2011年11月24日木曜日

観察と本質

ワタシは今自分の一番良くない所は興味あることに対していつも観察しようとしている点なんです。観察して更に観察して、たまねぎの皮を剥ぐようにその中心部分に到達しようとするので、結構疲れてしまうのですね。正直なところ。観察なんかやめて適当にやればよいのに、何か引っかかることがあれば、もうず~とそればかり考えている。

多分長い間スクールなんかをやって来たせいもあるとは思うのですが、もうひとつの理由としては、自分が生きていく指針のようなモノが全くなくて長い間悩んでいたのが原因かも知れません。いつも何をどうすべきか?何をどのように考えるべきか?どうすれば今より良くなるか?そんなことばかりを考えて来たからかも知れない。

自分が何かちょっとした間違いを犯した時とか、あるいは小さな親切をしようとして、フトしたことから嫌な体験をしたりすると、もうそのことが常時頭から離れない。そして何故そのような嫌な思いに至るのかも考え続けてしまうのです。それは二度と同じ過ちを犯したくないからです。そして頭の中で何度も失敗のプロセスを追っていく内に様々な心の事象が明らかになって来てそのこと自体は結構面白いのですが、一方では相当な落胆も発見されるので、一概には楽しくはないのですね!

ここ最近では2回も大変面白い経験をさせて頂いて、なぁ~るほどこれがそこそこ意識レベルの高い日本人のレベルがどんなものかをしっかり勉強させて頂きました。これ皮肉に聞こえますか?皮肉では決してありませんよ。嫌味ですよ。

因みにこれはカヤックの話ではありませんので、ご安心を・・・。

まぁ昔はカヤックでも同じようなことは山ほどありましたが、例えばスクールだけじゃ面白くないので、ツアーに連れて行ってくれって言うので、実際に連れて行くと今度はロクに教えてもくれていないから腕がパンパンになって酷い目にあったとか・・・そういうことは良くありましたね。

しかし新しい世界を楽しもうとするときに、その世界の諸先輩の方々に色々と指示され、そして大失敗をしたときに、その失敗をとやかく言われるのはどういうことなんだろうか?とワタシは甚だ疑問に思うのであります。逆にこいつ等の脳みそはどうなっているんだろうかと近寄りがたい存在に、疎ましい存在にしか思えなくなるのですね!とても残念なことではあるのですが・・・。

例えば、ワタシがカヤックの超初心者の方に、ちょっと試しにロールをやってみなさいと指示をしたとしましょう。もちろんできるはずもなく失敗をして沈脱します。そしてカヤックが流され、岩に当たってカヤックが傷ついたときに、その初心者を責めることができますか?アナタは初心者なんだから気をつけなきゃ駄目でしょうって・・・責められますか?

またHPやブログなどで次の週末はキャンプツアーですよって連絡しておいて、集まった参加者に何の状況変化もないのに、今週末はキャンプもなしツアーもなし、通常スクールですよ、キャンプなんかはやりませんってやられたら、そんなとこには二度と行かないでしょう。

しかし仕事でも遊びでもこういう現象は彼方此方できっとあるような気がします。どんな優れた指導者でもどんな優秀な受講者でも、仲間でも誤まった指示や間違いは必ずあると思うのですが、ワタシがここで申し上げたいことは、自分が間違った指示を出しておいて相手を責める行為だけは、些細なことでも見過ごせないと思うのであります。

その後の活動を観察していると、きっと同じようなこと(失敗)を繰り返しているような気がしてならないのですが、これは観察をして本質を見極めようとするワタシがきっと悪いんでしょうね