2011年12月20日火曜日

音は聴くものから見るものへ

全く相応しからざる音楽の「学習」を始めて、もう1年以上を経過した。「学習」と言うには、程遠い内容だが、どのように取り組んでいけば良いのかさっぱり分からず、かといって指を咥えているだけでは何も前進しないので、とにかくやれることからスタートしたのが、昨年の9月だった。

なかなか進歩のない1年だったが、ほんのつい先日ごろから、少し音が見えるようになってきた。と同時に今まで何を聴いていたのかと非常に恥ずかしい気持ちになる。しかし見えると言っても、はっきり見える訳ではなく、何となくボンヤリと見えるだけで、イマイチな状態に変わりはない。但し、適当に音を作っているのが、分かり過ぎるほど分かって来て、ある意味楽しくなって来た。

適当にやっているのを正確にやるだけのことが、これがなかなか難しい。たった1小節が実は、一度も上手く音を表すことができていなかったことは、一方ではガックシでもあった。正確な1小節を連続させる難しさに今は直面しているが、やっと音楽を楽しめるようになった「錯覚」を味わえるようになった・・・と自分では思っている。

それともうひとつは、何回練習をしても飽きない曲もいくつか見つかった。周囲から、どうしてひとつの曲に集中して練習をしないのか?とアドヴァイスを頂いたことがあるが、そうすることができる曲と自分の状況がなかったということに尽きる。第一これまで音楽なんてただ聞き流すだけでなんの勉強もして来ていないですからね。

ある意味非常に虚しく、周囲から馬鹿にされ、無視され、なかなか栄養価の高い経験をさせて頂いた1年だった。しかしできないなりに、分からないなりに、自分の聴きたい曲、自分がやってみたい音楽の方向性に全く狂いはなく、方向性という面では、少し確からしさを感じるようになった・・・と自分では思っている。

歌もギターも非常に上手だが、全く方向性が感じられないのは、かなり残念な気がするが、大して歌は上手くはないのに、方向性がしっかりしている人の演奏には、非常に魅力を感じてしまう。
この1年間で、歌もギターも上手な人に沢山出会いましたが、何か足りないものを感じていた。偉そうなことが言える立場では決してありませんが、誰かがある歌をとても上手に演奏して歌い終え、拍手を送ります。でもだからどうした?!と心の中で言ってしまう生意気な自分が見つかってしまう。

それが本当にアナタが唄いたい歌なんですかぁ~?って、・・・。

多分面白い音楽とそうでない音楽があるとしたら、体系や方向性を持っているか(持とうとしているか)否かではないかと、これまた偉そうに思うのであります。

ワタシの場合は、歌も演奏もまだ音楽にはなっていないので、如何ともしがたいのですが、細胞と全体の組み立て方が何となく分かって来たので、一応勉強の道筋はなんとか分り始めて、これからの1年は「基礎学力」に重点を置いて、のんびりやりたい。

本当はもっと棘のある内容にしたかったのだが、こんな「温厚な」?内容になり残念だが、この続きはまたいつか・・・。