2013年5月31日金曜日

やっと一段落

こまごまとした雑用が一杯あって5月中には何とか終らせてカヤックの準備に入りたいと思っていたが、何とか間に合った。今日は雨も降らず爽やかな朝を向かえ午前中に所用を済ませ、昼からキャリアーの取り付け、カヤックのクリーニング、装備の取出しなどなかなか忙しい1日だった。

先日HPに大気もやっと安定して・・・と書いたが、その後に猛烈な風が吹きチョッと戸惑ったがこんな経験は過去を降りかえっても記憶にない。GWが明けて大気が安定をしてから季節は梅雨に入るのは皆さん御存知の通り。しかし、今年は大気が安定する間もなく入梅だからチョッとおかしい。

さてカヤックの準備はできて少しやる気も出て来たと思ったら、明日は雨模様のようなのでお休み。日曜もまた少し天気が悪そうだが一応行く予定です。参加予定者の皆様、顔も忘れるほど久しぶりですが、宜しくお願いします。






2013年5月27日月曜日

ナンデだろう?

どうしてワタシはそんなに考えてしまうのだろう?どうしてそんなに反応をしてしまうのだろう?嫌なことも楽しいこともチョッと反応し過ぎではないだろうか?いつか周囲のことに全く反応しないで、自分の心の中だけで生きてみようなどと考えることもあるが、すぐにそれが無意味であることに気づく。しかし周りの大抵の人々を見ていると、表向きは無反応を装っていて、ワタシにはそれがとても耐えられない。

だから余計に何かの化学反応の実験をしてみたくなるのだが、それも大抵困った結果となることが多い。困ったと言っても別に困る訳ではないが、何のチカラも経験もないのに何かを見切ろうとするのは、本当に困った奴だと自分で思うのだ。多分恐らくいつもひとりで悪戦苦闘をしてきたから、他の人とは非常に異なる歯車が一杯あるのかも知れないし、思考の切り口やら行動パターンが良い意味でも悪い意味でもシッチャカメッチャカで、闘う方向へ向いてしまうのかも知れない。

何の話をしているのか全く自分でも解らないのだが、多分一番いけないのは自分なんだろうな・・・とこのごろよく思うのだ。一番いけないのは自分の遊びを仕事にしてしまったのが、実は一番いけないことだったのでは・・・と反省はしていないが、残念に思っているようだ。と言うのは見えないモノが見えるようになるのは、普通は良いことのように思われがちだが、実はそうではない。見えないモノは見てはいけないのだ。

見えないから期待値もあがるし興奮もする。見えた瞬間にそんな夢あんな夢は露と消えてしまう。逆に遊びを仕事にできない人々が、ある種の夢を抱いて仕事のような真似事をするのは一向に構わない。ドンドンやれば良い。何故ならそれは決して仕事の真似事ではあっても仕事ではないのだから大いにやれば良いし、それに拠って何かが見えたり見えなかったりはしないだろう。

しかし遊びを完全に仕事にしてしまった人が、つまりプロの遊び人がアマチュアの境界線を越えてしまうことは時計の針を逆回転させてしまうような気がして、時空を炸裂させてしまうことに気がついた。時空を破裂させることはワタシの全く望むところではないが、ワタシの全く預かり知らないところで起こる現象だから、そういうときに気が弱いワタシは動転して一瞬にして新たな苦悩が始まる。

だけどそういった種類の苦悩は、過去を振り返ってみると、ほぼすべてがその苦悩が原点になって新たな悪戦苦闘を始め、それがフェードアウトする頃に新しい行動の座標軸ができていることに気づく。ワタシは自分自身に対していくら何でも時空爆発はまだ早過ぎだよと言いたいのだが、山の中を歩けば歩くほど綺麗な空気と美味しい水のせいで無意識の内にもスイッチが押されそうになる。

楽しかった山の話はまた別のブログで書くとして、今日は意味不明な我が脳みその不活性部分をどのように処理するかで総力を結集して検討した結果が出てしまったと言うか勝手に出てしまったと言うか、今年の後半もまたエネルギーのいる季節になりそう。でもね、これまで見えてから見切ったことは一度もなく、見切ってから見えることの正しさをまたしても証明していかなくてはならないのは、なかなか辛いことである。素晴らしい人々に一杯会えたのにね!

2013年5月21日火曜日

ノルディックウォークのストックについて

最近色んなアウトドア雑誌などで紹介され利用することを盛んに勧めているようですが、ワタシはちょっと待ったと申し上げたい。スキー板を履いていたり、足腰が悪く歩くのが苦手とかそういう前提でなら解るが、平地を歩いたり山登りをするときにこの2本のストックが必要だろうか?必要というかむしろ邪魔になってはいないだろうか?

GWに真庭連山にトレッキングに行ったときも数は少なかったが、雑誌からそのまま出て来たような格好の方々が比較的に使っていたような感じでした。まぁ使っている本人がとても気に入って便利だと思って使っているのであれば、ワタシがどうこう言う必要は全く無いが、そのストックを持って歩いている方々の後ろを歩いていて、とても便利に役立っているようには思えなかった。

急な登りもあれば滑りやすい崖のような場所もあるし鎖場もある。そういう場所を歩くときにむしろ両手に持っているストックが非常に邪魔になっているのに、どうしても使わなくてはならないと言わんばかりに使っている方を何人も見た。ストックの長さを調節せずに急峻な坂を登っている方は、両手を一杯に伸ばしてまるで何回も万歳をしているようにも見えた。下り坂では、両ストックに思い切り体重をかけてヘロヘロになっているお父さんを見た。

一方スキーをしているときにストックを持たないで滑るのが格好良いと思いノンストックで腰をローテーションさせながら滑る若者をしばしば見かけるが、逆にスキーなどをするときは是非ダブルストックで練習をして欲しいとワタシは思う。ストックを持たずリフト乗り場に来てもたつき他の方々に迷惑をかけているのを何度も見た。

必要でないものを使ったり、必要なものを使わなかったりとどこで区別をすれば良いのかよく解らない方もおられるかも知れないが、使ってみて違和感を感じたら、止めればよいだけの話。

アウトドアショップと言うのは基本的にあまり儲からないから色々と効能書きを書いて何でも売ろうとしているので気をつけた方が良い。酷いのになるとシーカヤックのスターンに「間抜け旗」を取り付ける装備品まで売っているところがあるから本当に要注意だ。こういうショップや輸入業者は殆どシーカヤックについての実践的経験も知識もないから騙されないようにして頂きたい。

2013年5月17日金曜日

大切なことは・・・?!

カヤックでも楽器でも一番大切なことは何だろうか?と最近よく考える。カヤックの場合はある程度上手になりかけた頃に、人との関係に緊張感がなくなり、規律や謙虚さが薄れて来るのはこれまで見飽きるほど見てきた。楽器演奏や歌などについては語るほどの経験を持たないが、そこそこ上手くなって自信がつき始めた頃のちょっと上手な方が、かなり上から目線で講釈をたれるのを聞く機会は何度かあった。まぁさもありなんかなと気持ちが萎えてくる面もあるが、今回はそれよりももっともっと残念な経験をした。

ピカイチの演奏技術と歌唱力を持ちながら、その優れた能力や人格を全て打ち消してしまうほどの無思索な人間関係性に、ワタシはその人の蟻地獄を見るような気がした。決して悪い奴とは思わないが相手の立場や気持ちに対する思索にあまり興味がないのだろうと思わざるを得ない。

その方がどれほど優秀で物凄く仕事ができワタシの何倍もの給料を貰っているのかも知れないが、ワタシがその方のお仕事のお手伝いをしなくてはならない理由は1%も存在しない。仮にワタシとその方が愛する女以上に仲が良かったとしても、1銭も貰っていない彼のお仕事のお手伝いをするほどワタシはお人好しではない。また仮にお金を出すと言われてもやりたくない仕事はワタシは死んでもやらない。

しかし残念なことに、恐らく彼本人は何故拒絶されているのか全く理解されていないようだ。親しき仲にも礼儀ありと言えば良いのだろうか、いや決して親しい仲ではなかったことも理解して頂きたいところだ。まぁ人間だから時に失礼な振る舞いもして相手を嫌な気持ちにさせることもあるだろう。しかし、それが2回も3回もあると、なかなか心の中では大きな垣根を作ってしまうことは、青年時代に学習しておくべきだったのでは・・・と本当に残念に思う。

だからと言ってワタシの方からああしろこうしろと言う事も全く考えてなくて、好きなように生きて頂いたら結構かと思う。但し電話をしたり貰ったりは勘弁をして頂きたいし、一緒にお茶を飲みながら楽器や演奏の話をするなどということは仮に夢の中でさえもありえないと思う。一つだけアドヴァイスするとすれば、もちろん聞く耳を持っているとは思わないが、ピカイチの演奏技術を磨くように、人間関係性も磨いて頂いたら、本当の友人もできるのではないだろうかね?!

一番大切なことは、どのように人を利用するか・・・ではなく、どれだけ他の人の役に立つ人になれるか・・・ではないかとワタシは思うのですが・・・。