2011年9月28日水曜日

理解できない何か?!

これはカヤックとは全く関係ないことなんですが、新しい何かをするときに、時に理解不能な感覚に陥ることが良くあります。それは2種類あって、楽しいなぁ~と予想されることと、何か良くないことが予想される場合とあって、実は楽しい方はまず外れてしまいます。しかし何か不吉な予感を感じているときは大抵的中します。

まぁ別にワタシに予知能力があるなどとふざけたことを書くつもりは全くないのですが、そういうことって皆さんはありませんかぁ~?悪い方に転がることはあってもなかなか良い方に転がることはないのですが、では何故良くない予感が当たるのでしょうか?

先日カヤックを片付けるときに、近道をしようとちょっとした岩場を登っていました。足を滑らすかなぁ~って、物凄いその可能性を感じていたのに、一歩を踏み出し、すってんころりんとやってしまいました。そのときに、我ながら予知能力が凄いなと・・・痛かったなぁ・・・。でもカヤックは無傷でした。

また無人島などで夏にキャンプをするときに、朝からどうも胸騒ぎがすると思ったら、昼前にレジャーボートの軍団に浜を占領されたり、あまり考えたことがないのに突然遠くに出かけて車が故障したらどうしようかと思っていると、実際に故障してしまったりと、こんなことが良くあります。

今思い出したのですが、3年前に岡山大学の近くを車で走っていた時に、後ろから車が近づいてきたのですが、妙に衝突されるような気配を感じていました。物凄く接近して来たのですが、一旦大きく離れたので安心して前だけを見ていたら、突然大きな衝撃音がして、ワタシの車が走り出したのです。最初は何がなんだか訳が分からなかったのですが、追突でした。

最近も内容が全然違うのですが、何となく空気の馴染まない空間に足を踏み入れ、いつも違和感を覚えてしまうのについフラフラと足を踏み入れ意図せずして嫌な体験をすることが良くあります。この違和感が曲者で理屈抜きでワタシの感覚に入り込んで来て、何らかの信号を送ってくれているようなのですが、これからは理屈抜きでこの違和感をひとつの指針にしないといけないかも知れない。そんなのはワタシの性に全く合わないのですが、現実に理解できた時は、時すでに遅しなんですから、厄介ですね!

昔の人が「君子危うきに近寄らず」って言ってたのは、このことなんだろうか?と勝手に自分を君子に仕立ててますが、そう言えばワタシの生活もそろそろ「危うき」状況かな?

ひとつ明確なことは、何かをしようとするときに「億劫な部分」が意識されるときは、そこには「危うき」何かが存在する・・・と考えても良いのではないか?!過去を振り返ると、「億劫」を無視して行動したときに、ある意味大事件が起きている。

まぁ意味不明な内容ですいませんでした。こういう非論理の世界のことはあまり考えたくもないのですが、このところあまりにもそこに首尾一貫性が感じられるので、ついつい書いてしまいました。できれば科学的に解明したいものですね!