2016年1月18日月曜日

史上最悪の猫山スキー場 その2

先日スキーバスの事故があり、多くの若者が命を落としました。非常に残念で悲しい事故としか言いようがありません。まだ詳しい原因が分かっていないようですが、こうした事故を未然に防ぐ方法はなかったのでしょうか?


この事故とは直接何の関係もありませんが、ふと昨年末に行った猫山スキー場のことを思い出しました。以前そのときの状況を詳しく書きましたが、まだ書き足らないような気がして書いています。書き足らなかった部分は、滑走状況のことであります。


何しろコース全面が人工雪に覆われている訳ではありませんので、滑り難いことこの上ありませんでした。雪は少なく、ゲレンデマットはあちこちで顔を出していて、マットの角が飛び出ていることさえ当たり前にありました。


転びそうにもなりあるいは板がマットにひっかり休憩している人にぶつかりそうにもなりました。また他のスキーヤーやボードの人が休憩している私に何度も衝突しそうになりました。充分に気をつけているにも関らずです。


短いコースを1回降りてくる間に何度も危険な目に遭いました。幸いぶつかったり転んで怪我をすることはありませんでしたが、そうなっていても全然不思議ではない有様に唖然としました。


私は事前にコースの写真を見ましたが、HPに表示されている積雪30cmを信じました。しかし、実際に行った人がゲレンデの詳細レポートを書いてくれていたら決して行かなかったと思います。0センチから3センチしかないスキー場には絶対に行かないでしょう。


またそれを30センチと表示するスキー場経営者の感覚は全く普通ではなく殆ど詐欺ではないかと思うのです。怪我でもしていたら踏んだり蹴ったりです。スキー場としてあるまじき営業姿勢だと思うのです。


もし私が書いた記事を読んでそこのスキー客が激減したり、あるいは誰も来なくなったとしてもそれは私のせいでは決してありません。私は実際のゲレンデ状況を説明して、滑りにくかったそして転びそうになりぶつかりそうになったとありのままを書いただけですから。また積雪が30センチあるのに3センチしかなかったと嘘を書いた訳ではありません。30センチあると言うから行って見たら3センチしかなかったから、騙されたという思いは非常に強いですね。


話を最初のスキーバスの事故に戻します。


私も昨年2月に激安スキーバスツアーで長野まで行って来ました。幸い事故には遭いませんでしたし、途中で危険な状況に面したこともありませんでしたが、行きは酷く辛い行程でした。おまけに従業員の質が相当に悪く、酷い対応でした。


途中でトイレに行こうと思い停車中のバスから出ようとすると、「お前、出発のときにトイレ行っとらんのか?」と言われ、なるほど安いのには理由があると思ったのですが、こういう事実はどんどんブログやHPで情報を流すべきだと思うのです。


今回の事故の以前にも、過去何度か悲惨な事故があったと思います。しかし、新聞やテレビに登場して来るときは既に大事故が起きて人の命がなくなっているケースが殆どですね!それじゃ遅い訳ですね!でも大事故には至らなくても、それに繋がるような、ニアミスや従業員や運転手の言動や動作など常識では考えられないような経験をされた方は、洗いざらい情報提供すべきだと私は思うんです。


ありもしないことや実際とは異なる嘘の悪口では話になりませんが、実際にあったことや嫌な体験は、(もちろん良かったこと楽しかったことなどももちろん大いに書いてよいが)遠慮せずにドシドシ書いていった方が良いと私は思うのです。


それは決して悪いことではないし、「監視している世間の目」と言うのは必要なのではないかと思うのです。もしもっともっと厳しい世間の目が光っていたら激安スキーバスツアーには体験しないと分からない負の部分が一杯あるのだということが知らされていただろうにと本当に残念に思うのです。


ある誰かが激安スキーツアーに行って最悪の体験記をブログなどででこれでもかと書き綴り、もしそれを読んでやっぱりやめておこうと行くのをやめていたら・・・死なないですんだのに・・・と思わずにはいられません。


もし現在が江戸時代とか明治時代ならば、お上に都合が悪いことを書いたり流布したりすれば、大変なことになるかも知れませんが、今はナンとか民主主義の体裁を保っていますので、お金を払って理不尽で不快な思いをしたのであれば、そういうことは相手に言っても話にはならにだろうし、お金が戻って来ることもないでしょうから、事実をありのままに且つ詳細に書きまくったらよいのではないでしょうか?!


自分の体験を無駄にしないためにも大いに書きまくれば良いのではないかと思うのです。それで誰かの命が助かれば書いた甲斐があるというものです。


私が批判的に書くときはただ単に腹がたったから書いているのではなく、「監視の目」を増やしていきたいからなのです。まぁ「監視の目」と言う言葉の印象はあまり良くないですが、最近では憲法を無視して法律を作って反省どころか開き直っている政治屋も学者も増えて来ているようですので、庶民がこういう集団に目を光らせないといけない時代になって来たのでしょうか?


一番怖いのは、自分達で自分達の口を封じる習慣を身に着けることではないかと思うのですが、事実をありのままに述べるのは、いつの時代でも許されるかどうかは時の権力の懐の大きさに拠るとは思いますが、言わなくてはならないことは声を大にして発信しなくてはならないと思うのです。