2012年4月23日月曜日

前代未聞の潮流講習

ワタシ達はいつも無人島で練習をして、夕方4時ごろには荷物を撤収して島を後にします。無人島と出航地の間には小さな島が4つあります。そしてその周辺の潮流は複雑に流れています。初めてカヤックでやって来た人は非常に戸惑うでしょう。約6時間ごとに流れる方向が反転する備讃瀬戸の潮流の法則には従っているものの、流れる方法は必ずしも一定の方向ではありません。

概して島の先端部にぶつかった潮流はその島の両側へ分岐して流れていきますが、その分岐の流れる方向をしっかり把握しておかないといつも逆潮に翻弄されることになります。

ある日のこと、カヤックの練習を終えていつもの無人島から帰っていると、5~6人のカヤックのグループと遭遇しました。近くで確認をすると「潮流講習の第一人者の引率するグループ」でした。背後からしばらく観察していると、下げ潮の流れに逆らって進んで行きました。そのコースは、上げ潮のときでも結局逆潮と格闘しなくてはならないコースなので、通常は行きも帰りもそのコースは選択しません。

また途中3つの島が取り囲む僅かなエリアは漁船などの出入りが頻繁にあるので、我々カヤックが調子こいて楽しんでいると叱られかねない場所でもあります。もちろん最悪の場合は、衝突だってあり得るエリアでもある訳です。

そのエリアを通過して進むカヤックグループとは違う最も安全なルートへワタシ達は進路を取って、つまり大回りをして出航地へ戻って行きました。しかしワタシ達はゆっくりパドリングをしても彼らよりも随分早く戻ることができることは分かっていましたので、長細い島の南側を回って帰るそのグループを島の北側から回ったワタシ達はゆっくり観察させて頂きました。

目指す帰還地は同じでしたが、彼らは長細い島の南端から直線的にパドリングをしていました。興味深いのは皆さん、次の点です。潮流講習の大先生は後ろを振り向きもせず上陸ポイントを目指してパドリングしていた点です。引率されているはずのグループはてんでんバラバラで漕いでも漕いで前進していませんでした。さすがに大先生だけは進んでいましたが、後続のグループはほぼほったらかしです。

しかし高見の見物をしていたワタシ達はちょっと心配になって、航路の方まで流されはしないかと心配をして、万が一に備えましたが、てんでんバラバラになりながらも何とか辿り着くことができたので一安心でしたが、その頃には潮流第一人者の先生は既に上陸していましたから、さすがと言うか開いた口が塞がらないと言うか、ホント驚き桃の木鈴木のきぃ~でございました。

もしチャンと潮流の流れを理解して潮流講習をやるのであれば、そして下げ潮時に敢てこのコースを取るならば、細長い島の南端部を回ったらすぐに島の西側の沿岸に沿ってしばらく北へ向かって漕いで行き、ちょうど真西に帰還地の浜が来たときにそこへバウを向けて帰ればほぼ楽勝で帰れるはずなのですが、この潮流講習は大変お粗末でした。

更に笑えないのは、そのグループ全員が何とか上陸した後に、その大先生は潮流パドリングの講釈していたことです。

それからしばらくしてワタシの所に1通の封書が届きました。その封書の中味は「シーカヤック指導者認定講習とか認定試験」の案内書が入っていました。よく見るとどうやら、「お前を指導者として相応しいかどうか試験してやるから受験しなさい」といった感じの内容でした。

では一体誰がこのワタシを試験して下さるのかと興味津々で宛名を見ると、おやこりゃまたビックらドッキリでした。なんとなんと先ほどの潮流講習の第一人者の大先生からではあ~りませんか?!

続く