2011年12月29日木曜日

技術が全てではない・・・?!

これはカヤックの話でもあり音楽の話でもある。カヤックで言えば、パドリングテクニック、ギターで言えば演奏テクニックと言うことなんですが、昔も今もこのテクニックと言う言葉、技術と言う単語に強烈にアレルギー反応を示す人がいるようだ。多分、どの分野に於いても、ある一定以上の技術を習得するには、相当の努力と苦労が伴うからだと思うのですが、多くの方々は、一定水準以上の技術がないにも関らず、「技術が全てではない」と言って、そこから逃げようとしている・・・ようにワタシには感じられる。

カヤックで言えば、技術もあり経験もあり、総合的な力量のある人が、技術はあるが経験の少ない方に向かって、「技術が全てではない」と言うのなら、理解できるが、看板だけ上げて殆ど指導力も経験もないような方が、「カヤッキングを楽しむのに技術が全てではない」と言っても何の説得力も持たない。仰ることが正しいと言う前提で物事を考えても、例えば性能抜群のカヤックに最高級のパドルを持っていたとしても、技術がなければ、海は漕ぐことができないし、リカバリーなども不可能であることは、小学生でも分かること。

ここでギターの方に話を移すが、やはり似たようなことを仰る方はいるもんだ。ギターと言っても弾き語りの分野での話だが、「ギターのテクよりも歌が重要だから、一生懸命に歌を勉強しなさい。」って、先輩が後輩へアドヴァイスを送ることもあるようだ。でもだったらどうしてギターを弾くんだろうか?って即座にワタシは疑問が湧く。ギター弾き語りなんだからどっちも重要でしょう!歌よりもギターでもないし、ギターよりも歌でもないでしょう。どちらも上手くなくてはならんでしょう。理屈では・・・。

実際はどちらも上手い人は少なく、どちらかに傾いてはいるとは思うが、だからこっちを・・・と言う話には発展しないでしょう。

しかし、日本人は自分も他の人もお互いに上手にならないように牽制し合っているのかも知れませんね。上手にはならなくても偉そうなことは言いたい人はいるもんで、そういう人に限って、技術云々でその話をさせないのが目的なのだとしたら、寂しい話だが、こういう方は結構アッチこっちに転がっているよう気がする。

唐突ではありますが、こうした平均化しようとする、あるいはさせようとする傾向は、日本人の遺伝子の中に組み込まれてさえいるような気がするのはワタシだけだろうか?400年も続いた江戸時代に、反骨精神を持った奴、他よりも抜きん出ようとする奴、何かと目立つ奴を幕府は何百年もかけて淘汰していったのかも知れない。もしそうだとしたら、そろそろ我々も本当の自我に目覚めなくてはならない時期が来ていような気がする。

周りの目を気にすることなく、自分のやりたいことをどんどんやり抜いていくことが重要だし、技術に話を戻せば、それが全てじゃないなどとほざく暇があったら、ひとつでも多くの技術を習得していくことが一番重要だとアタシャ~思うのでありんす。死に物狂いで取り組みその結果初めて技術以外の世界が見えて来るなんて、そんな台詞を吐く連中が沢山出て来ることを2012年は期待する。