水や食料や燃料を買うのではなく里山で自給していくというのには大いに魅力を感じる。水は地下水で、食料は自分で栽培し、燃料もガスや灯油は使わず不要な木材を使うのは、ワタシの子供の頃はほぼそうだった。


もしこういうことがこれからの時代可能であるならば、年間100万円もあれば充分暮らしていけそうだ。もちろん贅沢はできないが心豊かな生活を実現できるかも知れない。消費税がどれだけ上がろうとも年金がどれだけ削られようともさほど気にしなくても暮らしていける生活スタイルが構築できるなら大いにチャレンジしてみる価値はあるのでは・・・?!


今年になってまだ一度もワタシの里山に戻ってないので来週には一度戻って、色々と思いを巡らせて金融資本主義に対抗する手段をひとつでも増やして生きたいね!





2014年2月4日火曜日

歩くことの意味は・・・?

ネット上で興味深い記事を見つけました。最近非常に良く歩くようになり腰やら肩やら随分軽くなってきたようです。それで背骨や腰などについて調べものをしていたら下記の記事が出て来ました。気になる方は参考にして下さい。


ブログ記事から
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骨」と一言で言っても、小さな骨の連続から成り立っています。
その骨と骨との間には、柔らかい椎間板があります。
おかげで背骨は180度、柔軟に曲がるようになっています。
若いときには、椎間板は分厚く、柔軟性を保ってます。
しかし、年を取ってくると、次第にすり減ったり薄くなり、背骨の骨と骨同士が摩擦を始めます。
これが、背骨を通る神経の束を刺激して、腰の痛みを引き起こすとされています。
腰痛は、ある程度、年を取ればなりやすい病です。
  • 「そうか。ならば腰に負担をかけないほうがいいだろう。運動は控えめにしよう」

そういう感覚を持つのが一般的でしょう。
しかし、必ずしもそうとは限らないのです。
腰痛の原因調査のため、専門家がアフリカのタンザニアに住む「ハザ族」を調査した結果があります。
ハザ族は、1日平均15キロも歩く狩猟採集生活を送っています。
私たち先進国の人間であれば、1万歩歩くだけでもやっとですが、15キロといえばおよそ3万歩に及ぶ歩数です。
ハザ族は、その日の食事になる獲物を狩りに出かける「狩猟採集生活」を送っているため、毎日よく歩くのです。
これだけ歩いていれば、当然、腰には大きな負担がかかり、腰痛になっている人も多いのではないか。
調査団たちは、そういう予想を立てていました。
ところが意外な調査結果が出ました。
普通に生活をしている人で腰痛に悩んでいる人は、なんと1人もいなかったのです。
多くの人が腰痛になっているのではないかと思われていただけに、大変な驚きだったとのことです。
この結果から、歩くことは腰痛にいいことが分かってきました。
では、なぜ歩くことが腰痛の防止につながるのでしょうか。
一説によると、歩くことで背骨を刺激するのがよいのではないかとされています。
歩くとき、体は軽く上下に揺れます。
このとき、背骨にも上下の刺激が伝わります。
この刺激によって、椎間板を形成しているコラーゲンの生成を促す効果があるため、腰痛になりにくいのではないかとされています。
正確なメカニズムはまだ究明中ですが、いずれにせよ歩くことが腰痛に利くことは間違いないようです。
  • 「そうか。ではさっそく今日から腰痛改善のために歩こう」

ここで、1つ注意も必要です。
腰痛の予防のため歩くのはあくまで、まだ腰痛になっていない人です。
腰痛になって腰を痛めている人は、すでに問題を抱えているわけですから、歩くことで逆に腰を痛める可能性もあります。
また、腰痛の原因は、単純なようで実は複雑です。
椎間板の異常だけでなく、精神的なストレスが腰痛に関係することもあります。
すでに腰に痛みを抱えている場合、素人だけでの判断は難しいため、必ず担当の医師に相談してからにしましょう。
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ブログ記事ここまで


ワタシの二十代は歩くことが唯一の楽しみでした。今は五月蝿いと言われるほど良く喋りますが、あの当時は失語症とも言うべき状況が10年以上も続きました。ですからひたすら歩き続けました。1日に最低でも1時間は歩いていたし、長いときは5時間6時間は普通に歩いていました。


当時は腰痛など微塵もありませんでしたが、歩くと身体も心もまどろみ分散した意識が集中力を取り戻すような気がしてとにかく歩き倒しました。


カヤックをするようになってから次第に歩かなくなり体重も増えて来ました。その後のことは省略しますが、今また歩き始めました。確かに脚力は非常に弱っていましたが、最近は随分回復して来ました。歩くこと2時間くらいは楽勝で、時に5時間くらい歩くこともありますが、それほど疲れなくなりました。但しスノーシューなどを履いて雪山を歩くときはまだまだ全然駄目ですね!


その辺の筋力が全然鍛えられていないんでしょうね!夏の北アルプスを目標に、ウォーキング・スキー・スノーシュー・低山トレッキング・長時間街歩きなどをやって30代の脚力を取り戻そうと思っています。もう無理かなと思う日が何日もありましたが、今は充分いけそうじゃないかな・・・とここ地良い錯覚に陥っています。


週末はまた県北でスノーシュートレッキングを予定していますが、皆さんワタシに付いて来れるかな?お~い待ってくれぇ~!って叫んでいるのは、やっぱりワタシでしょうか?まぁ今はやる気満々ですので、参加者の皆さん、宜しくです。