2013年11月21日木曜日

進歩すること

進歩すること、それはとても辛いことだ。しかし進歩を感じることはとても素晴らしいことだ。その素晴らしいことの為にどれだけの犠牲が払われるのか?それはワタシクにも良くは分からないが、多大な労力と精神的負担を強いられることはマチガイナイ。だから多くの人は進歩することから距離を置こうとするのかも知れない。

だけどそういう逃げ惑う人達も一方では無意識の内に進歩を望んでいることが多々あるのではないか?!歳を取れば取るほど人は努力の割に進歩を感じられなくなってくるので、気力も体力も衰えてくると逃げ出したくなる気持ちは非常に良く分かる。ひょっとしたら若くてもそうかも知れない。幸いワタシクなどは単細胞にできているので同じことをいくら繰り返してもそんなに飽きることもなく長く続けられるので、多少の進歩をまだ感じられていると自分では思っている。

でも正確には進歩しつつ、それ以上に大きく後退をしているのかも知れない。まぁ仮にそうであっても進歩に対する期待を失っては、生きる意味も無くなってくるように思われる。

進歩から逃げ惑う人達は一体何を恐れているのだろうか?それがワタシクにはさっぱり分からない。もの凄く頑張ったのにできやしないじゃないか、だからやっても無駄と考える人はこれまで沢山見てきた。でももの凄く頑張ってやった結果がだめでも、そのプロセスで得た色々な知識や経験が絶対に次の頑張りに必ず何らかの役に立つはずで、そういうことを何度も何度も繰り返している内に、気がつくとかなりの高台に到達している可能性はあるはず。

闇雲によくそんな無意味な努力ができるもんだと周囲は冷めた目で見るかも知れないが、最初の努力とはそんなもんだ。何も見えず努力するとはそんなもんだ。いつだって闇雲に決まっている。そして最悪の日々が長い間続くもので、そこのところが多分多くの人々にとってとても嫌で辛いんでしょうね!でもどんなに歳を取っていようが、努力してやっただけの何かは必ずあるはずで、何事も諦めてはならないと思う。

そもそも進歩とは何か?と言う問題もあるが、まぁそこは各自考えて頂いたら宜しかろうと思う。ワタシクが思うには、「できないことができるようになること」ではないかと思う。カヤックで言えば、転覆してもすぐに起き上がれない人がすぐに起き上がれるようになること、これが進歩だって説明は不要ですよね!一方では「沈しなければロールは必要ない」と言う人には、到底進歩は訪れないでしょうね!

山登りでも色々な局面で進歩を獲得していかないと、こんなしんどい遊び(仕事)は、とてもやってられない。登れないフェースをいとも簡単に登れるようになったり、重い荷物を背負って長時間歩くことが楽しいと感じられるようになったりと、今持っていない状態を獲得することが進歩ではないかと思う。

しかし進歩を恐れる人々は、いつまでも海の恐怖、山の恐怖、空の恐怖、川の恐怖、目線の恐怖からは抜け出すことはできないだろう。もちろん進歩を獲得していく人達が、それらの恐怖の全てを克服できるとも思わないが、楽しいと思える領域を大きく広げて行く可能性は大いにあると・・・。

それにもう一つ重要なことは、目的意識を明確に持つこととその為の環境作りではないかと思うのだが、我が身を振り返ると何とも情けない有様だ。目的意識が非常に希薄になってきて、環境作りも上手くいっていない。今年の残りの期間の課題は、この辺りだな・・・と。