2013年7月3日水曜日

少し変化の兆しが・・・

今年の2月にプレハブを撤去してから4ヶ月以上が経過した。撤去前と後の1ヶ月が結構大変だった。片付けに追われる2ヶ月だった。4月5月は比較的ノンベンダラリと過ごし、これではいかんと思い6月に入ってから、また少しずつ部屋を整理している。もちろんなかなか前進しないのだが、片付けては乱れ、乱れては片づけを繰り返している内に、少しずついらない物が少なくなっているような気がする。

エアコンが壊れ、冷蔵庫が半分壊れ、家の内外が疲弊し、自分自身も体力&気力共に衰えて来たのは隠せない事実だが、今は色々なところでリニューアルする時期が来ているのだろう。エアコンや冷蔵庫は買い替えれば済むことだが、自分自身の体力や気力はお金ですぐに買えないから対処がなかなか大変だが、意識のもって行き方で対応すればそれなりに回復をしてくれるから、まだもう少し未来が残っているのかも知れない。

若いときには経験をしたことがない疲労感と言うか脱力感に支配されがちな傾向に対処しようという気力も生まれない時期もあったが、プレハブを撤去してから何かが変化して来たのかも知れない。そして少しの変化を勝ち取る為にも、様々な努力が必要だが、その少しの変化が実は大きな変化なのかも知れない。何故なら少しの変化が見え始めた頃から、色々な面でそれぞれに改善が見られ始め、それがまた次の気力に繋がっていくような気がする。

いくら努力を重ねても全く変化を感じることができなくなった時が、全てに観念する時と悟っているつもりではあるが、何とも時の流れのはやいことか!この流れにだけは誰も逆らうことはできない。
逆らうことはできないが、自分の中で何かを纏めたり体系を作っていくことは可能だから、最低でももう後一つくらいは新しい自分の体系を作っていきたいもんだ。

ワタシは色々な体系を習得している人、あるいは習得しようとしている人をみると尊敬し憧れてしまう。少々性格が悪くても気が強すぎても構わない。ただ単に優しいとか誰とでもつき合えるとかということだけでは全く魅力を感じない。少々変骨でも確固たる自分自身を持ち常に前に向かって何かを掴もうとしている人には、溢れんばかりのエネルギーがあり、人を惹きつける魅力を感じてしまう。

ワタシの場合は体系を作っていくプロセスで、スタート地点に立つまでがいつも大変だった。カヤックの場合は7~8年を要し、パドル作りは5年はかかった。スキーは25年以上経って初めて体系の入り口に来た。この闇雲状態で悪戦苦闘することが一番重要で、それがないとまず自分自身の体系はできてこないだろう。チョッと人から教えてもらいある難しいことと思われることができるようになったからって粋がっているようではとても体系は形成できないだろう。髪の毛を掻き毟るような経験を何度もないよりはあった方が良いだろう。

最近では歳をとってからの楽しみの為にある遊びに熱中しているのだが、これがもう毎日髪の毛を掻き毟る悪戦苦闘だった。今2年と9ヶ月が経過した。どこへ行っても自分でやってもドつぼしか経験できないので、何で俺はこんなに苦しんでいるのだろう?と思う日々が続いた。今もそうだ。しかし少し変化が見えてきた。もちろん良い方の変化が見えて来た。この変化までに最低6年はかかるだろうと思っていたが、無駄な努力もやっぱりしてみるべきだ。とは言えまだ話にはならないが・・・。

カヤックの方は相変わらず、「やるぞ」と「辞める」を行ったり来たりしている。どちらも真実だが、中途半端な話だ。辞めてもすることやりたいことは山ほどあるので、心配御無用。「やるぞ」と思うときは、ある特別なカヤックを作ろうかとも考えている。厳密(壇蜜?)にはカヤックではないが、絶対に遭難しないカヤックを作ってみたいと常々考えている。やろうと思えば絶対にやれる自信があるが、これでまた本当にやる気が出てしまったら困るから実は躊躇している。

過去を振り返ってみると、残念なことにある程度体系を習得し始めた頃に、その体系を台無しにしてしまう方向性を持った変化の兆しをいくつも見て来た。そして空中分解をするまでにはそれほどの時間を要しなかった。もちろん、その空中分解の後に自分で暗中模索をして闇雲と闘った人もいるかも知れないが、その方々にはきっと新しい光が見える体系を習得されていることだろう。そういう噂を聞いたことはないが・・・。

体系とは卓球の素振りのようなところから・・・こういうフレーズがいつも頭の中をよぎっている。