2011年7月22日金曜日

語るに落ちた会話

これはカヤックとは全く関係のない世界でのお話ですが、日常生活で時折知人に出くわしお話をしていると、それがとても気晴らしになったり、また一方では暗い世界へ引き込まれたりします。まぁこれが人間の世界なんだと最近になってようやく分かりかけたところなんですが、その辺の領域をもう少し詳しく考えてみたのです。

久しぶりに会ってお話を伺うと、とても意気軒昂にこれからの未来をそして現実を熱く語る方と時間を過ごした後と、如何に自分が不幸であるかをとうとうと語るのを我慢して聞いた後ではこちらの気分の状態に雲泥の差があるのはお分かり頂けると思います。

しかしこの差は一体どこからやって来るのでしょうか?ワタシにはさっぱり分かりませんが、付き合うなら前者の方を是非とも選びたいと思うのであります。何故なら一緒に居て楽しいし時間を無駄にしている気がしないが、後者の方と共にいるとできるだけその場から逃げ出したい気分になるのですね。

非常に恐ろしいのは、不幸を売りにしている方は、その不幸の原因が一切自分にはなかったような話し方をされるのが常で、実はそれがその方の不幸の原因の80%以上を占めているのではないかと思うのですね!そして更に更に恐ろしいことに会話の途中に本人は全くの冗談のつもりなんでしょうが「相手を相当に貶めている」ことがしばしばあることに気がつきます。そして非常に不愉快な気分になって、その人の不運の空気がワタシを覆い尽くすのではないかと逃げ出したくなるのですね!

その時にワタシは心の中で「このような方に仕事の依頼をすることも、一緒にナニかを活動することも100%ない」ことを確認するのですね。そしてその人の周りには降りかかった不幸の原因を全く考えない人達が集まり、お互いを辱め貶め暗黒の世界へと導きあって生きて行くのでしょうか?

ところでひょっとしたらご心配の方もおられるかも知れませんので、これはもう10年も20年も前のことをふと思い出して書いているだけで、今現在の話では全くございません。ただひょんなことで思い出し突然書きたくなっただけのことでございます。

今現在ワタシ自身はカヤック関係にしても音楽関係にしてもその人間関係は非常に恵まれた環境にありナンの不満もないのですが、自分が自分に対して納得のいかないことばかりで結構不満が蓄積していて、その原因はどこにあるのかと考えている内に、そんな大昔のことを思い出し、曰く反省しているのであります。自分に対して「語るに落ちてはいないか?」と自己検証をして、また新たな一歩を踏み出そうと逡巡しているのであります。まぁ所謂悪循環って奴ですね!

しかし考えてみれば、カヤック修行時代に一体どれだけ悪循環を繰り返して来たことか?しかしそれを悪循環と考えたことは一度もなかったことを明確に記憶しています。ここまで来てナニかやっと分かったような気がしているのですが、悪循環をするなら最低でもやはり半年とか1年くらいはやらないと良循環には感じられないのかも知れませんね。特に最初の段階では・・・ね!