2012年6月28日木曜日

無駄な時間

先日例によってファミレスで食事をしていたら、相当昔の知り合いに出会った。決して友人ではなくできれば時間を共にしたくはない「お客さん」で、頻りに何かを話しかけてきた。カヤックを作りたいとか、乗りたいとか、アウトドアをやりたいとか・・・。

それでしばらく時間が経過して分かったことは、この人はカヤックには殆ど興味がなく乗るつもりもないということ。ただ暇な時間を誰かと過ごしたいということ。しばらくして一緒にいるのが苦痛になり、すぐに店を抜け出した。

いつも思うのはこういう人たちはひょっとしたら心の時間がストップしたままのような気がする。今追いかけている課題が心の中に、あるいは頭の中にあれば、用事もない人を引き止めてその人の時間を無駄にするようなことはしないはずだが、なんとも情けない。

少し好意的な見方をすれば、誰かと会って話をする内に生きがいのひとつでも発見したいと考えているのかも知れないが、あれから10年以上も経過していて、お変わりがないようでしたから、まぁ無理かも知れませんが・・・。

しかしこういうとてつもなく無駄に感じる時間を過ごした後には、良いこともあるようで、岡山も捨てた街ではなさそうだ。カヤックや山登りやスキー以外に週一回自分が楽しめる空間を探していたのだが、いやもう完全に諦めていたのだが、フトシタことで楽しい空間が見つかってしまった。アウトドアじゃないので詳細は書かないが、問題は楽しすぎる毎日に身体と脳味噌がついて来てくれるかどうか、それが心配だ。

どんなに良い環境が見つかったところで自分が入魂して取り組まなくては全く無意味だが、そういう意味ではなかなかキツイ人生になりそうで辛いのでありますが、何もしなくても歳だけは確実に取って老いぼれになっていくので、そこは戦いあるのみなのかな・・・?!

戦っていくプロセスで大事なのは、アプローチの入り口を見つけることだが、カヤックは約7年、スキーは未だイマイチだがウン十年、山は2年ほどかかったでしょうか?!大凡の方がこのアプローチに失敗をして敗退してしまうんだと思うのですが、まるで雲を掴むような感じですから、一般の方々がその入り口を発見するのは恐らく至難のワザではないかと・・・。

ワタシが誰かとお会いして楽しいなぁ~と思える人は、このアプローチに大いに関係がある。アプローチの入り口を探している人、それから既に入り口から奥深く入ってしまっている人など。5~6年程度の経験で偉そうなことをノタマウ方々は、実はまだその入り口にも到達していないことに気がついていない。

どの種目でもそうだと思うのですが、アプローチに気がついてない人達は、自分よりもちょっとヘタクソだと思う相手が見つかると急にお偉い先生になったりするようだが、多分ひとりになって練習をしているときにつくづく自分が納得できない状況にあるのを感じてないのかも知れないね!

話は元に戻すと、良い環境優れた空間へ入ると、不思議にこの「お偉い先生」が一人もいない。中途半端な所では不思議とこの種の人達が何人かいて常に自分の生徒を探しているから、バラバラ感のある環境に入っていくときは非常に警戒しなくてはならない。そして気がつくと何故か自分がそいつに説教されてたりして・・・こういう経験は御免だね!

まぁいずれにしてもアプローチの入り口が見つかるまでは闇雲に練習を続けていくしかないのかも知れない。回りからナント言われようとも・・・ね!